第38話 第二波

 午前九時頃。

 ILFからの攻撃を紺のおかげで凌いだ私達だったが、ゆっくりしている時間はなかった。曽理音が、第二波攻撃があるかもしれないと言ったのだ。


「攻撃が失敗したのは、奴らもわかっているはずだ。それに、表に停めておいた俺が乗ってきたトレーラーも見られた。俺が裏切ったことがバレた。これで俺も追われる身だ」

「お前……」


 帰還させたドローンのバッテリーを充電しながら、宇田賀が言う。


「ゆっくり話を聞いている時間はなさそうだな。曽理音さん、あのトレーラーだが、イルカは乗せられるのかい?」

「あ、ああ。あれはILFが宇宙イルカドローンの運用のために作った移動拠点だ。防水の専用コンテナを載せている」

「そりゃあ、都合がいいな」

「曽理音、そんなものがあるなら、最初から紺達と一緒に逃げればよかったじゃないか」

「積み込んでいる時間はなかっただろ。別にイルカを載せようと思って乗ってきたわけじゃない。今日の作戦では撹乱も兼ねて複数台のトレーラーが街中を走り回る予定だった。そのうちの一台を俺が奪ったんだ」


 それを聞いて、宇田賀が顔を顰めた。


「今日の作戦? 今日の作戦に宇宙イルカのドローンを使う予定だったのか? ちょっと待て、もしかして、俺達以外を攻撃する予定もあるのか?」

「ああ。そっちが本命だ。横浜のイベント会場。今日の午後、毒ガスと爆弾でそこを攻撃するんだ」


 本原が渇いた笑いを上げた。


「はは……大量虐殺じゃないですか……」

「曽理音。なんで、どうして、そんなことするんだよ。『情報の解放』とやらとなんの関係があるんだよ」


 曽理音は両手を広げ、泣きそうな顔で私達に言った。


「俺も、あんな団体だとは思わなかったんだ! 今日開かれるイベントに、AI推進派の議員が出席するんだとさ。それに、〈宇宙イルカ天使の会〉の鹿追も出るから、都合が良いんだ」

「どういうことだ?」


「〈宇宙イルカ天使の会〉はILFが乗っ取るつもりで裏から支援していたんだよ。佐藤はこの機会に鹿追を殺し、完全に〈宇宙イルカ天使の会〉を奪うつもりだ。宇宙イルカの養成施設として活用するんだよ」

「佐藤……? あの、佐藤次郎右衛門か? もう一人の〈宇宙イルカ天使の会〉の幹部の?」


 宇田賀がパン、と自らの頭を叩いて言った。


「あー、そういうことか。佐藤もILFだったんだな。だから、ブラフマーを気付かれずに盗めたんだ」

「そうだ。あいつは〈東京神殿〉の警備システムを管理している。ブラフマーを盗む時のカメラやゲートの開閉記録は全てあいつが改竄した。そして、あいつはILF日本支部の上級幹部だ。俺も最近まで知らなかった。舐めていたよ」


 なんということだ。曽理音ばかりを気にしていて、佐藤には全く気が回っていなかった。佐藤は共犯どころか、黒幕の一人ということだ。

 本原がソワソワと開発室の中を歩き回りながら言う。


「ねえ、そんなこと今はどうでも良くないですか? 早く逃げましょうよ。また来るんですよね? もうバッテリー無いから、対抗できないですよ」

「本原の言うとおりだ。とりあえず、あのトレーラーに紺ちゃんと蒼ちゃんを積んで、ここから動こう。足が無い宇宙イルカ達を動かせるようにするのが優先だ。警察を呼んでも間に合うかわからん」

「そうですね……」


 私達は分担して作業を始めた。私と曽理音は、トレーラーをシャッターからプール棟に入れ、紺と蒼を乗せる。宇田賀と本原は会社のコンピューターから重要なデータをコピーして持ち出す担当だ。

 トレーラーには電動で自走可能な専用コンテナが宇宙イルカ3頭分搭載され、さらにゲートにリフターも搭載されていたのでフォークリフトがなくてもコンテナの積み下ろしが可能だった。胸びれのところに穴の空いたイルカ専用の担架に紺と蒼を乗せ、プール棟のクレーンで吊り下げて専用コンテナの中へと移す。紺も蒼も暴れることなく大人しく、担架に包まれながら頭を少し上下に動かしてキュウキュウと鳴いていた。紺がここに来た日のことを思い出す。まさか、初めての外出がこんなことになるとは。

