第2話

HOt Springs~温泉旅行記~

沼津平成 (本文中著者は一人称をこうします。ペンネームにしてみました。)


















 

      もくじ


 誓いの言葉――かけ湯……3

 お風呂の王様――源泉……4

 第二亀の湯――サウナ・水風呂……9

祭の湯――循環……13

ベルさくらの湯――かけ流し……14

スパジアムジャポン――更衣室……16

 宮坂一郎の優雅な社宅――牛乳……18

 おわりに――瓶はかならずリサイクル!……20

 おまけ・生まれ故郷を訪ねる旅――「またのご来店をお待ちしております。」……21

 【よくやすみました! 明日から仕事をがんばりましょう。】


おもな登場人物


宮坂一郎 ・・・・・・主人公。42歳。課長。宮坂家三男。

宮坂涼 ・・・・・・第一話、第三話に登場。29歳。課長代理。五男。

宮坂太郎 ・・・・・・第一話に登場。46歳。39歳の四男の味方。農家。次男。

浅部春幸 ・・・・・・第一話に登場。年齢不詳。初老。部長。

中村はるのり ・・・・・・第一話に登場。39歳。一郎の同期。

桜井隼士 ・・・・・・第一話、第五話に登場。26歳、新人。高校受験と大学受験でそれぞれ一浪した経験あり。お風呂好き。

嘉部真率 ・・・・・・第一話に登場。46歳、部長。桜井隼士の兄貴的存在のひとり。


 宮坂一郎課長は温泉が好きで社宅から飛び出した。

ある日一郎課長はここが西武線花小金井駅の近くであると気づき――(お風呂の王様)

 サドンデス会場は社宅の近くの風情あふれる温泉だった――(第二亀の湯)

 突然足が吸い寄せられた。着いたところは?(祭の湯)

 本社から栃木支社へ向かった宮坂一郎氏は、土地になれるためある温泉を訪れることに――(ベルさくらの湯)

 宮坂氏の温泉活動の基点ここにあり!(スパジアムジャポン)

 宮坂一郎氏は過ごす当てのない3日間の休暇を社宅で過ごすことにした(宮坂一郎の優雅な社宅)

 沼津平成のおわりに

 宮坂一郎氏は沼津聖隷病院でうまれた。帰郷前にこれまでの思い出を振り返る。前はどんな旅をしていたの?(おまけ・生まれ故郷を訪ねる旅)









      誓いの言葉……かけ湯


――ファイト! たたかう君のうたを

     たたかわないやつらが 笑うだろう ファイト!――


 ぴりりり ぴりりり ぴりりり ぴりりり……。

 起きてすぐ、宮坂みやさか一郎いちろうは、この社宅のさむい、寒い空気に気づいて、どういうわけか一昨日からの咳がひどくなった。

 昨日は、歌番組の大トリの「ファイト」のサビで寝てしまったらしい。

「なんてことだ」

 一郎は舌打ちをうった。あきらめきった静かな声に、寒さは本当によく似合うらしい。社宅が練馬ということもあり、野菜には困っていない。

「武蔵関駅の近くってだけで土地を購入したって話だが」

 異常気象だ。雨がひどい。


 ぴっか――ん

 ぼろぼろ

 ゔうぉっしゃ――ん


 昨日の夜がよみがえる。

 悪夢のような(ようなどころではない。本当に悪魔だった)光景だった。


      ✽


 社宅には風呂がない。

 宮坂の唯一の楽しみは、実はこの風呂だ。

 武蔵関駅から電車で、いろんなお風呂にいくぞ!

 さあ今日は、どこいく?











