第45話 発見

 2037年7月7日。

 私は朝一番で開発室に集まった宇田賀、鹿島さん、本原、英さん、そしてオンラインで話を聞いている御鍵に向かって言った。


「わかったことがあります」


 皆が私の方を見て、私の次の言葉を待っている。私は続けた

「宇宙イルカに特有な脳の部位、通称、部位Xのことは、以前に説明したと思います」

「バンドウイルカでは使われていない、宇宙イルカの脳だけで活動が確認されている部位のことだな」


 宇田賀が答える。私は、ディスプレイに紺の脳活動のデータを写す。青くぼんやりと光る部位をカーソルで示して言った。


「ここです。イルカとして過ごしている時は、このように常時緩やかに活動しています。何をしているのかはわかりません」


 私は次に、脳の半球をフルダイブさせた時の、人のアバターを動かしている紺のデータを示す。


「フルダイブしてアバターを動かしている時のデータです。部位Xのは少し反応が変わっていますが、活動しています。点滅するような動き、たまに激しく活動します」

「ああ、そこまでは聞いたよ。もし、フルダイブ時に部位Xの活動が止まっているなら、体の崩壊と結びつけられるのにな」

「ええ、ですが、それが間違っていました」


 宇田賀が驚いて身を乗り出す。私は現在の仮想世界の様子を写したデータをディスプレイに並べて表示させた。フルダイブした紺がいつもの部屋の中にいるのが写っている。


「フルダイブ時には、部位Xの役割が変わっているんです」


 仮想世界の中の紺は、一人手持ち無沙汰にウロウロしていた。私が操作をすると、そこにパッと花束が出現した。


「わあ。初めて見た花だ。おいしいね!」


 ディスプレイには仮想世界の紺の様子と、紺の脳の活動がリアルタイムで並んで写っている。紺が花束を持って鼻を近づけると、部位Xが激しく反応した。それを見て、宇田賀がニヤリと笑う。


「なるほどな」

「え、どういうこと?」

「匂いを嗅いだだけじゃないですか?」


 英さんと本原が疑問の声を上げる。私は二人に向かって答える。


「そう、紺は匂いを嗅いでいます。イルカの嗅覚は機能していません。イルカにそっくりな宇宙イルカも同じです。そんな宇宙イルカの脳が五感が再現された人間のアバターにフルダイブした。人間の感覚を再現したフルダイブ用アバターからは、当然嗅覚の信号も脳に送られる。普段処理していない嗅覚情報を処理するために割り当てられたのが、たまたま部位Xだったのです」


 宇田賀は腕を組んで大声で笑った。


「はははっ、なるほどな! 脳の機能っていうのは結構柔軟らしくて、人間でも事故なんかで損傷した部位の機能を他の部位が補うことがある。それに、健康な人でも一時間半目隠しをされると、触覚刺激に対して視覚野が反応するようになるって聞いたことがあるぜ」

「先輩。なんですか、その微妙にいやらしい情報は?」

「そう感じるお前がいやらしいんだよ」


 宇田賀と本原のやり取りに苦笑しながら、私は頷いた。


「はは……でもその通りです。私は脳科学の専門家ではないので、多分そうだろうとしか言えませんが……おそらく、人のアバターにフルダイブをした時点で、脳の機能のマッピングがリセットされるようなことが起きているのではないでしょうか? 人の体の使い方を覚え、元々存在しない器官の機能が割り当てられていく時に、たまたま嗅覚が部位Xを使うことになったと考えられます」

「俺達は人間の体の扱い方を覚えた後の紺ちゃんと蒼ちゃんのデータばかり見ていたから、気がつかなかったのか」

「蒼はきっと、人間の体の『コツ』を紺から習っている。それで、紺も同じ脳の部位を使うようになったと考えられます」

「なるほど……となると……」


 腕を組んで考え事を始める宇田賀。すると、本原が手を上げて言った。


「先輩、つまり、結局どういうことですか?」


 宇田賀が呆れた顔で言う。


「本原、少しは自分で考えろ。つまりだな、俺達は遠回りをしていたんだ。宇宙イルカ特有の活動をする謎の部位Xは、人間のアバターにフルダイブさせると本来の活動をしなくなるんだよ。その状態で調べているからダメだったんだ」

