第35話 会議

 私は、曽理音に対する疑惑を全て宇田賀達に話した。宇田賀、本原、英さん、そしてその場にいなかった御鍵と鹿島さんもオンラインで通信を繋いで私の話を聞いてくれた。幼馴染への疑惑を話すのは辛かったし、その内容も確固たる証拠があるものではない。呆れて一蹴されるのではという気持ちもあった。だが、全てを話し終わった私に向かって宇田賀は言った。


「なるほど。よし、作戦を考えよう」

「……信じるんですか? 自分で言うのもなんですが、ちゃんとした証拠はありません」


 私が思わず尋ねると、平然と答えた。


「え? だって紺ちゃんと美理仁が言うんだから、信じるさ」


 それを聞いて、仮想世界から私達の話を聞いていた紺が口を挟む。


「本当だよ! 私、嘘をついたって嘘をついたの。本当にそりねはいたの。やっぱり本当!」

「紺……ありがとう。大丈夫、信じるよ。ごめんね、気を使わせちゃって」


 私は開発室の窓からプールから頭を出していた紺に向かって手を振った。紺はパタパタと胸ビレを動かして答えた。通信で話を聞いていた鹿島さんが言った。


「私、美理仁君が曽理音さんについて何か悩んでいるのは知ってたの。〈宇宙イルカ天使の会〉に出向したのも、それがあったからなんだよ。まあ、それだけじゃないけどさ。バレバレだよ。私を舐めないでよ。動物の気持ちがわからないで、水族館で働けないでしょ」


 私は大きく息を吐いた。もっと早く言っておけばよかったのだ。

 本原が言った。


「ふふふ、しょうがない先輩ですね」

「本原、お前は何も気づいてなかっただろ」

「え? バレました?」


 開発室の中が笑いに包まれる。一人申し訳なさそうな顔をしていた私に、宇田賀が言った。


「美理仁。今更、俺達を巻き込むとか気にするなよ。お前が、最初に紺ちゃんを人のアバターにフルダイブさせるって言い出した時、どれだけ周りが巻き込まれたと思ってるんだ? 俺も社長も鹿島さんも英さんも、みんな大変だったんだぞ。あの時、お前は自分のアイデアに夢中で気がついてなかったみたいだが」

「え、そうだったんですか?」


 鹿島さんが笑った。


「そうだよ。キミってそういうところあるよね」

「う……すみません」

「謝る必要はないよ。何かに夢中になっている時のお前の方が良いって、鹿島さんも言ってたしな」

「ちょっと、宇田賀さん、変なこと言わないでください!」


 私は皆に釣られて笑った。気がつけば、この様子を仮想世界から見ていた紺と蒼も笑っていた。開発室の窓からは立ち泳ぎでこちらを覗くイルカの紺と蒼が見えた。私が周りをよく見ていなかっただけで、みんな、私のことを見ていてくれたのだ。

 私が求めるべきは答えではなく、助けだったのだ。

 宇田賀が場を仕切り直すようにパンと手を叩いた。


「さて! 頭を切り替えて状況を整理しようか」


 宇田賀が開発室の大きなディプレイに自分のコンピューターの画面を映し出し、私が話した内容を整理して打ち込んでいく。


「今、曽理音について三つの疑惑がある。一つは、曽理音がILFの構成員であるという疑惑。だが証拠は無い。木之実ちゃんの深層心理で、紺ちゃんが『聞いた』って証言だけだ」


 英さんがきょとんとした顔で言う。


「それじゃダメなのかい?」

「宇宙イルカの証言で、しかも現実で『聞いた』わけじゃ無いからな。俺達は今の紺ちゃんが意味のない嘘はつかないって信じてるけど、警察はそうじゃない。これじゃ弱い」


 私は無言で頷く。木之実ちゃんのあの世界は、事件の時の記憶が強く刻み込まれたものだとは考えられるが、どこまで正確かはわからない。主観による誇張もあるはずだ。実際、犯人だった久須田の指名手配に用いられたのは、目覚めた後の木之実ちゃんの証言だ。

 皆が頷くのを確認してから、宇田賀が続けた。


「そして、二つ目の疑惑。〈宇宙イルカ天使の会〉のブラフマーちゃんが、本当は死んではおらず、曽理音が盗み出していた。これは……鹿島さん、何かそっちで防犯カメラの状況とかわかりますか?」


