第36話 朝の来訪
翌日、2037年3月5日。午前八時過ぎ。
私達の長い一日が始まった。時間の流れが一定はないことを、私はまた思い知る。
昨夜は一人でサーバールームに行き寝袋に包まっていたが、結局ほとんど寝られずに朝日を拝むことになった。一方、宇田賀はほとんど徹夜で何かを作っていた。完成した物はまるで隠すようにどこかに持って行かれてしまい、結局なんだったのかわからない。
窓を開けて鳥の声を聞きながら、朝日が輝く東の海をぼーっと見ていると、私の肩を同じく寝不足の顔をした宇田賀がポンと叩いた。
「帰らなくて正解だったぞ」
「どういうことですか?」
首を傾げる私に、宇田賀は自分のスマートフォンの画面を見せた。そこには赤い文字の通知が踊っていた。
「昨日、俺の家に侵入者の反応があった」
「侵入者?」
「俺の自宅には、自作の防犯システムがついてるんだ。まあ、おもちゃみたいなもんだがな。昨夜、何者かが侵入した。おそらく、だたの泥棒じゃない。俺を狙っていたんだ。そして、きっとお前の家にも行っているぞ」
私は口をパクパクさせ、言葉を探す。
「な、なんで……私の家に?」
「俺達は今や立派な宇宙イルカの専門家だからな。そして、ドローンパイロットとしての宇宙イルカの有用性に気が付く可能性があった。実際にそうだったしな」
「まさか、ILFですか?」
宇田賀は頷く。海鳥の声が大きく響いた。
「昨日のテロ事件で、奴らは宇宙イルカの有用性を確信した。巨大AI企業に対抗しようとするILFにとって、宇宙イルカは秘密兵器になる。秘密兵器は独占してこそ価値がある。皆が知っていれば、結局規模が大きいものが勝つからな。だから、ILFは宇宙イルカの価値に世間が気付く前に、それを知る可能性のある人間を消そうとしているんだ」
「それで……私達を狙っている? はっ、だから曽理音も家に帰るなと言っていたのか」
「何? 美理仁、お前、曽理音に連絡したのか?!」
宇田賀が私に詰め寄る。
「す、すみません。どうしても、話すべきだと思って……ILFだということは否定しませんでした……自首を薦めようとしたんです。でもあいつも、『家に帰るな』って言ってたんですよね」
「それは妙だな……?」
その時、入口の方で物音がして、私達は同時に息を飲んだ。セキュリティゲートが反応する音がして、荷物を肩にかけた本原が現れた。
「おはようございまーす。あれ、二人とも泊まったんですか? 徹夜の顔をしてますね」
呑気な顔の本原を見て、私達は同時に安堵のため息をつく。宇田賀が尋ねた。
「今日は早いな、本原。昨日の夜、何か変なことはなかったか?」
「へ? いや……あ、ありましたよ!」
「なんだって? それで、無事だったのか?」
「それが、ゲームのガチャで最高ランクのキャラが二回連続で出たんです! こんなことってあります? すごくないですか?」
呆れて肩をすくめる宇田賀。本原の呑気さが今は嬉しい。宇田賀は本原に状況を説明し、ポカンと口を開けたまま聞いている本原の顔を見て、最後に言った。
「ま、奴らにとって本原はただの従業員その一、くらいの感覚なんだろうな」
「ひどいや! 俺だって、もう一人でフルダイブ装置の設定できますよ!」
私は少し安心して笑いながら、宇田賀に尋ねる。
「宇田賀さんの家の警備システム、誤作動ってことはないんですか?」
「いや……多分それはない。いずれにしろ、奴らは失敗した。だが、これで引き下がるとは――」
その時、車が敷地内に入ってくる音がした。顔を見合わせる私達。鹿島さんと御鍵以外は皆、自転車通勤だ。私達が揃ってエントランスに向かうと、大きなトレーラーが一台、前に停まっていた。資材の搬入などの予定はなかったはずだ。私は宇田賀に尋ねる。
「また宇田賀さんが勝手に何か頼んだんですか?」