    第一話 おふろの王様――源泉


――まけないで もうすこし

    最後まで 走り抜けて――


 と口ずさみながら、一郎は社宅まで走っていた。三十分前のことだ。

「一郎くん。ここ申告漏れがあったらしい! 至急チェックしてくれ」

「はい! 部長」

 やっと春に課長に昇格した一郎にとって部長は神だった。また落とされてはかなわないからだ。(部長代理は友達だった。)

 そして。

 いろいろとあって申告ミスをお得意先に謝罪した一郎は、ここが花小金井駅に近いと知った。

「じゃあ、おふろの王様・花小金井店も近いな」

 経費でおとすか……メールで「お風呂に入る。」と打って、わっはーいと大ジャンプしながらおふろの王様に向かったのだった。


     1


 部長は激怒した。


      ✽


「おー。どうして部長はぼくを疑うのですか?」

 社宅についた一郎はいった。

「きみは犬塚雄二くんのことを知っているかね」

 初老の部長は、部長職かれこれ六年目だ。

(そういえば、同期の井上が「四か月目の私にはとうてい見習えないものです」といって苦笑していたな。あの浅部さんというのがこの方か)

 一郎はそのとき大事なことを思い出したが、それよりもっと重要なことがあって、肝心のそちらのほうはもうすっからかん、何も思い出せないのだった。

「犬塚、ですか……?」

 といいながら、上目遣いに部長のリクライニングチェアのほうを見る。部長は、小さく、「はやくわしのほうを見んか」といった……「どうしてわしを見る」ような気がした。

「肝心の犬塚は、どこですか」

「そんなこともわからないのか!」


     ✽


 ぴしゃりぴしゃり小言を言う部長の苦言にへいへいと頭を下げながら、宮坂一郎は回想をおえた。

「宮坂ですっ! もう、申し訳ございませーん!」

頭を下げながらちらりと目をやった、その視線の先には。

電話に追われてA4用紙にシャーペンを通して遠隔的に力を放って芯を折って、ボキボキとたらした宮坂家の五男涼の勇姿。

宮坂家は今どき珍しい大家族だった。

「ああ」

 ポケットが震えている。宮坂はそれをとめた。

「ぷる」

 失礼、といって一郎はトイレに行った。

 

    ✽


 トイレから出ると、涼が「まってました」という風に出迎えてくれた。

「どれだけ待ってもでてこない

 待つ! のこの道三十年」

テンポよく、涼はいいきった。笑顔が消えて、真顔になった。「だいじょうぶ?」

 ああ……と一郎は答える。自信がなかった。

「でも、ほんとに」

「母みたい」

思わず唇からこぼれた本音、というのはありきたりな表現だが、ではほかにこれをどう表現することができるのだ……。

「そっかあ」

 のらりくらりな涼がふわり、と笑った。なんだか無邪気にうれしい。


 もう怒られてもいいや――。

 トイレから出ると部長の面があった。待ち構えていたように、涼の電話が鳴った。


     ✽


 涼は電話に出た。

「たろちゃん 次男☆電気あんま」

 次男の太郎、電気あんまがうまい――を、次男曰く「倒置法の組み合わせ」で25字以内におさめた――からの着信だった。

「いまどこだ?」

「いうまでもないだろ」

 向こうで激しく笑う太郎を想像して、思わず笑みがこぼれた。同じ黒よりのグレーのスマホを持っている、太郎が――。

話すことがないが、太郎とつながっていたいので、今さっきの一郎の話をした。

太郎はときおり笑った。相槌も打った。(こんな兄いいよな)と涼が思うほどだ。

「開き直ることには長けているよな」

それがまず感想だった。

「だよね……」

当然かぁ、と太郎が笑う。

「……なに? ハルタが……え! ごめんきるわ!」

唐突に電話が切られた。


    *


まあそれも、太郎らしいか。

涼が仕事に戻る。

一郎が叱られていた。


    *


「一難去ってまた一難。涼君。君はこんな兄のことをどう思う?」

 部長がきいた。

 一郎は涼に向かって泣きそうな目をした。

(たのむよ……)

 部長は無理難題をだしたなと思ったのか、一郎を取り巻いていた暑くるしい空気から、宮坂の体内を換気させた。

(たの……)


