兄と妹

「お兄ちゃん、今日は勇者様が町の広場でご挨拶するらしいよ!」


 8歳の私より、2つばかり歳が上の兄に話しかける。


「マジかよ!勇者様って、この間、魔族の将軍を倒した、あの勇者様だよな!」


 兄が興奮を抑えきれないといった表情で声を上げる。


 勇者様は、3ヶ月ほど前に王国に現れた、私たちの希望の象徴だ。


 魔王軍が隣の小国に侵攻を開始して、わずか1ヶ月で滅びたと聞かされた。その後、魔王軍は勢いをそのままに私たちの王国も呑み込もうとした。前線の要塞でどうにかして侵攻を食い止めようと、兵士たちが昼も夜も関係なく応戦したが、2ヶ月前、ちょうど勇者様が現れる直前くらいに、要塞は陥落した。その後も信仰は続き、いずれは私の住む街にも迫る勢いだった。


 国民が悲嘆に暮れて、戦地へ送り出した家族の死を悲しみ、絶望の淵に立ちすくんでいた時、勇者様は現れた。


 特別な剣を持ち、常人を遥かに凌ぐ膂力、そしてスキルを巧みに操って、魔王軍を退ける事に成功した勇者様。


 その勇者様がこの町で、国民を鼓舞する演説を行うと、町中で噂になっていた。


「絶対に見に行こうな!俺も将来はデカい剣を振り回して、魔族をやっけるんだ!」


 兄は、勇者様の武勲を耳にするたびに、勇者様への憧れを声高高に口にする。


 私はどちらかと言えば、勇者様の御付きの、綺麗な女の人に憧れる。勇者様の実の妹らしいその人は、様々な魔法を使って、勇者様を支援する。美しく、可憐で、まるで物語の姫騎士みたいな人らしい。


 兄と一緒にかなり早い時間から、広間で勇者様の挨拶が始まるのを待った。





「これから、勇者様がありがたい演説を行う。他でもない勇者様自ら、演説を願い出た。家族を失い、悲しみにくれる民たちの気持ちを思ってのことだ、感謝して聞くように!」


 白銀の鎧を着た黒髪の男性が壇上に上がる。目鼻立ちの整った容姿で、しっかりとした体つきをしている。私の身長程もありそうな大きな剣を手にしている。間をおかずに、勇者様の隣に、同じく黒髪の美しい女性が並び立つ。あの人が妹の魔法使いだろうか。私も兄も、身を乗り出して柵に手をかけ、勇者様の言葉を今か今かと待つ。勇者様が声を上げる。


「皆さん、集まってくれてありがとう。俺の名は、サクタ・カジサワ、皆から勇者と呼ばれている。隣にいるのは俺の親愛なる妹、レナだ、彼女は俺の足りない所を補ってくれる、大切なパートナーだ、この機会に覚えておいてくれ」


「すげえ鎧だ、かっこいい……」

「綺麗な人……」


「さて、先日、西の都市が魔王軍によって攻め落とされたことは、皆の記憶にも新しいことだろう。この町からも、少なくない数の兵が戦地へと参じたと聞いている。国の土地を、そしてあなた方、故郷の家族を守るため、彼らはその命を顧みず、勇敢に散っていった。私は当時、北の都市の奪還作戦に参加していたため、西の戦いには参加出来なかった。私の力がもう少しあれば、早々に北の奪還を成功させ、西へ応援に駆けつけることもできたかもしれないと思うと、彼らに、そして彼らが無事に帰るのを待ち侘びていたあなた方に申し訳なく思う」


「勇者様……」


 皆が、口々に勇者様の言葉に感銘を受けて、あるものは涙し、あるものは義憤を抑えるために拳を握る。


「しかし、地に伏せ、涙を流し、悔やんでさえいれば、彼らは帰ってくるのか?怯え、隠れて、耳を塞げば魔王は攻めるのを止めるのか?」


 勇者様が掌を私たちに向けて差し出す。


「否だ!彼らの尊い犠牲に報いるため、我々は立ち上がらなければならない、さも無ければ散っていった英霊達が報われない。彼らに報いるためにも、我々は今一度、西の都市の奪還を誓おう、勇気あるもの達よ、私と共に、勇者になるのだ!」


 勇者様が腕を振り上げると同時に、鼓膜が破れるような割れんばかりの歓声が上がる。隣の兄は涙を流しながら雄叫びを上げている。私の目からも、感動のあまり涙がこぼれ落ちた。


 ああ、これが英雄、これが勇者様なんだ。


 長い間、歓声が続いたが、やがて、勇者様の言葉を待つように、静けさが訪れた。そして勇者様がボソリと呟いた。


「本当に、魔王が悪いのか……」


 言葉の意味を理解できずに、周囲がザワザワと騒ぎ始める。


「だってそうだろ?勇者とかいって俺おっおっあ、ああアッんあっんん」


 様子がおかしい。どうしたのだろう。


 あれはなんだ?勇者様の首元から細い管が伸びて耳の辺りで動いている?


「おっほっ、おおお」


 勇者様の表情が、なんだか、変だ。


 頬が赤く染まり、口が半開きになって、目の焦点が合っていない。


 どうしたんだろうと思って、兄に聞いてみようと顔を横に向けると、なぜだか兄の表情も少し変だ。同じように頬を染めて、勇者様の方を羨ましそうに見ている。眉が八の字に下がって表情がおかしい。なんだか怖くなって、私は顔を背けた。


「おおおっ、んおっ……」


 勇者様がまた黙り込んだ。


「……スマナイ、皆の歓声に当てラレテ、感極マッテ泣いてシマった。イマイチド、チカオウ、ユウキアルモノタチヨ、オレトトモニ、マオウヲタオシ、ヘイワヲトリモドスノダ!」


 再度、歓声が上がった。


 ふと、レナ様の方を見ると、泣いているみたいだ、両手で顔を覆っている。


 勇者様の演説に気持ちが昂ってしまったのだろうか。





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