宇田賀は青い顔をして答える。
「いや……今日は何も……まずい、逃げろ!」
「え?」
トレーラーの運転席が開き、一人の男が降りてきた。馴染みのある顔、馴染みのある体型、いつかどこかで見た服装。だけど、ここに来るはずのない男。
それは、曽理音だった。
「曽理音?!」
私は降りてきた幼馴染の顔を見て固まった。グレーのスーツを着た曽理音は、真剣な顔でまるで睨むように私の目を見ていた。
「美理仁。生きていたか」
「曽理音、どういうことだ? ここに、何をしに来た?」
「おい、美理仁、逃げるぞ!」
私の服の袖を掴んで宇田賀が叫ぶ。ほとんど同時に曽理音が言う。
「待ってくれ! 私は、味方だ……多分」
曽理音は私達に手を伸ばし、まるで泣きそうな顔でそう言った。私は宇田賀に袖を引っ張られながら、まっすぐ曽理音を見つめ返して尋ねる。
「曽理音。お前は、本当にILFなんだな」
「そうだ」
間をおかず、曽理音ははっきりと答えた。ズキリと私の胸が痛んだ。
「どうして……ここに何をしに来た? まさか」
「話は後だ。もうすぐここが襲われるんだ」
「え? なんですか? どうしたんですか?」
本原は何が起こっているのかわからず、きょとんとした顔で立ち尽くしている。宇田賀が頭を抱えた。
「ああ、やっぱり! 次の標的はここか!」
「時間が無い。あと三十分ほどで、爆弾を抱えたILFのドローンがここに飛んでくる」
「なんだって!」
曽理音はトレーラーを指差して私に言う。
「美理仁、逃げるんだ。俺と一緒に来い」
「逃げる? ふざけるな。紺と蒼を置いて逃げられるか」
曽理音は少し驚いた顔をして目を見開いた。
「美理仁……」
「大体、お前がやっているんだろ? 曽理音、お前がILFなんだろ? じゃあ、やめさせろよ! 今すぐに!」
私は曽理音に詰め寄り、その胸ぐらを掴んだ。そんなことは生まれて初めてやったから、上手く掴めなかったけれど。曽理音は戸惑った様子で言う。
「お、俺は、ILFを抜ける! お前を死なせたくないんだ。昨日の電話でまだ間に合うって思って……だからこうして、伝えに来たんだ。お前達は狙われている。早く逃げよう」
「ふざけるな! そんな都合の良いこと……俺がどれだけ悩んだと思っているんだ! なんでだよ! どうしてテロなんか……八人死んだんだぞ。しかも宇宙イルカを、ブラフマーを使ったんだろ! お前、許さないぞ!」
怒り慣れていないから、声が裏返ってしまう。曽理音はそんな私を泣きそうな顔で見て、目を逸らした。
「そこまで気がついていたのか……そうだ。俺が宇宙イルカにドローンを操縦させるアイデアを思いついた。お前と紺ちゃんがゲームをやっている配信を見てな。そして、〈宇宙イルカ天使の会〉を隠れ蓑にして、そこで育てたブラフマーを死んだと見せかけて盗んだ。だけど、俺はデモンストレーションだって聞いてたんだ。本当に爆弾と毒ガスを使うなんて知らなかった。本当だ!」
クシャクシャの顔で、私に涙目で訴える曽理音。
なんだ、その顔は。いつも余裕があって、知的で、なんでも知っていて、私に正解を教えてくれた曽理音はどこへ行ったんだ?
「おい、美理仁。そこで喧嘩している場合じゃない。こうなったらやるしかない」
宇田賀に言われ、私はスマートグラスに表示された時計を見ながら唇を噛む。
「……そうですね。紺と蒼をどうやって動かそう……くっ、三十分だって? トラックの手配が間に合うわけない」
「いや、違うぞ。美理仁。迎え撃つんだ。ドローンを全部撃ち落とす」
「はい?」
その場にいた宇田賀以外の全員が困惑の表情を浮かべる中、宇田賀はニヤリと笑った。
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