第34話 テロ
2037年3月4日。
前日の紺との出来事が私の足取りをさらに重くしていた。もう当たり前になった潮風を春の花粉と共に大きく一度吸い、大きなため息をついてから、会社のセキュリティゲートをくぐる。
ちょうどその時、私のスマートグラスに慌てた様子の鹿島さんから連絡が入った。それはなんと、〈宇宙イルカ天使の会〉のブラフマーという宇宙イルカが死んでしまった、という内容だった。通信の向こうの鹿島さんはとても辛そうだった。
「うう……昨日まで元気だったのに……」
「そうですか……原因はなんだったのでしょうね?」
宇宙イルカが飼育下で死亡してしまったという報告は過去にいくつかあるが、その死因が明確なケースは皆無だ。宇宙イルカは限りなく普通のバンドウイルカと同じ体の構造をしているが、大きな違いの一つが死んでしまった時に塵になってしまうということだ。そのせいで死因の把握が難しいのだ。その日の朝、〈宇宙イルカ天使の会〉の職員が、〈本殿〉のプールにイルカが十一頭しかいないことに気がついた。いなくなったのはブラフマーで、プールの濾過装置を確認すると、ちょうど宇宙イルカ一頭分ほどの重さの塵が確認されたという。私は、紺と蒼がボロボロと崩れて物言わぬただの塵になるのを想像しかけ、急いでその想像を振り払った。
「もし、宇宙イルカに特有の伝染病なんかがあるとしたら、交流会は考えた方が良いでしょうね」
「うん……そうだね……はあ。曽理音さんが知ったら悲しむだろうな。ブラフマーが一番懐いていたから」
「そうなのですか……あれ? 今って、曽理音はいないのですか?」
「そうなの。今日はたまたま休みなんだ。はあ。宇宙イルカも死ぬんだね。なんか、忘れてたよ。あ、今、鹿追代表が気を失ってプールの中に落ちた! イルカ達が沈まないように押し上げてる……優しいなあ、みんな」
話を聞きながら、私は何か引っかかるものを感じていた。曽理音がいないのはただの偶然かもしれない。だが……ブラフマーが何か知ってはいけない事を知ってしまい、消されたということはありえないことでもない。いや、私は何を考えているんだ?
「ねえ、美理仁君」
鹿島さんに名前を呼ばれ、私は我に返る。
「な、なんですか?」
「そっちでも何かあったの?」
「いえ……何もありませんよ」
「うーん、嘘でしょ? 声でわかるよ」
この人は何を言っているんだろう? 私は一瞬本気で混乱した。黙ってしまった私に、鹿島さんが言う。
「なんか気になってたから、元々連絡はするつもりだったの。宇田賀さんも心配してるよ」
「ああ、そうですか……」
「私に力になれることがあったらなんでも言ってね。仲間でしょ?」
「……はい」
「じゃあね。こっちもブラフマーちゃんの件でバタバタしちゃって。みんなにもよろしく」
そう言って、鹿島さんからの通信は切れた。
私が実験用プールに行くと、紺と蒼がいつものように水面から頭を出したが、今日は何も鳴かなかった。バケツから魚を放ると、口を開けてパクパクと食べる。紺も蒼も今は仮想世界にはフルダイブしていないから、会話は出来ない。それでも私が喋ればその意味はわかるはずだが、何を言ったら良いかわからなかった。朝ごはんの魚を与える間、私も、そして紺も蒼も無言だった。これではまるで喧嘩した親子か夫婦である。
私が空のバケツを持って出て行こうとすると、紺が小さくカリリリリ……と鳴いた。何を言っているのかは、私にはわからなかった。
その日の昼、私はニュース映像に釘付けになっていた。画面には大きな赤い文字が踊っている。
《ILFによるテロ事件発生! 死者八名 バイオ兵器か?》
その日、ILFはいつものようにデータセンターをドローンで襲撃した。だが、いつもと違ったのはそれが成功してしまったことだった。迎撃に出た警備用ドローンが全て撃墜され、無防備になったデータセンターにILFのドローンが何機も突っ込んだ。しかも、その中に毒ガスを積んだものがあったのだという。データセンター内で働いていた職員八名が死亡し、毒ガスのせいで現場にも入れず、破壊された設備の復旧も出来ないままだった。今回のデータセンターは電子決済に係るものだったらしく、その影響は広範囲に及んでいた。
絶句している私の横で、本原が言う。
「うわー、なんか凄いことになってますね」
「これじゃあ、ただ社会を混乱させたいだけじゃないか。最近のILFは暴走気味だな。『情報の解放』も何もあったもんじゃないぜ」
宇田賀が肩をすくめる。英さんも絶句して何も言えないようだ。
やがてニュース映像が襲撃時の記録に切り替わった。黒い鳥のような固定翼のドローンが編隊を組んで四角い建造物の上空を飛んでいるのを、地上から写したものだった。やがて一機の黒いドローンが編隊を外れて飛び出した。クルクルと天地を気にせずダイナミックな動きで飛び回るその一機は、迎撃に上がった警備用ドローンの背後に回り込み、すれ違いざまにレーザーを発射して撃墜してしまった。すぐさま他の警備用ドローンが殺到するが、ヒラヒラと縦横無尽に動いて攻撃を全て躱し、ものの数分で全ての警備用ドローンを撃墜してしまった。
「あらら。ずいぶん、安い警備用ドローン使ってたんですねえ。コストダウンですか?」
「うーむ。いや、電子決済システムのサーバがあるデータセンターだろ? 軍事用に次ぐ性能のAIを使っているはずだぞ」
私はディスプレイに映し出される黒いドローンの動きに釘付けになっていた。時折、意味もなく機体を小さく上下に振っている。これは、宇宙イルカが操縦している時の特徴だ。宇田賀は気が付いているのだろうか? ちらりと宇田賀の表情を伺うと、ちょうど宇田賀も私の方を見ており、目が合った。
「美理仁……あのさ――」
「えっと、すみません、トイレに行ってきます」
私は逃げるように――実際に逃げたのだが――開発室を出た。
私がトイレに行ったのは事実だ。私は吐き気を抑えられなかった。
人が死んだのだ。八人も!
