第10話 母

先日の旧友との談笑により力を得た志田は帰省することを決意する。別に特別勇気のいるようなことではないが実家には悲しみと後悔の記憶がこびり付いている。父親は数年前から海外赴任でおらず、母と二人で暮らしていた。僕に独り暮らしのための料理を教えてくれたり、受験生になって荒れ始めた心を温かく抱擁してくれた。情緒が激しい人だったがとても優しかった。けれど死んだ。


 高三になってしばらくした頃、受験生などということもあり、休みの日であっても誰かと遊んだり会ったりすることはなかったので、休息日には母と二人で出かけることも多かった。たいていは買い物の手伝いかランチに出かけるためだった。その日は母に何か食べたいものはあるかと聞かれ、久しくラーメンを食べていなかったのでラーメンと答えた。母は、ならあそこにしましょうと言った。お互いにさっぱりとした醤油ラーメンが好みだったので、数年前に一度行っていた、少し遠めのラーメン屋に行くことにした。


 車の中では志田は母親の対角線上、つまり運転席から左後ろに座っていた。昔母に重さのバランスが丁度よくなるからと言われたきり、定位置のようにそこに座っている。車内では母の好きなアイドルグループの曲がCDで流されていた。志田はそこまでそのグループに関心はなかったがいつのまにか歌えるようになる曲も多々あった。


 店に着いたがやはり昼時で混んでいたので、カウンターの席に並んで座った。醤油らあめん790円、麺大盛り+30円。麵はちぢれ麵、出汁はカツオ、昆布。小学生の時食べて、初めてメンマがおいしいと思ったのを覚えている。久しぶりに食べるラーメンはなんだか高級感さえ感じられるような気がした。少し大人になって味の細かなところまで感じ取れるようになったからだろうか。チャーシューも柔らかくてうまい。「最近は、なんか脂っこいものがのどを通らないというかなんか、一口でもういいやってなるんだよねえ」などとまだ若いのにもかかわらずおやじ臭い私のセリフに母は笑っていたが、その後、少しして顔をしかめ、なんか…ガス臭くない?と言った。そのすぐ後、わたしが、え?と言いかけるその一瞬で空間のすべてを押しのけるような爆風とともに熱が体を包み込み、聞いたことのない音を出しながら爆発が起きたのだ。炎は厨房を赤く染めていた。母は飛ばされ、気を失っているようであったが目立った外傷はなさそうだった。私は何かの破片が顔にかすったが無事だった。そこで居合わせた人たちと協力してすぐに消防と救急に連絡した。電話をかけ終えたころには母は意識を取り戻していた。取り乱した様子ですぐに出ましょうと言って店を出た。大規模ではないが外からも炎が揺らめいているのが見える。黒煙が立ち上る。店を思うと心が痛んだ。逃げ遅れた人がいないのを祈るばかりであった。


 間もなく消防隊がやってきて消火を始めた。同時にその場にいた人から話を聞いたり、怪我の具合を尋ねられた。私も母も軽いやけどで済んだが母は気絶したからか少し顔色が悪そうであった。連絡が早かったのと駆け付けも早かったので火はみるみる小さくなり白煙が力のない湯気のようになっていた。現場の確認も進んでいた。


 出火元は煙草の火によるガス爆発であった。ガスの充満はそこまでひどくなかったために被害はそれほど大きくならなかったという。煙草を吸った店員は全身やけどの重傷であったが命に別状はないらしかった。すぐに救急車で運ばれた。その後も色々話は聞かれたが、一時間ほどで帰っていいようになった。


「豪太も独り暮らししたらガスは絶対に気を付けなよ。命にかかわるからね。とにかく無事で健康にいることが一番よ。あなた忘れものとか多いからなんか心配だわ。」心配してくれているのはありがたいが、分かりきったことを分かってない人間に言うような感じが少し気に入らなかった。だが真面目に「そうだね」と返した。反抗なんてまったくもって無意味である。志田には反抗期はなかった。怒りはできるだけ内に堆積させて、眠って捨てる、もしくは運動して汗をかいて捨てていた。「ストレスは溜めるものだ」という標語を自分の中に作ったこともあった。反抗したところで金と食事とその他多くのものを握られている時点でこちらの負けは決まっている。大人がすべてにおいて正しく、正解を導いてくれているかのように従うのが志田にとっての完璧な向き合い方であった。実際うまくいっていると思うし、いまや反抗するほどのことなどほとんどないのである。怒りの制御及びその他感情の制御。完璧になるにあたり不可欠なものであると考えた。帰りの車ではそれ以降特に話さなかった。志田はただ流れゆく景色を眺めた。建物の陰とその合間の太陽が繰り返しに訪れ、黒色とオレンジ色が視界にちかちかしていた。昔の映画フィルムが流れているようであった。時速50㎞程だろうか。母は安全運転をいつも心掛けている。


