第12話 僕よりもすごいやつら
高校時代、県内トップの学校に進学した志田は高揚感に包まれていた。教室内は誰もかれもが受験を勝ち抜いてきた強者ばかりである。いるのではないかと考える。完璧の名を冠するような偉大な男がこの中に。そいつに会いたい、そいつを追いかけたい。学ランに身を包んだ大小さまざまな背中を眺めながらクラス全体の空気を探る。中央の一番後ろに席があったため、見渡しやすかった。クラスの核となる人の集まりを見ていた。すると、高校といえども同じ中学校出身の者が何人かいるようで、早くも左前方はちょっとした盛り上がりを見せていた。入試の点数の話をしているようだった。正直興味はなかったが、その中に懐かしい顔がいた。安藤栄人である。身長はこの三年間でさらに伸びていて百八十センチ近くあった。向こうが自分を覚えているか不安で、少し緊張したが声をかけてみた。
「栄人だよね。こちら、志田。覚えてるかな。」
「おお、まじか!ごーくんじゃん!小学校ぶりだね。」彼と話していた者は二人に気を使ってよそへ行ってしまった。
「ちょっと邪魔したかもな。大丈夫だった?」
「別に重要なことは話してないから全然いいよ。ていうか、ごーくん全然変わってないな。すぐに分かったよ。」
「こっちはむしろ変わりすぎて自信なかったよ。名簿確認したわ。」トレードマークだった黒縁の丸い眼鏡がコンタクトに変わっていた。
「三年も経てばみんな変わるもんだよ。」
「なら先刻の発言は撤回するべきではないか。まったく、その体格は羨ましい。」
「俺は今でも自分がそんなにでかいとは思わないけどね、バスケやってるっていうのもあるけど。」
久しぶりに話してみると彼の内面はそこまで変わっていないように見えた。むしろ年齢とのギャップがあった、あの夏休み明けのほうがよほど大人びているように思えた。良くも悪くも立派な高校生というような印象であった。彼が中学受験を受けて僕と異なる学校へ進んだ後、どのような三年間を送ったのか、あの破竹の勢いで人の心を掴んでいった彼は健在なのか、やはり気になった。
その答えは案外すぐに表れた。
彼が僕とともにクラス委員長となったからである。正確には、僕が立候補したあと残り一枠をかけてみんなでじゃんけんした結果、彼がなってしまったというべきだろう。けだるそうにしながらもその背中には人望がすでに見えており、むしろ彼はじゃんけんを利用してクラス委員長になる根拠を得たのではないかと思われた。じゃんけんにおける絶対の自信を持っていると豪語していた手前、彼が気持ちの入ったチョキで何度も負ける姿は単純に面白く、一種のエンタメとしてクラスメイトの心をひきつけた。そう、彼は笑いながら、そして皆を笑わせながらクラス委員となったのだ。
その頃はまだ、「先を越されたな」や「とりあえず向こうにアドバンテージがあるな」くらいにしか思っていなかったが、月日を重ねるにつれ、彼の凄みは増していった。何より、各学校でリーダー的立ち位置であったはずの曲者だらけの生徒たちを持ち前の陽気さと人望で従えている手腕に脱帽した。
重要な連絡事項を僕がクラスに伝えようとしたときも、がやがやと騒がしい生徒に僕の声は届き切らなかったが、彼はそんな僕を見て微笑し、机を強く叩き、その突然の衝撃音で強引に注目を集め皆を黙らせてから「バンッ!って風に机叩くタイプの先生の叩き先に瞬間接着剤塗りたいよね~。・・・あ、えー、それと志田豪太から連絡事項があるから聞いてくれ。」という風に意味不明な形ではあるが僕を援助してくれた。彼の声は濁りのないまっすぐな声で簡単にみんなに届いた。それでいて抑揚と表現力があったため彼の声はそのまま彼が作り出したい世界を表していた。感謝しながらも情けない屈辱感が連絡事項を伝える僕の声には乗っていた。