 専用コンテナに紺達の頭の上が出るくらいの水を浸し、背中には皮膚が乾かないように濡れたタオルをかけた。私が初めて操作するトレーラーのリフターをおっかなびくり操作していると、曽理音がトレーラーの荷台から袋に包まれた土のようなものを降ろし始めた。


「曽理音、なんだ、それ?」

「これは……塵だ。これをプールに撒いておく。二頭分には少し少ないが、騙されてくれるかもしれない。偽装工作だよ」

「なるほど。プールに大量の塵が残っていれば、紺達は死んだと思わせられるということか。ブラフマーの時も同じ手を使ったんだな」

「そうだ。俺が考えた」


 私は少し迷ってから、曽理音に尋ねた。


「曽理音。お前、幌屋木之実ちゃんの事件の時に現場にいたのか?」


 曽理音は信じられないものを見る顔で私を見た。


「な……なんで……お前がそれを知っているんだ……?」

「木之実ちゃんを目覚めさせるために深層心理に入った時、事件の記憶の中で紺がお前の足音を聞いたんだ」


 それを聞いた曽理音の足はブルブルと震え出した。声は掠れていた。


「ああ……俺は、俺は……止められなかったんだ。野小屋に毒を盗ませたのまでは計画通りだった。でも、久須田が実際に使うって言い出して……言い争いになって、久須田が野小屋を殺した……俺は、見ているだけしか出来なかった」


 コンテナを積み込みながら、私は曽理音の言うことを黙って聞いていた。


「そして、久須田と俺は二人で逃げた。途中で事故を起こして……俺は、そのまま逃げようって言ったんだ。だけど久須田は、目撃者を消すって言って降りていって……」


 曽理音は顔を覆って唸るように言った。


「うう……止められなかった……どうしようもなかった」

「その久須田は、お前が自殺に見せかけて殺したのか?」


 私の問いに、曽理音は顔を上げ、首を必死に横に振った。


「違う! 俺じゃない。ILFの別のやつだ。信じてくれ! その後、怖くなって抜けられなくなった。何か成果を出さないと、俺もやられると思った。それに、成果を出してILFで上に行けば、まともな団体にできると思ったんだ。それで、宇宙イルカを利用する案を出した……そうしたら、もっと酷いことが起こった……もう、どうしたらいいか、わからなかったんだ」

「……」


 私は、トレーラーの荷台の上から曽理音を見下ろした。そこにいたのは、とても私の前でウィスキーのグラスを揺らしていた余裕のある男と同一人物とは思えなかった。

 だが、私もこうなる可能性はいくらでもあった。あの日、イルカショーを見なかったら、宇田賀に出会わなかったら、紺と出会わなかったら、フルダイブVRを使う案を自分の中で留めてしまっていたら、曽理音の疑惑を誰にも話さなかったら……色々なタイミングや選択が積み重なって、私はたまたま今の立場にいる。それだけなのだ。そして、これから先、どうなるかはわからない。

 曽理音も同じだったのだ。答えを求めて、悩んで、そして決断して、うまくいったり、いかなかったりしながら、今ここにいる。曽理音は決して完璧な男ではなかった。私と同じ、ただの人間。ただのホモサピエンス。どちらが上でも、下でもなかった。

 私は、トレーラーの荷台から曽理音を見下ろしながら言った。


「曽理音は、助けを求めるべきだったんだ」


 曽理音は何も言わずに大きなため息をついてから、作業を再開した。

 作業には三十分ほどを要した。ほとんど作業が終わったと同時に、西の空から黒い点が並んでこちらに飛んでくるのが見えた。本原が悲鳴に近い声をあげる。


「うわ! 本当に第二波が来たあ!」

「ちぃ、金持ちだな、ILF!」

「宇田賀さん、本原、早く」


 運転席には曽理音、その助手席に私が座った。宇田賀と本原は荷台に飛び込み、ゲートを閉じる。


「行くぞ!」


 トレーラーが出発する。すぐに後方から無抵抗の東京ラボに爆弾が炸裂する音がして、サイドミラーで後ろを見ると、建物からは煙が上がっていた。私は唇を噛んだ。


「ああ……私達の会社が……」


 午前十時頃。

 爆撃される自分達の職場からなんとか逃げ出した私達は、あてもなくトレーラーで街を彷徨っていた。運転は曽理音、助手席に私が座り、荷台には宇田賀、本原、そして紺と蒼が乗っている。運転席と荷台はスピーカーとマイクで会話ができるようになっていた。スピーカーから、本原の声がした。