 もう少しで家に着くところであった。家の手前には十字の交差点があり、そこを抜け、少し先を曲がったところに家はあった。西日がまぶしく信号は確認しづらかったが赤だったので先頭で止まった。そして間もなく青になったが、車は発進しなかった。母は目を瞑っていた。後ろに車も来ていたので、青になったよと声をかけた。すると驚いたように、はっ、そうね、ありがとうね。と言って発進した。その加速して進んだ瞬間、右側からありえない速さでバイクが僕たちの乗っている車に衝突してきたのである。グッシャーーン!!と大きな音を立て、前側に衝突された車はバイクの勢いに押され、バイクが刺さったまま、左に回転した。路肩の石を乗り越えて、煙を上げながら、最後は力尽きたようにゆっくりと静止した。記憶に残ってはいないが初めて安全装置の起動を体験した。飛び跳ねるような勢いは命を守るために必要なのだろうが、とても安全を豪語する衝撃ではなかった気がする。煙と油、ゴム、ほかにも息の詰まるような厭な空気が鼻の奥で渦巻いて、私は意識を取り戻した。目にした惨状は恐怖と緊張と後悔で心臓を押しつぶさんほどだった。「かあさん!かあさん!」人間が口から血を流しているのなんてドラマやアニメの話だと思ってた。ずっと健康だった母が死ぬなんて絶対にありえないと思っていた。ゴム状のタイヤなんて殺傷能力はないと思っていた。それでもあの瞬間には理解していた。あの速さは駄目だと。通学するときにいつも通る踏切を通過する列車を思い出した。不穏な警告音とともに空間を押しつぶし一瞬の内に視界を搔き消す巨大な鉛の高速移動。轟音と風。いつもその光景を目撃しては死を感じるのであった。こいつの衝突は致命的である。


 体を引きちぎらんばかりに母の体に押し付けられたそのタイヤは真っ黒で、エンジンによって微動している獣のようであった。唸りを上げていた。


 薄い意識の中で僕はすでに母の死を認め、諦めていた。だから母のかすかな声が聞こえた時思わず、動揺してしまった。


ごめんね……。


 「・・・ああああああああああああああ!」怒りが込み上げてきた。自分に対する怒り、そして自分に対する怒りに対しての怒り。こんな状況でも、死にゆく親の前でも、自分のことしか考えていない不孝者への嫌悪。私の人生を彩るすべての登場人物はとても美しい。とてもとても美しい。なのにこいつがいるとみんなが壊れていく。綺麗な世界が侵されていく。


 完璧を夢見る。口ではいくらでも言ってきた。言霊を信じるように、強者を繕って願いながら弱弱しく言ってきた。だから今は遮断する。完璧な人間ではなく、一人の子供として僕の体は動く。義務とかでも、餞別とかでも、感謝とかでもなくて、万有引力が発見されて暫く、かのアインシュタインが相対性理論を発見し、その始原を愛のエネルギーと言ったその言葉そのまま、僕はごく自然に、関数に代入される数字のように、母のもとへ、頭から暖かい血を流しながら母にすがりより、肩から抱きしめ


ごめんなさい…でも、ずっとありがとう。大好きだよ。


***



 そのあとのことはあまり覚えていない。諸々の手続きやら社会保障やらで生活はかなり変わったが、僕の希望でできるだけ学校にはこのことが広まらないようにした。それでもニュースで取り上げられたし、いつもいたはずの人間がいないのだから近所で気づく人はいただろう。はじめこそ父が帰ってきて色々手伝ってくれたが、案外慣れてくると自分でできることが多く、忙しくはあるものの結局一人でできてしまい、なんだか寂しかった。


 結局のところ僕は変わらなかった。大きな衝撃が僕の人生に到来したし、何度時間が巻き戻ったらよいと思ったか。たくさん泣いて、いよいよ自分のことを許せなくなっていったが、生き残った自分が、普通に生活できている自分が、何か不幸であるなどとは感じなかった。一人の命を奪ったのに何も変わらなかったこの現実がとんでもなく恐ろしいものに思えてならなかった。ただ過ごしていくべき現実が目の前に現れては消化する日々の中で、みんなと同じだけの時間が流れていった。母を失ったことの喪失感よりもその喪失に対して自分が相応に悲しめただろうかという自問がある時浮かんだ時には、いよいよ自分がクズであると感じ、ため息をついた。


 それからは節約志向もあったのか、以前より一層何かを求めることがなくなった。昔から物欲は少なかったが、自分から動いて何かをしたりする意欲もなくなった。その代わりに静かにみんなの人生を羨望するようになっていった。近くにも遠くにもまとまらないような不安定な眼で見つめるのである。夕暮れの家のベランダからは近くの公園でボールを投げあったり、追いかけっこをしている子供たちの様子が見える。まだ十分に自分が若いことは承知しているがそれでも大人が子供を天使と呼ぶ理由がわかるような気がした。少なくとも志田にとってその光景はどんな宗教画よりも宗教的であった。


 志田は自分の人生に対して不満もなければ満足もない。ただ停滞した「ある」という事実だけが体を伴って動いているような感じがしていた。そんな中で彼に安らぎを与えたのは誰かの笑う姿、走る姿、遠くへ行く姿。そして、思い出すのは記憶の中の神保美奈の姿である。彼女の記憶は停止した彼の心に比喩的な蘇生を行ってくれる。心が揺れたあの瞬間。カランカランと頭の中で何か音がした。この音は救いの音。幸福を信じさせる音。そして志田は無意識に「信仰」の夢に縋り付いた。その力をもって高校最後の数か月間、彼は大学受験に取り組み、第一志望の合格を目指していた。合格という機会をもって停滞した世界の再始動を、「信仰」への報いを志田は期待してしまったのである。そしてご存じのようにそれが失敗した。弱った心にさらに「信仰」は肥大化し、進んだ先で孤独を自覚し、本当に信頼できるものは唯一残った「信仰」だけであった。しかしその「信仰」こそが最も非現実的で脆いものだということに志田はいつまでも気づかないのである。

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