何故かはわからないが僕は安藤栄人に負けたくなかった。だから出来るだけ積極的にみんなと関わり、授業にも参加し、試験もよい成績を収めた。しかしそれでもこのクラスの中心に位置するのはいつも彼だった。彼が最も引力のある男であった。僕はなんだか蚊帳の外だった。そのことは僕に焦燥感を与えた。余裕のない人間に人は寄ってこない。僕は独りになった気がした。でも理由が分からなかった。ここまで必死に好かれようとしているのになぜ皆は僕を見ないのか。僕は何の価値もないのではないか。彼と比べたら・・・そうだ、ああ、下位互換、下位互換ってやつだ。勉強はどうだろう。佐藤君に勝てるわけがないわな。彼はクラス一位だし学年でも一位だ。彼は運動もできるそうだ。栄人は言うまでもないし、何より努力のできるタイプだ。菊池君は芸術に堪能だ。加えて世間のニュースや時事に詳しいから話がいつも面白いうえに知的だ。そうだそうだ、みんなみんな僕の上位互換。僕の何より愚かなのは今まで自分ならきっとできるって思いこんでいたところかなあ。本気を出せばできるかなあ。本気ってどうやるんだろう。一度本気になったらもう戻れないだろう。その本気の対象は僕のアイデンティティとなりうる武器になるかもしれない。じゃあそれを超える人がいたとしたら?何をしても負けるに違いない。いよいよ自分が無能だと証明されてしまうのか?ちょっと待てよ、でもそれなら彼らは僕にとって完璧に近い存在、理想の体現者なのではないか。うーん。でもそれはなんか厭なんだよな。いや、くそう。こっちのほうがもっと嫌だったよ。結局僕は自分が一番特別になりたいだけの自己愛野郎なんだな。でも流石に気づくよな、この環境に身を置けば。ここにはすごいやつらがいっぱいいる。僕の存在なしに十分に彼らのサロンは作られる。僕がいなくても、否、いないことで成立する世界がたくさんあった。うんそうだ、昔の僕はきっと自分を他と異なるものとしてしか考えられなかったんだ。実際あの頃はそうだったんだ。特別という意味で孤独だったんだ。そしてその孤独に自己愛を見出していたんだ。でも今は違う、みんな僕なんだ。僕よりすごい抜きんでた才能が、完璧を目指す同志が集っている。なら僕は彼らといるだけでいいのではないか。うん、それでいい。それでいいんだ。一番になるとかじゃないんだよ。こんな焦燥感に苛まれるならもうやめちゃっていいだろう。うん、これは逃げじゃない。偉大なる気づきだ。僕はもうすごいやつじゃない。
自分を認めよう、そして自分を諦めよう。それが僕の今できる変革であり成長なのだ。そう決意を胸に己の立場を弁えた。痛むプライドや自尊心はじきに慣れるだろう。今は適応が最も僕を幸せにしてくれるはずである。そうして僕は紆余曲折ありながらも適応した。そして皆が見る景色の一部になることができたのだ。他者の言動に敗北感を抱かない強い人間の完成なのだ。心の中にその景色を観察する者を押しとどめて。
諦めてしまえば日々は楽である。僕は僕が少しずつ周囲の人間に溶けていくのを感じていた。映る写真は左奥、自分からは発言しない、みんなが楽しい時に盛り上がる、勉強は中の上。クラスの大衆性に身を任せることで、僕は孤独ではなくなり、友達が増え、生活は平坦安泰なものとなる。平坦とは平等だろう。平等とは平和だろう。求めなければ余裕が生まれる。余裕があれば優しくできる。みんなと楽しく過ごせる。比較が苦しみを産むことなど何年も前から気付いていたことである。ならば今は幸せでしかないはずだ。捻じれに捻じれたがお前は間違っていない。幸せとは相対性を消し去ることに他ならないだろう!この結論に僕は最後に着地できたのだ!僕のたどった軌跡は意味のないものなどではなかった!苦しみが僕を喜ばせてくれたんだ!・・んっ?まあいいか。こうして僕は自身の価値を改めて見直すことができた。何かを捨てること。その段階を迎えているのだ。変われ!変われ!わが人生!勇気をもって変化を受け入れた効果はあった。それは、青春。自転車を立ちこぎする朝、窓を眺める五限目の数学。ばからしい恋愛話、寄り道するファストフード店。思い描いた理想の場面場面にいつの間にか出会っていたのである。
二年になり、安藤栄人はついに生徒会長まで上り詰めたが、志田にとってはもはや日本史で習う土器の、時期による名称の違いほどに興味のないことであり、彼は一人の若き高校生としての熱を燃え上がらせ、人生を謳歌していた。そしてついに運命の時を迎えるのだ。
神保美奈への告白である。
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