第5話 完璧
夢見ていた。ただ正解を、ただ完璧になることに。神保美奈は志田豪太がかつてそう言ったのを直接聞いた。彼はあの輝かしい学校生活と同時に深淵をひたすらに見つめ、虎視眈々と「完璧」の情報収集を行っていた。驚くべきは、彼はそのたくらみを自身の第二人格として隠しながら生きるのではなく、日常の中でふと深い海のような瞳とともに自らの思想の断片を周囲の人々に語るのであった。彼はある意味裏表のない人間であった。裏であるはずの人格をも表にして彼は「僕はメビウスの帯なんだよ」と満足気に言った。よく意味は分からなかったけれど、彼の完璧像には頭のよさそうなことを言うという項目が含まれているのかもしれない。私から見ると彼の生き方には危なげがないように見えた。味方は多く敵は少ない。おバカであっても天才であっても凡人であっても納得できるような不思議な雰囲気を感じた。彼の行うすべてのことが私たちの需要を満たしている、そんな気がしていた。ただ、彼の告白を聞いてしばらく経った今はこう思う。彼は極度に恐れていた。「自分がみんなの期待にこたえられなくなったら、今ある自分の才能や能力が明日突然消えてしまったら、今までできていた気づかい、心配りができなくなったら…僕は嫌われるかもしれない。」という具合に。今になってようやくわかる気がする。そしてそれだけではないことも。しかしあのときはただ、「志田君ならきっと大丈夫だよ。『博士の愛した数式』を読んでみたらいいかもよ?」と言った。結局回りくどすぎる上に気休めにさえならない自分の言葉に悲しくなる。私の言葉など彼には大理石に息を吹きかけたようなものだと分かっている。それでも何か影響したくて言葉を言うのだ。まあ、なんと醜いのだろう。言わないけれど私は志田君に未来を見ている。強くて憧憬の的となるものではなくて、ただ暗くて不安な夜の帰り道に一点見える星のように、照らすのではなく闇にのまれながらもその黒に抗い、貫いたこどもの寝息のような光。心細さに空をちらと見上げたものにだけ見える優しい光。まったくそんな感じよ。神保美奈はそんなことを思いながら、瑠実の永遠と続く元カレの話をぼんやりと聞いていた。
するとその表情に察した瑠実が「ボーと聞くならあなたが何かしゃべりな。私ばっかりにしゃべらせないでさあ。実際のところどうなの美奈さーん。」マイクを向けるようにソフトドリンクの入ったグラスを私に向けた。
「美奈、別に無理に言わなくていいからね。」リンリーはおろおろしながら見ている。
しかし神保はゆっくりと視線を友人のほうに向け、あの日の景色を鮮明に思い出す。素敵な日だった。新しい日だった。ただ…
「私は……振られちゃったかな。」
やはり視線をドリンクへと落とし少し微笑んだ。長い睫毛が彼女の瞳に少しばかりの影を落とす。
強がりの嘘を私は二人についた。
帰りはお店の前で解散し、各々別に帰った。日はいつの間にか沈んでいた。神保は六月の夜のぬるい風の中をまっすぐ帰路に向かって歩き続けた。
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