    *


《15:30 宮坂一郎 HPが20さがった!》

《部長のあつい攻撃で弱ったので水をのんだ。5回復したが水がなくなった。》

《仁丹が残り8粒しかない! 薬局に買いにいった。暑かった。体力が5さがった。》

というわけで部長は疲れ果てて会社をあとにした。

夕陽が見える気配は一向にないまま十六時を迎えた。


    2


 尾崎豊をききながら一郎は軽い足取りで「おふろの王様」へ向かった。

――たいしていいことあるわけじゃないだろ?――

 おそらくその時代に生まれたサラリーマンのほとんどはこの歌詞に励まされているし、もしそうでなくても歌の解釈はできるだろう。その数少ない例外がこの話の主人公だ。

「どうしていいことないのかな? コジ〇ジはいつもお風呂につかってるけどなぁ……」

 男性に高音が高すぎるのか――結論。被験者A(40代)は地声をつかい、高すぎると思われる。



    *


 自分が被験者とはつゆ知らず、軽い足取りで成蹊大学キャンパスのような並木を駆け抜けていく一郎と男はつらいよのマドンナはこの世で一番はなやかなふたりだ。

 おふろの王様に――到着した。ほとんど木造で、露天風呂もありそうなつくりだ。いかにもプライバシーを徹底している王様が設計したような雰囲気だ。

「どうもー」

 と一郎はいった。

 冷房が涼しい。

 一郎は木でつくられた靴箱から鍵を抜きとった。

 受付はU字に囲まれていた。三人の店員が三人の客に対応している。

 一郎はどこが早いか見定めた。真ん中に向かうと、後ろから舌打ちが聞こえてきた。

「あっ、すみません……!」

 後ろに人がいたらしい。一郎は左端のレーンにどいた。

 大浴場へは緩い上り坂だった。

 左側の青い男湯に一郎はむかった。


     *


 暖簾をくぐって服を脱ぐ。次に、裸体にはモザイクの素をかけてみよう。これは水と混ざるとモザイクになるから男の恥ずかしいところに塗るとして。

 内湯から見ていこう。

「いーゆだな」

 まず暑くも寒くもないお風呂に入ることにした。

「ババン、いーゆだな♪」

 五分ほどつかり、次に一郎は、椅子型の温泉に背中からつかった。

「はあー」

 足を組みながら自然とついたため息が、天に高くのぼっていった。


     *


「おう、宮坂。こんなところでなにしてる?」

「あっ、あれ、宮坂さんか!」

宮坂はそれが嘉部よしぶ真率まりつだとわかるまですこしかかった。嘉部真率課長に、桜井さくらい隼士はやとくんか。背の高い新人の兄貴的存在はいっぱいいる。嘉部はともかく、一郎はその限りではない。曰く、「新人に教育するなんて。ぼくもまだまだ新人でね……」よくわかっているではないか。

「あー、桜井さん!」

一郎は、(帰ったら仁丹飲もう)と思いながらサウナと水風呂で整って、源泉にもつかって、リラクゼーションバスにも入浴して帰ったのだった。








































    第二話 第二亀の湯――サウナ・水風呂


     


 飲み会も残業もなかったその日、一郎が社宅に帰ったのは二十二時をまわったころだった。

「一郎、武蔵関駅におりまーす!」

 ことあるたびにこういうふうに叫んでいる。

なるほど、納得がいった。いつもの終電より二本はやい電車に乗って嬉々としている二十代のなかでも、四十代の一郎がめだつのはこういうわけだ。

「さどんです~♪」

 しかし、今日はなにやらいつもと違うこともぼやいている。

 それはこういうわけだった。一郎の「たのしかった~♪」から時間を巻き戻してみよう。


     1


 涼は、十九時すぎに社宅に帰ったが、それから二十分ほどして社宅から出て、外の空気を体内に取り込み始めた。

「遅れないようにしなきゃ」

 今日は大事な用事が夜にひかえているのだ。

 ここからさらに数時間前のことである。

 涼が二件目の取引先をおえて自分のコンクリートづくりの机に身を任せると、机の上に何かが置いてあるではないですか。

 汚い字だったが、こう読めた。

「いちろです

 きょう19じ

 さどんです

 場所くわしくは

 あとできいてね いちろより。.