 宇田賀に尋ねられ、通信越しの鹿島さんは「うーん」と唸る。


「それがね。こっちでも死因を調べたいからってそういうの見ようとしたんだけど、ブラフマーちゃんが死んじゃた瞬間は映ってないの。もちろん盗まれた瞬間もね。カメラにも死角があるから完璧ってわけじゃないけど」

「東京湾に繋がるゲートはどうですか? 開いていたとかは無いですか?」


 私は尋ねる。


「えーと、昨日の夜の映像は私も全部見たんだけど、何も映ってなかったかな。警備システム担当の佐藤さんも、昨夜は別に不審なことはなかったって。ブラフマーちゃんは隅っこにいるのが好きだったから、カメラの死角にいたときに何かの理由で突然死んじゃったんだろうって、こっちではそうなっているの」

「なるほど……」


 宇田賀が鹿島さんの話した内容を書き加えて言う。


「つまり、二つ目の疑惑も何も証拠はない、ってことだ」

「でも、今日のテロで使われたドローンは宇宙イルカの操縦です。特徴的な動きが――」

「まあ、落ち着け、美理仁。三つ目の疑惑だ。今日のILFのテロで使われたドローンを、ブラフマーが操縦していた。これも証拠は無い。ただ、宇宙イルカが操縦するドローンにはどうやら特徴的な動きがある。そうだろ?」


 宇田賀が私の方を見たので、私は説明を付け加えた。


「そうです。たまに、機体を小さく上下に揺らすんです。おそらく、イルカの体で泳ぐときのイメージが抜けないんでしょう。紺と蒼にフライトシミュレーションをやらせると、二人ともその動きが確認できます。そして、今日のテロで警備用ドローンを撃墜していた一機のドローン、あれも同じような動きをしていました。あと、単純にあのドローンは強かった。ブラフマーが操縦しているはずです。曽理音がブラフマー達にドローンの訓練をしていたということとも繋がります」

「なるほどねえ、よく気がついたねえ」


 英さんは感心したように目を丸くして頷いている。宇田賀が言った。


「いや、そこは分けて考えるべきだ。宇宙イルカかもしれないが、ブラフマーかどうかはわからない。宇宙イルカは太平洋にたくさんいるし、俺達でなくてもマネをすれば会話もできるようになるのは、〈宇宙イルカ天使の会〉が証明してる。まあ、状況からブラフマーの可能性は高いと思うがな。ただ、やっぱり証拠は無いよな」


 私は大きくため息をついた。そうなのだ。全ての疑惑に証拠が無いのだ。もし、一つでも明確な証拠があったら、私も悩まなかったのかもしれない。確証が無いからこそ、幼馴染がテロに加担しているという可能性をなんとか否定したかった。それと同時に紺を信じたい気持ちもあって、私はその二つの思いに挟まれて苦しんでいた。

 私と同じように、皆がそれぞれ考え込んで黙ってしまう。やがて、最初に口を開いたのはやっぱり宇田賀だった。


「俺達が今掴んでいる事実を確認しよう。まずは、今日のテロでドローンを操縦していたのが宇宙イルカらしいということ。そして、宇宙イルカは飛行ドローンの操縦がとても上手い。この二つは俺達が持っているデータで補強できる。あとは、曽理音が宇宙イルカにドローンの訓練をさせていたこと。これは、代表の鹿追を問い詰めれば裏付ける証言が得られるだろう。逆に言えば、それだけだ。曽理音の関与は疑惑に過ぎない」

「やっぱりそうですか……」


 俯く私の肩を宇田賀が叩いた。


「ま、俺達は警察じゃ無いんだ。知っている情報を警察に伝えて、後は〈宇宙イルカ天使の会〉や曽理音を調べてもらおう。それが、解決への道だ」

「ええ、それが最適解だと思います……」


 宇田賀が言うように、そうすればいずれは警察が真実を暴くだろう。だが、そしたら曽理音はどうなる? それまでに、新たなテロが起きる可能性は? ブラフマーはそれまで無事だろうか? 曽理音が本当に関わっているのなら、罪が軽いうちに止めたい。だが、今の私に出来ることは、もう無い。

 通信で話を聞いていた御鍵が口を開いた。


「話はまとまったかな。では、明日、警察に宇宙イルカのドローン操縦の特徴についてのデータと合わせて情報を提供しましょう。宇宙イルカをテロに使われちゃ、うちのイメージまで落ちてしまいます。その前に、止めましょう」

