第39話 帰ってきた一頭
時刻は正午。
ここからは、鹿島さんと佐藤の視点だ。これは私が後で鹿島さんに聞いたり、〈東京神殿〉の仮想世界の記録を見たもの、また途中からはオンラインのテレビ通話で見たり聞いたりしたものだ。
〈東京神殿〉の宇宙イルカ達が人間、いや天使のアバターで過ごす、大樹の仮想世界。今日は代表の鹿追もおらず、その時はちょうど昼休みに入って巫女や神官、そして宇宙イルカ達も仮想世界にはいなかった。そんな閑散とした仮想世界の一つの部屋の中に、佐藤と鹿島さんが二人きりでいた。
「裕子さん。わ、私は、あなたを初めて見た時から気に入っていたんです」
「あら、そうなんですか」
鹿島さんは自分の姿のアバター、対して佐藤は現実世界よりもだいぶ若く見えるアバターを使っている。黒々とした長い髪に、かなりスマートな体型、顔の作りも変えている。それが彼の理想の姿なのだろう。理想の姿になると自信が湧くのだろうか。佐藤は現実よりもかなり大胆に、鹿島さんに迫る。
昔から、VRの用途の一つとして無視出来ないもの。それは、成人向けの性的なコンテンツだ。ましてや、五感が再現されるフルダイブVRとなれば、「そういう用途」での使い方を想像しない人はいないだろう。実際、〈ムロメ・デンノウ〉は大っぴらに宣伝してはいないものの、フルダイブVRを使った性風俗店が都内には既に存在するのだ。仮想世界なら自分も相手も理想の姿形になれるし、実際の体が傷ついたりすることもない。
私達のように、宇宙イルカと会話して宇宙の秘密に迫ろうなどという使い方の方が珍しいのかもしれない。ともかく、佐藤はこの時、「そういうこと」をしようと鹿島さんに迫っていた。もちろん鹿島さんが佐藤に気があるとかではなく、佐藤を仮想世界に留めておくために演技で作り出した状況だ。佐藤はこの時仮想世界にフルダイブし、目の前の鹿島さんに夢中で、現実で何が起こっているかはわからない状態だ。
「裕子さん、いいだろ。ここは現実じゃないんだ。減るもんじゃない」
「うーん、どうしよっかなあ」
鹿島さんは悪戯っぽく笑う。
「へへ、僕には秘密があるんだ。仲良くしておいた方が良いと思うよ」
鹿島さんの顔がピクリと引き攣る。
「へえー、そうなんですかあ。すごーい」
「へへへ……」
佐藤が鹿島さんの体に手を伸ばす。その時、二人がいた部屋の扉がゆっくりと開いた。佐藤がそれに気がついて振り返る。
「ん? 誰だ?」
ゆっくりと、部屋の中に背中に羽の生えた少女が入ってきた。驚く佐藤。なぜなら、その少女の姿はブラフマーのものだったのだ。少女は言った。
「わたし、かえってきたよ!」
「な? なんだって?」
「ブラフマーちゃん!」
鹿島さんが少女に駆け寄る。
「ブラフマーちゃん! まさか、生き返ったの?」
佐藤は驚きで何も言えないようだ。少女は首を横に振った。
「ちがうよ。わたし、しんでない」
「え?」
佐藤が慌てた様子を見せる。
「おい、ちょっと待て――」
「わたしは、さらわれたの。さとうと、そりねにさらわれた」
佐藤は一瞬無表情になり、やがてヘラヘラと笑い出した。
「へへへ……何を言って……ああ、そうか、ブラフマーのアバターを使っているだけだな。誰だ、こんな悪戯をするのは? まさか曽理音か?」
ブラフマーの姿をした少女は、佐藤を指差してニッコリと笑って言う。
「くるまの中はせまいから、かえってきた。うちゅういるかは、しゅんかんいどう、できるの」
「し、瞬間移動?」
「ブラフマーちゃんが生き返った! 佐藤さん、奇跡ですよ!」
「くっ、そんなバカなことがあるか」
そう言って、佐藤は急いで仮想世界を出て現実世界へと戻った。フルダイブVRルームの椅子の上で目覚めた佐藤は周りを見回すが、室内には横の椅子に寝そべる鹿島さん以外は誰もいない。やがて、鹿島さんも現実に戻ってきて目を覚ました。佐藤がフルダイブVRのシステムを確認すると、一頭の宇宙イルカが確かにブラフマーのアバターにフルダイブしていた。
「ふん、どいつか知らないが、ブラフマーのアバターを使っているだけだ」