 「いちろです」と「いちろより。」が重なっている。長い手紙ならともかくも、こんなメモのような……

 いや、ありえるな、と涼は思った。「一郎のことだ。本気で書いてこれしか書けないにちがいないが……さどんです? サドンってなんだ」

と、こうしたふうにいろいろぼやいてみて、ある一つの可能性に思い当たった。

 涼は、一郎がトイレに出たすきを見計らって、手紙をおいた。

 一郎が見たら、さぞ驚くにちがいない……。


     *


 予感が当たった。

 一郎は、

「よお、誰だ手紙置いたの?」

 ときいた。

「筆跡からすると、涼だな~」

「うるさいですよう」

 桜井隼士が一郎をなだめる。

「理宇か……あ、ハヤト、おまえじゃないのか?」

 何人かぼやいてみて、一郎はある見当違いの可能性に思い当たった。

「ち……がいますよ」

 実際はそれほど見当違いではないのだが。


     *


 涼は、ハヤトの筆跡に似せてあの手紙を書いたのだ。

 その手紙にはこう書いてあった。

「りょうかい。しかし一つ条件アリ。くわしくわこの手紙を書いただれかさんから

 きいてね。」

盗み見たのか? とまだ聞いている一郎のことを思って、涼はおかしくなった。


    2


 サドンデス当夜


    *


 一郎は、いった。

「涼。きたのか」

「はい」

 社宅の前にて。一郎と涼ははなしていた。

 夜だ。影がのびていてもおかしくないが、その影は雲でかくれている。

「どこがサドンデス会場ですか?」

「ここだ。まあいいからついてきてくれないか」

「まあ、いいっすけど……」

 涼は腑に落ちないまま一郎の後をついていく。

 やがて一郎の足がとまった。

「ここ……ですか?」

 涼は唖然としたまま突っ立っている。

「こら、ジムのほうにばかり気を取られるな!」二階はジムだった。

「へ、あ、ここか!」涼にもわかった。「あー、なつかしー!」表札はこう読めた――「第二亀の湯」。


    3


 もともと「勝負」がはじまったのは2年5か月18日前からだ。

 ――「お風呂アピール計画」。

 計画書をまとめたのは涼だ。

「涼……いい加減にしてくれよ?」

 一郎も呆けるほど、それは大雑把な計画書だった。

「アピール用紙」 5x3=15

き う ね ゆ  ぼ

て ぎょ ん は  く

ね う そ 1929  の

 例は以下の通りである。


    *


 暗号もどきを作った。カギは以下の通りだ。将棋と考えてくれれば簡単。

「よこ左より1~5

 たて上より1~3」」


    *


  しかしこの遊びは開始からついに一回も行われなかった。そして今日が来た・

「俺たちの一番知ってるここにいこう!」

 というわけだ。


 涼は以下の通りまとめた。

「3つの湯があるプライバシー厳守。」

 一郎はうーんとうなった末こう書いた。

「あつい湯さむい湯すずしいゆだよ。」

「チョット書き直させてくれっ」

 一郎は以下のように書き直した。

「暑イ湯モ寒キ湯モ涼シキ湯ナリ。」

 なんだか読みにくくなった。

「あつ、い、ってどう書くの?」

「キってどっちからだっけ?」

「えっと「。」ってどっち回転だっけ?」


     *


 結果。

 審判員5人は二十点満点で19,20,20,3,3だった。八十五点である。涼は、満足した。

 対して一郎のほうは、13,8,5,5,5で三十六点だった。修正前は16,14,12,18,18で七十八点とまあまあの得点で、半減したわけだ。

「くそー」

 結果。

 涼の勝ちでサドンデスはおわった。



 楽しかったね。

 また、戦いをしよう。

 戦いの場所は、



 次の日、涼のデスクにそんな手紙が置いてあったが、肝心の場所は切り取られていた。






























     祭の湯――循環

      