「よし。じゃあ、データは俺と美理仁で今夜のうちにまとめておく。異論はないな?」


 宇田賀が皆を見回す。誰も反対の声は上げなかった。


 緊急会議はそれで終了し、私と宇田賀は警察提出用のデータまとめに取り掛かった。本原と英さんも手伝うと言ってくれたが、人がたくさんいても早く終わるわけではないと断った。帰り支度をしながら、英さんがポツリと言った。


「いやあ、でも、宇宙イルカちゃん達にそんな力があったとはねえ。びっくりだねえ」

「ですねー。先に軍需産業にでも売り込んでおけば、大儲けできたんじゃないですか? 秘密兵器ですよ。AIより強いんでしょ? 残念だなあ。じゃあ、お疲れ様です。お先に失礼しまーす」


 呑気なセリフを吐いて去っていく本原。その言葉を聞いていた宇田賀が反応した。


「秘密兵器……秘密……?」

「宇田賀さん、どうしたんですか?」

「いや、その……もし俺がILFならどう考えるかなって思って……」

「?」


 宇田賀はそう言って目を閉じ、腕を組んで黙ってしまった。しばらく宇田賀はそうしていたが、五分ほどして急に立ち上がり、私に言った。


「悪い。データまとめ作業、先に進めておいてくれ。俺は、ちょっと家に取りに行く物がある」

「ええ? どうしたんですか?」

「ちょっとな。あと美理仁、今日は会社に泊まれ」


 私は首を傾げる。


「別に徹夜でやらなくても、データはまとまりますよ」

「いや、念の為だ。いいか、帰るなよ!」

「まあ……寝袋は常備してありますけど」


 私にもう一度、「家に帰るなよ」と言って、宇田賀は行ってしまった。しばらくして宇田賀が大きな荷物を持って帰ってきた頃には、私はデータのまとめ作業をとっくに一人で終えてしまっていた。


「悪い、悪い」

「なんですか? それ?」

「なんでもないよ。使わないかもしれないしな」


 その後、宇田賀は一人でデスクに向かい、何かの作業を始めてしまった。集中している時の宇田賀は何を話しかけても上の空だ。薄暗い開発室に、私と宇田賀で二人。実験用プールから時折聞こえる水音。外から絶え間なく響いてくる波の音。

 仕方なく、私は一人で今日のことを思い起こす。抱えていた悩みを打ち明けて、楽になった。だけど、結局できることはほとんど無くて、モヤモヤした気持ちが残った。

 いや、本当にできることはもうないだろうか? 私だからできることがあるのではないか? そう、曽理音の幼馴染である私だから出来ること。

 私は、夢中で何かの作業をしている宇田賀を置いて、開発室を出た。暗い廊下で、私はスマートグラスを操作する。音声通話アプリを開き、連絡先をスクロールし、曽理音の名前を表示させる。

 ずっと、曽理音には連絡していなかった。何かを話して、疑惑が確証に変わるのが怖かった。だけど、話すべきだ。そうしないと後悔する。

 私は視線操作でポインターを動かして、一瞬息を止め、目をつぶってから、緑の受話器のアイコンを選択した。呼び出しが数コール鳴って、すぐに曽理音が出た。心臓が高鳴る。いつになっても音声通話を自分からかけるのは苦手だ。私はゆっくり口を開く。


「曽理音、あのさ――」


 すると、私の言葉を遮って曽理音が言った。狼狽えているように声が震えていた。


「美理仁? 無事なのか?!」

「どういうことだ?」

「いや、お前、今どこに……いや、言わなくていい」


 曽理音が困惑している様子が伝わってきた。こんな様子の曽理音は初めてだ。


「いいか、そのまま、そこにいるんだ」

「何を言っているんだ、曽理音?」

「……」


 数秒の沈黙の後、曽理音は言った。


「切るぞ。そこにいるんだぞ。家には帰るな」

「おい、待て! ……待てよ」


 なんとなく宇田賀に聞かれたくなくてひそめていた声が大きくなり、私は慌ててボリュームを落とす。これだけは言っておかなければならない。


「曽理音。お前ILFなのか? もしそうなら、自首しろよ」

「……」


 沈黙が流れた。


「そうか、うん。そうだな」

「曽理音、否定しないのか――」

「だが、その前に、やることがある」


 そう言って、通信は切れてしまった。その後、何度かけ直しても曽理音は出なかった。

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