「佐藤さん、どうしたんですかあ?」
佐藤は鹿島さんを無視してフルダイブVRルームを出ると、渡り廊下を走ってエレベーターで下に降りた。佐藤がプールの前でピッとホイッスルを吹くと、一斉に宇宙イルカ達が頭を覗かせる。佐藤はその数を数えて、青い顔を浮かべた。
「……! 十二頭いる……!?」
後を追って降りてきた鹿島さんが、プールの宇宙イルカを見て言った。
「ほら! ブラフマーちゃんがいるじゃないですか! ブラフマーちゃん、生き返ったんだね!」
鹿島さんが一頭の宇宙イルカの吻にタッチすると、そのイルカは口を開け、カリリ……と鳴いた。
「そんな、本当にブラフマーなのか? ブラフマーが戻ってきたのか?」
「わからないんですか? 佐藤さん。一目瞭然、じゃあないですか。よく見てくださいよ」
佐藤は目をパチパチさせ、プールから頭を出して賑やかに鳴く十二頭のイルカ達を見る。宇宙イルカに武器としての興味しか持っていなかった佐藤には、宇宙イルカ達の見分けがつかないのだ。何度数えても、そこには十二頭の宇宙イルカがいた。佐藤の額に汗がつたる。佐藤は一人、スマートフォンを抱えて物陰へと移動した。
佐藤はスマートフォンで連絡を取った。当然、ブラフマーを運んでいる仲間に、である。
「おい、
「はい? コンテナの中ですよ。準備は出来てます。もう飛ばしますか?」
「いや、確認しろ、本当にいるのか?」
「当たり前じゃないですか」
「沼田、いいから、早く確認しろ!」
しばらくして、コンテナを確認した相手が答える。
「いますよ」
「なんだって……どういうことだ? 戻ってきた宇宙イルカは一体なんだ?」
その時、物陰に隠れていた鹿島さんが佐藤の前に現れ、言った。
「佐藤さん。さっきからおかしいですよね。なぜ、生き返った、ではなく、戻ってきたなんですか? 誰に連絡していたんですか? 一体、何を確認していたんですか」
「う……うるさい、盗み聞きとはなんて女だ。お前には関係ない!」
鹿島さんはニッと笑って、自分が出てきた物陰に呼びかけた。
「というわけで、このおじさんの声が大きいからもう聞こえたと思うけど、相手は沼田ってやつだよ。これでわかる? 曽理音さん」
「ああ、十分だ。沼田は三号車。ナンバープレートの番号も覚えている。担当エリアは木更津市周辺、東京湾を超えて横浜まで飛ばす気か」
物陰から現れたのはウェットスーツ姿の曽理音と本原だった。
これで、ブラフマーの居場所が判明した。
時間は少し戻る。午前一一時三十分頃。
〈東京神殿〉の近くの海沿いにやってきた私達は、トレーラーから蒼の入ったコンテナを下ろし、そのまま海の中へとコンテナを自走させて落とした。特製のコンテナはまるで小舟のように浮かぶようになっており、そのまま水上で開くことで中の宇宙イルカが泳いで出入りが出来るのだ。コンテナから東京湾の水中へと出た蒼は、楽しそうにパシャパシャと胸びれを動かした。私は蒼に呼びかける。
「蒼。よろしく頼むよ」
蒼はキュッ! と鳴き、頭を上下に動かす。今はフルダイブしていないから会話はできない。その時、ちょうどトレーラーの荷台からウエットスーツを着た本原と曽理音が降りてきた。本原が腹を気にしながら言う。
「慣れないなあ、ウエットスーツ。少し太ったかな?」
荷台の上から、宇田賀はふん、と鼻を鳴らして言った。
「俺への当てつけかあ? 本原。ガリガリだろ。もっと食べろ」
「嫌だな、違いますよー」
「重大な任務なんだぞ。フルダイブVRの設定、しかも、初めての設備でやるんだ。本当にできるのか? やっぱり俺が行くか?」
本原は胸を張って答えた。
「任せてください。俺だって〈ミカギテクノロジー〉のエンジニアなんですよ。それに、先輩のサイズのウエットスーツは無いじゃないですか。先輩こそ痩せないとこういう時に困るんですよ。そもそも先輩泳げないでしょ」
「う……まあ、それはそうだが……」
私は二人に向かって言った。
「さあ早くしましょう。鹿島さんにはもう連絡してもいいですね?」
「ああ、頼む。よし、ここからはスピード勝負だ。早くしないと、鹿島さんが佐藤に……」