「なんで、俺達走り回ってるんです? 早く警察に行きましょうよ」

「あ、ああ。すまない、ちょっと覚悟が決まらなくて」


 曽理音が言いにくそうに答える。その時、宇田賀が言った。


「それより、曽理音さん。ブラフマーちゃんの場所はわからないのか? 午後の横浜のテロを止めないと犠牲者がたくさん出るぞ」

「そうだ、曽理音。早く、そのことを警察に知らせないと」


 運転をしながら曽理音は答える。


「今、これと同じようなトレーラーが四台、関東一帯を走り回っている。ブラフマーがどのトレーラーに乗せられているかはわからない。俺が裏切るのを予想していたのかもしれない」

「誰なら知っているんだ?」

「佐藤だ。あいつが、今日の作戦の指揮を取っている。あいつは、〈東京神殿〉にいるはずだ。それと……警察に通報するのは待った方が良いかもしれない」


 その言葉を聞いた私の視線に、曽理音は運転しながら被りを振る。


「勘違いするな。俺はちゃんと自首するよ。だが、ブラフマーの場所がわからないまま警察に通報しても、それを察知して逃げられるだろう。佐藤は危険を感じたらすぐに行方をくらまして、新たな計画を立てる。先に佐藤を逮捕しても、ブラフマーが向こうにいる限り、ILFの他の誰かが作戦を引き継ぐ」

「つまり、ブラフマーちゃんを救うには、佐藤の居場所がわかっていて、作戦の概要もわかっている今日がチャンス、ということか。そうすれば今後のテロも防げると。うーむ」


 スピーカー越しに宇田賀が唸る。私は、後ろを振り返って言った。


「宇田賀さん、警察に言って、横浜のイベント会場からの避難だけでも先にしたほうが良いのでは? 少なくとも犠牲者は出ないでしょう」

「目標の会場の状況は常に監視されている。避難が始まれば、ドローン攻撃を早めるか、作戦を中止して逃げるだろう。奴らもせっかくの秘密兵器は失いたくない」


 曽理音の言葉に、スピーカーから本原のため息が聞こえた。


「はあ……ILFって想像以上に規模がデカいんですね。あと、金持ち!」

「それは同感だ。曽理音さん、荷台にある設備って、フルダイブVR装置だよな?」


 私は驚いて曽理音を見る。ちょうど、トレーラーは信号で停車したところだった。曽理音は肩をすくめて言った。


「ILFの資金源を知ると驚くぞ。俺も全容は知らないが、中にいたらなんとなくわかったよ。アメリカのAI独占状態が気に入らないのは、何も失業者だけじゃない。今の状況が気に入らない『国家』はいくらでもある。某国が核兵器やミサイル開発にかけていた金の一割でもテロ組織に回せば、こういうことにもなるさ。それに、混乱は金を産む。ILFは、色々な勢力にとって『ちょうど良かった』んだ」

「はあー。ILF、闇が深いですねえ」


 本原が呑気に言う。信号が青に変わり、曽理音はトレーラを発進させた。


「俺は、純粋に、今の世の中の歪さを変えたかった。純粋すぎてお笑いだよな。美理仁、お前には言ってなかったが、俺、前の会社を解雇されてたんだよ。それでILFに入った。ちょうどお前が転職して少し経った頃だ。もしお前が転職していなかったら、ILFに誘ったかもしれない」


 私は、あったかもしれない未来を少しだけ想像する。曽理音の後ろにくっついて、ILFでテロ活動をする自分。少し前の自分なら、ありえた未来だ。


「そうか……俺はあの頃、自分のことで精一杯で、何も気が付かなかったよ」


 もし、あの時私がもう少し注意深く曽理音の話を聞いていたら、曽理音の顔をしっかり見ていたら、何かが変わったのだろうか? そう考えて、意味のなさに被りを振る。私はパン、と手を叩いて、話を切り替える。