私は知っていたはずだ。私が想像した通りだった。間違いない、あれは宇宙イルカが操縦するドローンだ。そして曽理音の不在。ブラフマーの死亡。いや、ブラフマーは死んでいない? 宇宙イルカは死んでしまえば塵になってしまうが、その成分はありふれたものだ。いくらでも偽装は出来る。死んだと見せかけて、ブラフマーを盗み出した? 曽理音は〈宇宙イルカ天使の会〉の幹部だ。警備システムの権限も持っている可能性が高い。ブラフマーは一人でいるのが好きで、曽理音に懐いていたと鹿島さんも言っていた。好都合だ。
「うっ……!」
気分が悪かった。幼馴染がテロに加担し、しかもそのせいで人が亡くなった。決定的な証拠はない。だが、今までの積み重なった状況がそれを示している。何より、テロが起こって人が死んだのは紛れもない事実だ。自分はそれが起こるかもしれない可能性に気がついていたのに、何もしなかった。私のせいだ。私が悩んでいたせいで、防げなかった。
「私は……どうすべきだったんだ。これからどうするべきなんだ。教えてくれ、誰か」
私はフラフラとした足取りでトイレを後にした。すると、腰を押さえた英さんに出くわした。英さんは私を見て言った。
「旭君。無理しないでねえ」
「……はい」
ぶっきらぼうに答え、その場を去る。私の何を知っているんだ、と、英さんに対して少し苛立ちさえ感じ、そんな自分にうんざりする。そして、私は気がつけば実験用プールに来ていた。
やっぱり、私はここに来てしまうんだな。
私はプールサイドに座り込み、顔を覆って俯いた。私に気が付いた紺が水面から頭を出し、ミニャ! と鳴く。同時に、私のスマートグラスから声がした。
「みりに! ごめんね。私、嘘をついていたんだよ」
「なんだって?」
私は顔を上げた。紺は必死にひれで水面を叩いている。
「嘘だよ! 元気出して! 嘘だから!」
「……」
「私、嘘つきで、バカなの。人じゃないから! だから、元気になって!」
なんということだ。紺は、私のために「嘘をついたという嘘」をついているのだ。
「紺。もう、いいんだよ。ごめんね。ひどいことを言って。君は、賢くて、優しくて……バカなのは私の方だ」
私はプールサイドの立体ディスプレイの電源を入れ、映し出された少女の顔を見た。紺は泣きそうな顔をしていた。私は、紺をこんな表情にしてしまっているのだ。
いや、紺だけじゃない。鹿島さんも、宇田賀も、ずっと私を気にかけていた。彼らはどんな表情をしていただろうか? 私はちゃんと向き合っただろうか? 私は勝手に一人で抱え込んでいたのだ。
情けない。でも嬉しい。悲しい。でも嬉しい。
私はいつの間にか泣いていた。そして、泣きながら紺に尋ねた。
「ねえ、紺。私は、どうしたらいいのかな」
紺は笑って、元気に答えた。
「助けて、って言えばいいと思う!」
「……」
一瞬の間をおいて、私は大きな声で笑った。こんなに笑ったのは、子供の時以来だった。プールの中に私の笑い声が響き、宇田賀、本原、英さんが何事かと実験用プールにやって来た。蒼も紺の横に顔を出し、戸惑うように口をぱくぱくさせた。
私は、宇田賀達の顔を見て、はっきりと言った。
「相談があります。助けてください」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます