第四章
第42話 本来の目的
2037年6月10日。
六月に入り、〈ミカギテクノロジー〉東京ラボのとりあえずの修繕が終わって、私達は紺、蒼の研究を再開していた。ただし、それもいつまで続けられるかわからない状況だった。
三月に発生したILFによる横浜でのテロ未遂事件は、世間に大きな衝撃を与えた。大惨事の可能性があったことに加え、宇宙イルカがそのテロに利用されようとしていたこと、そして、宇宙イルカの紺がそのテロを防ぐ活躍をしたことが大きく注目された。木之実ちゃんの事件に続いてのお手柄だ。紺は褒め称えられた――最初のうちは。
やがて、世間は宇宙イルカの武器としての危険性を問題視し始めた。事件後に警察に事情を聞かれた私達は、宇宙イルカのドローンパイロットとしての適性について詳しく説明した。このことはニュースでも取り扱われ、宇宙イルカの操縦するドローンは秘密兵器でもなんでも無くなった。おかげで、私達がILFから狙われる心配は無くなったのだが、当然「そんなに有用ならぜひウチでもやろう」という人達が出てきた。国内外の複数の企業、団体、政府機関が、宇宙イルカの戦闘ドローンパイロット化に関する研究を開始したのだ。今まで一部の組織しか使えなかった高コストの高級AI操縦ドローンに対抗可能なドローンパイロットが太平洋を泳いでいて、簡単に手に入るのだ。使わない手は無いし、もし「敵」が宇宙イルカを使うなら、こちらにも対抗手段が必要になる。こうして、第二次宇宙イルカ研究ブームがやってきた。だが、今回のブームは宇宙の秘密に迫るというロマン溢れるものではなく、もっぱら戦いのためのものだった。
宇宙イルカが武器になり得るという考えが広まると、そんなものを民間人が扱って良いのか? ということが議論になった。当然、規制すべきという流れになり、日本では、宇宙イルカの所持を規制する、「武器転用可能生物等の所持、及び取り扱いの規制に関する法律」、通称〈宇宙イルカ規制法〉の法案が国会に提出され、成立に向けて動き出していた。早ければ今年中にも、民間企業が宇宙イルカを所持することは原則不可能になる見通しだった。国外でも大体似たような法規制の議論が行われていた。
つまり、突然私達にタイムリミットが設定されたのだ。〈宇宙イルカ規制法〉が可決されれば、私達は宇宙イルカを合法的に研究することが出来なくなる。そして、それは紺と蒼との別れを意味していた。
プールサイドに腰掛け、私は大きなため息をつく。まだ一部がブルーシートに覆われた東京ラボのプール棟。外から響く波の音が、以前より大きく聞こえる。
一つ大きな悩みが去ったと思えば、また新しい「ため息の原因」がやってくる。人生とは、そういうものなのだろうか。しかし、今回ばかりはどうしようもない。
紺は、蒼とボールを奪い合って遊んでいたが、私の前にやってきて体を横にし、手を振るようにパタパタと胸びれを動かした。
「みりに、ため息つくと、幸せが逃げるよ!」
「ははは……どこで覚えたんだ、紺。そうだね」
風に煽られて、天井に貼られたブルーシートがパタパタと音を立てる。事件後、私達はしばらく〈宇宙イルカ天使の会〉の〈東京神殿〉に厄介になっていたのだが、規制法案の提出を受け、日程を前倒してここに戻ってきたのだ。
ここで、〈宇宙イルカ天使の会〉の現状について話をしておこう。彼らは私達以上に悲惨な状況になっていた。逮捕された曽理音と佐藤以外にも、事件後の警察による捜査で数人のILF構成員が潜り込んでいたことが発覚した。彼らはの一部は逮捕され、残りは行方をくらました。裏から多額の資金援助をしていたILFとの繋がりが無くなったことで、〈宇宙イルカ天使の会〉は一気に資金難に陥った。さらに、世間にはILFが運営していた危険なカルト教団と認識されてしまい、ILFと関係のない支援者まで去って行ってしまった。今は代表の鹿追と少しばかりの純粋な支援者が残り、宇宙イルカの数を減らして設備の規模を縮小することでなんとか〈東京神殿〉を維持しているという有様だ。なお、代表の鹿追は本当にILFとは一切の繋がりはなく、ただ利用されていただけだったという。
悩んで、走り回って、協力して、何かを成し遂げた気がしていたのに、結局私達は何も手に入れていなかった。
「おーい、美理仁。今日の実験始めるぞ。紺ちゃんに伝えてくれ」