 ある朝のことである。

 朝といっても、四時や五時ではない。七時終わりの、そういった「朝の終わりの朝のことである。本当ならばその朝、宮坂一郎はデスクの前でパソコンを前に、

「ASOBI、あそび……あれ? あそゔぃになった」

などぼやいているはずだったが、その朝は異変が起きていた。

 宮坂一郎は特急に揺られていたのだ。

「久しぶりの出張だからね~、なにせ~♪」

 準急を何度か乗り換えて着いたのは所沢。そこから売れ残りのラビューを狙って、成功した。そんなわけでいま宮坂一郎は横瀬についた。

 ここから西武秩父駅までは普通の各駅停車でも一駅なので、せっかくだからと一郎はここでラビューを降りることにしていた。

 一郎は各駅停車に入ったかと思うと降りた。

 ほんの一瞬で西武秩父駅に着いたのである。


     *


 取引先を何件かまわろう……と思ってホームを出た瞬間、ビビッと足が襲われた。

 これは近くに温泉があることを示す合図だ。

「土地勘――左」

 左へ向かうとそれはあった。


 祭の湯――発見。


     *


 その温泉は豪華だった。赤地に金色で「祭」の一文字がどこかの武将のかぶとのような存在感を放っている。

 千九百三十二年創業のわが社の初代社長は上村雄介だが、雄介の資産をすべて捧げてもこんな豪華なことはできまい。

 なんてのんきなことを思っていたのもつかの間、一郎はスーパージェットの悶えるような痛みに耐えていた。が、ふっとよぎるものがあった。

「仕事、わすれてた~!」





  ベルさくらの湯――かけ流し


     1


 これは、宮坂一郎が練馬区の本社からたった一つの支店である栃木支社に移った一年のはじめを彼とともに過ごした同じく移った桜井隼士の手記である。


     *


 僕のいる会社では栃木支社に移ることを「ちいさな左遷」と呼んでいました。僕みたいな働く力の弱い社員が栃木支社にいるのですからそういわれて当然です。というか文字通りちいさな左遷でした。僕らと僕の同期の新留誠一郎というやつが交代しました。

 さて当社ではウォーキング対抗戦をやっていますが、毎週栃木支社の完勝です。なぜかって? いや、栃木支社のほとんどが平社員か課長だから歩くのに余裕があるのです。

 1位 むらすけ 89336歩――栃木支社

 2位 りんごりん 77735歩――栃木支社


 というふうに。ちなみにこの年、本社はやっと十三位とかに食い込んでくるだけでした。支社全体でもその差は明らかでした。


 1位 栃木支社 63925歩 29人

 2位 本社 9353歩 354人


 というふうに。さて、データだけ書いても仕方がないので、今年のことを書きましょう。今年は宮坂一郎という歩かない社員のちいさな左遷によってウォーカーの差は珍しくどっこいになりました。逆転されかけたときもあるほどでした。


    *


「行きつけの温泉というのがあるんだよ」

 栃木支社に軽い挨拶をして、冷房から放たれた瞬間、宮坂一郎がいった。

「いいですね~」

 否定する理由はないので肯定した。

「だろ?」


      2


 ベルさくらの湯は良い湯だった。あえて中は明かさないが、いい湯であることは間違いなかった。中でも僕が気に入ったのは透明な、かけ流し湯だ。

「そうかな? ぼくは循環湯がすきだけど……」宮坂一郎はわからないという顔をしていたが、(ま、好みは人それぞれだしね。)と思い直したのか、うん、とうなずいた。

「あ……部長。え? 僕は本社に戻れって?」

 一郎がきいた。

「いや、ハヤトがって?……そうですか。『よろしくお伝えください。』ですね。はい、よろしくお伝えしておきますー」

 こうして僕は本社に戻ることになった。



































スパジアムジャポン——更衣室


      2019年5月25日


 新しくできた温泉施設にいった。

 塩サウナがあった。

「うわ~♪」

 と喜んだ。

「おとなげないですね。申し訳ありません。」

 

一郎は点をうって、う~んと次の文を考えた。

 そして日記帳の次を書くことにした。


    2020年6月3日


 ドライブで田無のほうまでいった。バスがあると知り、バスで向かうことに。バス停がないのですこしとまどったが、いろいろ確認し、無事バスに乗れた。氷風呂がつめたかった。人が百人くらいいた。


「まるで新宿の夏のように人がごたごたでした。もう一日、行った日があります。」


    2021年6月3日


 6時45分


「急げ!」

 と言いながら走っていた。自分を鼓舞するために、田無への電車にいった。


 7時36分


「おんせん」

と一郎はいった。

「おんせん!」とも「『おんせん……。』と一郎はしずかにいった。」とも書けない。

 ただ、――おんせん、と一郎が言っていることだけは見えた。


 8時12分


 バスに揺られながら一郎は鼻歌をうたっていた。「旅人のうた」である。2番を9回くらい歌っている気がするが、気のせいだろうか。

 まあいいや。

 水風呂がやっぱりつめたかった。


     *


「やっぱり僕は風呂が好きです。


≪要望≫

 お風呂タイムをつけてほしい。


――3日後――


 誠に申し訳ございませんが、今回の要望承認はお見送りさせていただく形になりました。





























宮坂一郎氏の優雅な社宅


     


 宮坂一郎氏は過ごすあてのないまま有給休暇をやっと手に入れた。三年間働いて、ついに三日ゲットできた!