「そういうことでしょうね。紺達のフルダイブしてない方の脳で深層心理を仮想世界化してそこに入れば、何かがわかるかもしれません」

「何かって?」


 鹿島さんが尋ねる。私は肩をすくめた。


「さあ? それは、やってみなきゃわかりません」

「はははっ、俺達らしいな。よし早速やってみよう。社長、良いよな?」


 宇田賀の問いに、オンラインで話を聞いていた御鍵が答える。


「もちろんです。ところで、これはある筋からの情報なんですが、警察の方で数日中に紺ちゃんと蒼ちゃんを『押収』する動きがあるそうです」


 押収。その響きにドキリとする。まるで武器や薬物じゃないか。


「なんでそんな情報知ってるんだよ、社長」

「まあ、そこは置いておくとして、もう本当に時間が無いということです。〈ムロメ・デンノウ〉の方でも怪しい動きがある。せっかく旭君が面白いアイデアを出したのです。出来るところまでやろう。責任は私が取ります」


 私達は互いの顔を見て無言で頷き、それぞれの行動を開始した。


 私は実験用プールのプールサイドに屈んで、紺と蒼の様子を眺めていた。いつまでもこんな二人の姿を見られると思っていた。でも、そんなことは無いということも、どこかではわかっていた。だからって、もう少し時間をくれたって良いじゃないか。

 紺が私の前で口を開けてミニャ、と鳴く。スマートグラスから流れる紺の声。


「みりに、何か新しいことをするの?」

「そうだよ。今度はフルダイブしていない方の、イルカの紺の深層心理を仮想世界にしてフルダイブするんだ」

「へえ! おいしそうだね」

「ふふ、最後まで美味しそう、は治らなかったな」

「最後?」


 体を横にして疑問を表す紺。


「紺達を、人間同士の争いに使おうとしている人達がいるんだよ。だから危険だっていって、紺達を連れて行こうとしているんだ」

「敵のドローンを落とすの?」

「そうだね。でも、敵とは限らないかもしれない。そんなことさせない。私達の目的を達成したら……いや、たとえ達成しなくても、紺達は海に逃すからね。そうしたら、また会える」

「えー、海は広いけど、みりにも、ゆうこもいないし、ドローンも飛ばせないし、映画も見られない。おいしくないよ」

「そうだね……ごめんね。僕達の都合で勝手に捕まえて、勝手だよね」

「そんなことないよ……あ!」


 その時、紺がキュッ! と嬉しそうに鳴き、潜っていた蒼も頭を出した。振り返ると、鹿島さんが私の後ろに来ていた。


「美理仁君。もうすぐ準備が出来るって。はあ、なんだか急だよねえ。気持ちの整理が付かないままだよ。これから私達は、紺ちゃんのイルカの深層心理に入って、『何か』を探すってことで良いんだよね」

「はい。何があるのかわかりませんが」


 紺がカリリリ……と鳴いて言った。


「みりには、宇宙イルカの秘密が知りたいんだよね。でも、ごめんね。私もわからない。私の中にあるのかな?」

「どうだろうね」

「それがわかったら、お別れなの?」


 紺が体を横にしてイルカの目で私達を見た。隣で蒼は口をパクパクさせている。鹿島さんが目頭を押さえて言う。


「紺ちゃん達は、私達とお別れしたくない?」

「うーん……」


 紺は答えに悩むような素振りを見せた。そしてググググ……と低い音で鳴いてから言った。


「しょうがないよ!」


 私と鹿島さんは顔を見合わせる。私は立ち上がった。


「行きましょう。私達のやった来たことをは武器としての彼女達の有用性を示すことが目的じゃない。宇宙の秘密を知るんです。それを示すべきです、それがわかれば、何か今の状況も変わるかもしれない」

「そうだね……じゃあね。紺ちゃん。向こうでね。蒼ちゃんも後で遊ぼうね」

「わあい。終わったらイカちょうだい」

「いか、おいしいね!」


 準備を整えた宇田賀達がこちらに向かって合図をした。私達はフルダイブVRルームへと向かった。これで良い。これが最適解だと言い聞かせる。しょうがないのだ。

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