「それより、どうするかをこれから考えましょう」


 曽理音が運転しながらふっと笑った。


「変わったな、美理仁。よかったよ。本当によかった」

「曽理音、その言葉はまだ早い。先にブラフマーの場所を特定しないと見失って、また犠牲者が出る可能性が高いんだろ。一緒に方法を考えよう。協力してくれ」


 荷台のスピーカーから宇田賀が言った。


「俺に考えがある。それには、鹿島さんの協力が必要だ」


 午前十時三十分頃。

 私は、〈東京神殿〉にいる鹿島さんに音声通話をかけた。数コールの後に聞こえてきた鹿島さんの声は、とても慌てた様子だった。


「美理仁君! ねえ、無事なの?」

「鹿島さん、こっちの状況を知っているのですか?」

「ニュースで、〈ミカギテクノロジー〉東京ラボで火災、ってやってるよ! ねえ、紺ちゃん達は?」


 通話はスピーカーモードにしていたので、曽理音や宇田賀達にも聞こえるようになっていた。横で話を聞いていた曽理音が言う。


「近所の人が通報したんだろう。あんな辺鄙なところでも、煙が上がれば気がつくさ」

「辺鄙で悪かったな」

「え? 曽理音さん? なんで曽理音さんの声がするの? どういうこと?」


 まずい。私は慌てて鹿島さんに尋ねる。


「落ち着いて、鹿島さん。紺も蒼も、人間達もみんな無事です。それより、周りに佐藤はいますか? もしいるなら、すぐに移動してください」

「ええと、今はいないけど」

「じゃあ、佐藤が絶対に来ないところ……女子トイレにでも移動してもらえますか?」


 その後、移動した鹿島さんに、私は今朝からの出来事と今の状況を伝えた。鹿島さんは唸るように言った。


「うう……佐藤め。やっぱり! あのセクハラ親父。許さない。今から殴りに行くね!」

「鹿島さん、落ち着いてください。それで、お願いがあるんです。佐藤からブラフマーの居場所を聞き出すために罠を仕掛けたい」

「罠?」


 私達にはある作戦があった。佐藤を騙し、ブラフマーの場所を突き止める作戦だ。だが、そのためには私達が準備を整える間、佐藤の目を逸らす必要があったのだ。そのために、〈東京神殿〉にいる鹿島さんの助けが必要だった。


「鹿島さん。私達が合図をしたら、佐藤を仮想世界の中に留めておいてほしいのです。三十分、いや、二十分で良い」

「ええ? どうやって?」

「ええと、なんとかできませんか?」


 横から曽理音が口を挟んだ。


「鹿島さん。あなたも知っているように、佐藤にはあまり褒められない趣味がある。あなたなら、曽理音を引きつけられるはずです」

「……ああ、そういうこと」


 鹿島さんがはあ、と大きなため息をつくのが聞こえた。


「わかったよ、やってみる。イルカ達を悪いことに使おうなんて許せない。任せて」

「お願いします」


 私は鹿島さんとの音声通話を切った後、曽理音に尋ねた。


「佐藤のあまり褒められない趣味ってなんなんだ?」

「ああ……ええとな」


 曽理音は言いにくそうに口ごもる。


「佐藤は、仮想世界の部屋に女性を連れこむんだよ。一応、相手の同意の上でだがな。仮想世界、しかもフルダイブだろ? まあ、色々都合が良いらしい。警備担当だから記録は消せるしな」


 私は、〈東京神殿〉を訪問した時に、佐藤が巫女の女性と仮想世界の密室で二人きりになっていたのを思い出し、拳を握りしめた。


「十五分、いや五分でやりましょう。鹿島さんが危ない」


 スピーカーから宇田賀の慌てた声がした。


「気持ちはわかるが、無理を言うな! いくら俺でも出来ないことがあるぞ」

「す、すみません」

「先輩は鹿島さんと宇宙イルカのことになると、いつも無茶を言うんですよ。わかりやすいな」


 私達のやりとりを聞いて、横で曽理音が笑う。


「ふふ、美理仁。これが終わったらいい加減、鹿島さんに告白するんだな」

「う、うるさい。早く目的地に向かえよ」

 曽理音はアクセルを踏み込んだ。私達のトレーラーは〈東京神殿〉へ向かっていた。

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