「よっしゃ……」

 宮坂一郎氏は趣味で小説を書いている。サイトの印税で月三十円くらい稼いでいる。

(一年で三百六十円ってことは、五年やったら温泉が入れるかな)と考えたのだ。

 今月はいっぱい投稿したので百円もらえた。

「百円で、当てのない旅にでるか……」

 のちに、この「三日百円旅日記」は大ベストセラーになり、宮坂一郎氏もこれのおかげで月千円ばかりは稼げるようになるのだが、そんなこと宮坂一郎は知る由もない。


 ここに、その原文を記しておこう。推敲する前だからかなりめちゃくちゃな文章に仕上がったが。


      一日目


「優雅な社宅だぜ~♪」と自分で作った歌を歌いながら、僕は社宅をあとにしました。

「あ~、いい湯だ~」と叫んでいる自分を想像して笑っちゃいました。

 百円なら電車にも乗れません。やっとう〇い棒が八本買えるだけです。

「百円か……」

 たったの、と吐き捨てて、僕、宮坂一郎は空を見上げます。夜になりました。

 所持物は以下の通りです。

 歯磨き粉 2日分

 おにぎり 9個

 携帯電話(万が一用)充電83パーセント

 かばん

 水筒(中に軟水40ミリリットル程度)


 食べ物と、歯の健康は補償されていますがけがは補償されていないわけです。


     *


「関町図書館」が水が多いのであした、ここに向かうことに決めました。

 夜は公園にテントで泊まっていた人からテントをわけてもらいました。感謝して十円払おうとして、逆に三百円もらいました。いや……と言ってそのうちの五十円だけ相手に返しました。所持金

+250円 350円


 ドラッグストアで水を2本買って百三十円使いました。残り220円

 図書館で歯磨きをして、本を読んで、シャワーは公園の手洗いの水を頭にかけました。

 スマホで小説の印税を三十円ばかりマネーにして、コンビニで現金にしました。残り250円。

(ついでにドラッグストアでゼリー飲料を買った。残り十円になった。もう何も買えない。)

 夜は、心優しい方の家にとまらせてもらいました。

 三日目。お結びを食べて、食べて、食べてたら日が暮れました。印税が五百円入っていました。なんか、ある小説が売れたようです。

 換金して、ココアを買いました。

 お結びが余ったのでお隣さんに分けたらお礼として八十円くれました。

 五百九十円もらった。
































     おわりに――瓶はかならずリサイクル!


 沼津平成は大の温泉好きです。マニアとは言えませんが、好きならだれにも負けません。負けない自信があります(といっても、たまに負けたりします、はい。)

 水風呂はサウナの後でもいいけどジェットバスの後のほうがすき。うまい具合にふやけてるから。という謎の風貌をした僕の温泉の思いが届いてくれたら最高です。

 締めの文句が思いつかないので、書くか書かないか迷っていたまぼろしの三行を書いて、この短編集をまとめます。


     *


 今日も日本のどこかで、宮坂一郎は仕事をしに、いや温泉つかりに走っている。

 いつか——(ああ、宮坂みたいだな、あいつ)と思えるような人が温泉につかっていたら……

それは、宮坂一郎か、沼津平成か、温泉好きのだれかでしょう。


 

























     おまけ・生まれ故郷を訪ねる旅


 一郎は生まれ故郷の沼津をたずねるつもりだ。

「どうやって行ったっけな――」

 と言って手帖をパラパラめくる。

「あったあった、これだ」


 所持金は二千円。列車をつかっていった。としか書いていなかった。しかし、それでもいいや。

 聖隷病院にいければ、それでいいや。

あまりいい情報は見つからなかったが、悪い気はしなかった。        

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沼津平成とその家族の小説アンソロジー 沼津平成 @Numadu-StickmanNovel

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