「急いでください」
私に促され、曽理音と本原は東京湾へと入った。二人とも私より運動神経が良いからか、難なく立ち泳ぎをしている。その横に蒼が身を寄せ、普段は見ない人間二人の立ち泳ぎを見て面白そうにキュウキュウと鳴いて口をパクパクさせている。そして、二人は蒼の背に跨った。
「よし、作戦スタートだ!」
曽理音と本原は、蒼の背に乗って東京湾から〈東京神殿〉へと向かった。
二人が〈東京神殿〉に向かった後、私は鹿島さんに連絡をした。作戦内容を説明し、今からできるだけ佐藤を仮想世界の中に留めてほしいと頼む。鹿島さんは静かに、わかったと頷き、通信は切れた。
蒼の背に乗って東京湾から〈東京神殿〉に侵入した曽理音と本原は、それぞれの行動を開始した。まずは内部構造をよく知っている曽理音が入ってゲートを開け、東京湾から〈本殿〉のプールへと蒼と本原を入れる。プールから上がった本原はフルダイブVRルームに走り、そこで蒼のフルダイブの準備をする。この間、佐藤は仮想世界の中で鹿島さんに夢中で気がつかない。
本原は蒼をブラフマーが使っていた少女のアバターにフルダイブさせ、仮想世界に送り込み、その後はフルダイブVRルームから出て隠れておく。そして、仮想世界の中でブラフマーのフリをした蒼が佐藤に話しかけるのだ。「わたし、かえってきたよ」と。鹿島さんもうまく話を合わせてくれた。
予想通り、佐藤は現実世界に戻り、プールに行って宇宙イルカの頭数を確認した。そこにはブラフマー以外の〈宇宙イルカ天使の会〉の宇宙イルカ一一頭に加え、蒼がいる。個体を識別できない佐藤は、合計十二頭の宇宙イルカを見て、本当にブラフマーが戻ってきたのかと驚く。そして、ブラフマーの居場所に連絡をして確認する。これが作戦だ。
結果、佐藤は作戦通りにブラフマーを運ぶ仲間に連絡を取った。曽理音が仲間の名前と担当の車両、エリアを覚えていたから、佐藤が連絡を取った名前からブラフマーを運ぶ車両を特定できたと言うわけだ。
そして時間は戻る。
私は罠にかかって困惑する佐藤の様子を、鹿島さんがスマートグラスで繋いでくれたビデオ通話で見ていた。唇を噛み、鹿島さんと曽理音を睨みつける佐藤。曽理音が叫ぶ。
「スマートフォンを奪え! 連絡させるな!」
「この、セクハラオヤジめ!」
鹿島さんが佐藤に飛び掛かる。
「くっ、何をする!」
鹿島さんは佐藤からスマートフォンを奪い取った。曽理音が言う。
「よし、これで連絡はできないな。あとはブラフマーを運んでいる車両のナンバープレートと、横浜襲撃の情報を警察に流せば、解決だ」
「曽理音! 裏切ったとは聞いていたが……なんてことを!」
「俺は、間違っていたんだ。佐藤さん、一緒に罪を償おう。ILFのやり方は間違っている」
「ふざけるなあ! こんな世界は一度ぶっ壊さなけりゃならないんだ。そのために必要な犠牲だ。宇宙イルカだろうとなんだろうと、使えるものは使う。それが革命のために必要なことだ!」
そう叫ぶと、佐藤は懐からもう一台のスマートフォンを取り出し、走り出した。
「な、もう一台持っていたのか!」
「待てえ! エロオヤジ!」
鹿島さんと曽理音が追いかける。スマートフォンで連絡をしながら、逃げる佐藤。
「おい、今すぐ作戦を開始しろ! ドローンを飛び立たせるんだ! すぐに――」
「うりゃあ!」
鹿島さんの鋭い蹴りが佐藤のスマートフォンを蹴り飛ばす。だが、遅かった。床に転がった佐藤のスマートフォンからは「了解」と言う声が返ってきた。
様子を通信越しに見ていた私と宇田賀は、顔を見合わせた。
「はあ、どうやら出番が来てしまったな」
「こんなこともあろうかと、ってやつですね」
宇田賀はニヤリ笑った。私も釣られてニヤリと笑う。私は確かに変わったのかもしれない。
「紺、ドローン発進だ」
私のスマートグラスから元気な紺の声が返ってくる。
「わあい! 世界は、私が守るよ!」
黒い翼に紺色のラインの引かれたドローンが、空に飛び立った。
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