第7話 井沼寛人
日の光は一層強さを増し、外に出るとむしろビニールハウスの中に入ったようなもわもわとした空気に全身を包まれた。八月。夏休みが到来していた。今日は久しぶりの本格的な外出になる。家でレポートを仕上げるだけで他にすることなど何もなく、閉じこもっていたが、あまりにも空は青いから、また太陽が夏を輝かせているから、流石に衝動と季節の浪費による罪悪感が抑えられなくなっていた。今日は井沼に会うつもりである。先日、夏休みに入ったら会おうと約束をしていたのだ。家から比較的近い駅に、むこうから来てくれるようだった。それは志田には都合以上に嬉しいことであった。
駅前の歩道橋に物思いにふけるように寄りかかり、ブルーのシャツに太い黒のカーゴパンツのその男は僕を見つけるや否や子供のように駆けてくるのであった。
「おーい、見て、万葉集持ってきた!」
「いや、なんで。」
理由は知っていた。井沼は友人と会うとき必ず「出オチネタ」を用意してくる。そしてそれは僕譲りのものであった。昔某アミューズメントパークに数人の仲間と行ったときに列に長いこと待っている間、僕が落窪物語と堤中納言物語(現代語訳なし)が一体となった茶こけた分厚い本を取り出して徐に音読し始め、一同のささやかな笑いを提供したのを思い出した。私の前では待ち時間も楽しい時間でいてもらいたい、そして僕がいてよかったと思ってもらいたい。ただその一心であった。それに影響されたのだろう。とりあえず彼は普通にパクったのである。(オマージュというべきか)
「まあ、そんなことは置いといて、どこいきます。」
そう、ネタに対して頓着しない。よい出オチの心構えである。駅前の歩道橋にそれっぽくして万葉集を手に持っていたという事実がピークなのだ。それ以上も以下も期待してはならない。
「こちとら積もる話があるんだよ。とりあえずマックだ。」昔の調子が回復してくる感じがした。ちなみに彼は浪人生である。
三時も近いというのにマクドナルドの店内はかなり混みあっていた。いや恐らく、真昼ごろに人が多く来るだろうとしてタイミングをずらした人々の魂胆の一致による滑稽の結果であろう。我々もまたその滑稽に加担しているわけだが。数分待って何とか空いている席を見つけて二人は腰を下ろした。長話を予期した彼らはともにコーラのLサイズを買い、まず飲んだ。容器の周りの空気が冷やされ、飽和水蒸気量を超えたことによって液体の水が現れる。それを手に付け、首を冷やし、汗ばんだ体を落ち着かせようとした。
「夏期講座が今日はあっちのほうで休みだから今日はこっちまできて模試を受けて、そういえば志田近くに住んでるよなって思って前連絡した。」
「なるほど。わしは二週間余りまともに人と会話していなくてかなり厳しい状況だったから非常にありがたかった。」
「サークルとかバイトとかなんかやってないの。」
「やりたいのがあればよかったんだけど、特になかったかな。野球も道具とか捨てちゃったし、新歓期間も終わってもういいやって感じかな。将来のためにゴルフでもやってみようかなって2ミリくらい思ってる。バイトはさすがに始めるつもり。」
「いろいろ察せるものがありますな。」
「いや、大学に仲いい人は普通にいるし!」
「あなたにとって友達とは」
「傷つけあえる仲、親しき仲には礼儀なし!」…友達。僕はあまりこの言葉が好きではない。口に出す恥ずかしさもさることながら、人の数だけ捉え方があり言葉としての価値を測りにくい。特に大学の世界ではその人々の関係性の浅さゆえに「友達だけどあんま話さない」「友達だけどあんま得意じゃない」といった、いわば転倒といえる事態が多発している。したがって僕が好むのは、「仲間」という言葉である。部活の仲間、クラスの仲間、サークルの仲間、ゲーム仲間。ある目的集団としての一定の信頼関係を表すのにこれほど適当で心地の良いものはない。「友達」が双方の主観的な気持ちを表す言葉だとすれば「仲間」は客観的な事実状況に基づく言葉なのである。
「それは、違うと思うけど、確かにそうかもしれんな。でも限度はあるだろ。」
「ちょっと何言ってるか分かんない。」これが信頼関係である。彼は僕の紛れもない中高学時代の「仲間」である。
「浪人生は孤独かい?」僕が浪人することを拒んだ理由の一つを彼に投げかけてみた。
「どうだろう。意外とそうでもないかもしれない。学校が学校だったしな。浪人仲間ってやつが多い。」
「なるほど、そうか。まあなんにせよとりあえずお前のメンタルが無事であることを何よりも望んでいるよ。」返答はいささか意外であったが彼を気にかけているのは事実である。彼は私以上にメンタルが弱い、というか物理的にも相当弱そうな見た目である。身長は普通だが色白でかなりのやせ型、腕も肘あたりで私の親指と中指で作る輪に入るほど細い。もしくは私の手が大きい。とにかく力士とかの対極に位置しても違和感のない痩せ型番付関脇である。
「共テはもう二度と受けたくない。」と彼はさらにげっそりとして言った。ネガティブいっぱいの叫びであった。
その後は、二時間ほど大学のことや勉強のこと、昔話に花を咲かせ、店を移動し電話で他の中学時代の部活「仲間」(現在大学生)を呼び、三人で盛り上がった。そして遅かれ早かれあの話題に触れられると感じていた。
井沼が言う。「おいおーい、彼女はおーいおいねえねえねえ、どうした、どうした?ああん?(飲んではいません)」高校が男子校であった僕たちには確かに大学生になる特別感としてそのことも含まれているだろう。僕も少なからず意識をしたものである。しかし、実際には厳しい現実があった。というより自らが男子校にいたという事実自体が自分自身の態度を制限しているような気がする。普通に話すことはできるが、深くかかわろうとはしない。結局は自分の問題なのだろうが、いずれにせよ愛などというものは能動的にも受動的にもあまり分からない。変わりゆく人間の心に愛という言葉は近すぎる気がする。例えば顔にニキビができたら、変な位置にほくろができたら、愛されなくなってしまうのか。それで変わる愛を安い愛と呼ぶならば、鼻が二つになったなら、腕が四本になったら、目が三個になったらどうだろうか。これでも愛すならば私の何があなたにとって私たらしめるのか。もはや別人でもよい気もする。性格だって不変なはずはないのだし。しかしそんな冷めた話はこの場には相応しくない。少し面白い持論を展開したうえで話題をすべてもう一人に押し付け、昔の彼の恋愛事情をいじり、彼の定番の「いやもうええて~」という言葉によって終止符を打たせた。
帰るころには杜若の襲のように空は淡い紫の衣を拡げていた。この薄暮の空が見える時間帯をマジックアワーと命名した人間はセンスがないと思わざるを得ない程、この色の連なりは刻々と、さらりさらりと、平安の女性のように恥じらい隠れる太陽と共に、移ろいゆくのである。彼は友人との楽しいがあほっぽい会話を通じて一時的に頭を悪くした。信頼のおける仲間との会話ではできるだけ頭を使わないようにしている。「夏は夜、月のころはなんだっけ?」今日はもう難しいことは考えずに行こう。そうして彼は帰りの電車に乗り込んだ。夕暮れのグラデーションは人々の帰路に流れていくのであった。
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