いつものように、私の思考は宇田賀の声で現実に戻された。私は顔を上げ、フルダイブVRルームの中にいる宇田賀に手を上げて了解の合図をし、歩き出した。そう、私達には時間が残されていない。本来の目的である、宇宙イルカの謎の解明。〈宇宙イルカ規制法〉の可決前にそれをどうにか成し遂げたかった。紺や蒼との別れが避けられないのであれば、せめて結果を残したかった。それが彼女達のためでもあると、私は考えていた。そう考えなければならないと、言い聞かせていた。
今、私達は紺達の深層心理から宇宙イルカの秘密に迫ろうとしていた。〈ムロメ・デンノウ〉が木之実ちゃんの事件の際に「治療」に使ったあの技術を使うのだ。
私達は紺達と会話できるようになった。最初は辿々しかった喋り方も、人としての精神を育てるにつれて流暢な喋り方になり、より人らしくなった。私達は紺達が自分達の秘密を語らないのは、それを人間の言葉で言語化することがまだ出来ないのではないかと考えていた。だから、成長すればいつかは謎を知ることができるのではと、根拠のない考えを持っていた。それは、ある意味で逃避だったのかもしれない。
だが今、唐突にタイムリミットが設定されてしまった。悠長なことは言っていられない。そこで私達が考えたのが、深層心理へのフルダイブだった。人のアバターにフルダイブさせた紺や蒼の深層心理を仮想世界化し、そこに私や鹿島さんがフルダイブすることで謎を探るのだ。この方法なら、まだ言語化出来ないような記憶にアクセス出来るのではないかと考えた。だが――
「じゃあ、今日も紺の深層心理に入ります」
「よし、準備できてるぞ。鹿島さんはもう蒼の中に入っている」
「しかし、本当に意味があるのでしょうか?」
私はフルダイブVRルームの椅子に寝そべりながら宇田賀に向かって呟く。天井のひび割れたままの石膏ボードが痛々しい。
「わからん! だが、何もしないよりはマシだろ」
「まあ、そうですけど……」
私は静かに椅子のヘッドレストに頭を乗せ、目を瞑って仮想世界へと落ちていく。数えきれないほど繰り返した感覚。
「みりに! 今日は何して遊ぶ?」
紺の無邪気な声が飛び込んでくる。目を開けると、いつもの部屋だった。私達が紺や蒼に色々なことを教えていた、あの仮想世界の部屋。壁の一面が鏡になっている、あの部屋だ。私は思わず口に出して呟く。
「またここか」
紺の深層心理には、いつもこの部屋しかなかった。そこには少女のアバターの姿をした紺がおり、私に遊んでくれとせがむ。これでは、今までとやっていることは変わらない。いくら壁の鏡を覗き込んでも、廊下に繋がる扉のノブを捻っても、壁や床を穴の開くまで見つめても、何も起こらなかった。イルカの絵が描かれたカーペットの敷かれた床、そこに転がるボール、飾られた花からは甘い匂いがしている。それだけだ。何も起こらなかった。
「みりに、おいしくない? 遊ぼうよ。もうすぐお別れなんでしょ?」
紺が私の顔を覗き込んで言う。既に、紺達には私達の状況を説明してあった。紺のバーチャルタレントとしての活動も今は休止し、〈アクアリウム〉での配信もしていない。
「そうなんだ……だから、それまでに知りたいんだよ」
「またそれ?」
「君達が何者なのか、君達はどこから来たのか。誰に作られたのか」
紺はにっこり笑って答える。
「私はこん。宇宙イルカ。どこから来たのかは知らない。私はみりに達に作られたんだよ」
「違う……! 君達は宇宙から来たんだ。作ったのは私達じゃない」
「嘘じゃないよ。宇宙って空の上だよね。ねえ、宇宙にはどうやって行くの? ドローンで行ける?」
「ドローンでは行けないよ。ロケットかな」
「わあ! ロケット! アポロ計画!」
私は床に落ちているボールを拾いながら、クスリと笑う。
「ふふ、なんでアポロは知っているんだ? ああ、宇田賀さんがまた映画を見せたんだね」
「私は、月に行きたい!」
「それは……家に帰りたい、みたいなこと?」
紺はきょとんとした顔で首を傾げた。
「何言ってるの? 私の家はここだよ。みかぎてくのろじい、だよ」
「そうか……そうだね。遊ぼうか」
私はボールをぎごちなく紺に向かって投げる。私のヘロヘロのボールをキャッチして、綺麗なフォームで投げ返してくる紺。私は受け取れなかった。
「みりに、真面目にやってよ!」
「はは、怒られちゃったな」
私は紺とキャッチボールをした。
今日も成果はなかった。
タイムリミットは近づいている。
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