第33話 喧嘩
2037年3月3日。
私が見つめるディスプレイの中では、青い空と白い雲が激しく回転していた。もうすでに私にはどこを向いているのかわからない。だが、紺は正確に「敵機」の場所を把握し、迷いの無い動きで自機を操作している。ババッ、と閃光と共に効果音が鳴り、遅れて爆発音がした。すれ違いざまに機銃で敵機を撃墜したのだろう。すぐにまたグルグルと空が回転し、気が付けば敵機の背後についている。
「あおい、そっちにも行ったよ」
「わあ! みぎがわは、よくみえないね!」
「気をつけてね」
紺は蒼と通信しながらも、目の前の敵機に肉薄し、最小限の動きで機銃をエンジンに命中させた。炎を吹きながら堕ちていく敵機。画面に撃墜の文字が踊る。
私は、紺と蒼にフライトシミュレーターをプレイさせていた。プレイしているのはリアルさで人気のフライトシミュレーター、〈エースパイロット9〉だ。人間のアバターにフルダイブした状態で、紺と蒼は仮想世界の中に作られたコクピットに座り、操縦桿を模したコントローラで器用に戦闘機を操縦していた。今二人がやっているのはAIの操作する敵機から自軍の空母を防衛するというミッションだ。〈エースパイロット9〉のAIは評価が高く、実際の戦闘機パイロットが開発に協力したのが売りだった。今、紺と蒼が戦っているのは、難易度設定を最高にしたものだ。
「へえ、すごいな、こりゃ」
横で見ていた宇田賀が、チョコレートバーを齧りながら言った。私は、静かに「ええ」
と頷く。
以前、紺のバーチャルタレントとしての活動の中でゲーム配信をした際も、フライトシミュレーターが得意なことは知っていた。だが、ここまでとは思わなかった。しかも、仮想世界にフルダイブした状態で、わざわざ仮想の操縦桿を握っているのだから多少のタイムラグがあるはずだ。私は俯いて、自分の考えを整理するように呟く。
「イルカは水中という三次元的な生活空間に適応して進化した。バンドウイルカそっくりな宇宙イルカも似たような脳の構造をしているとすれば、空間認識能力が高いのでしょう。音波の反射で物の位置を知るエコーロケーションの能力とレーダーの相性も良いのかもしれない……」
基本的に地面を歩いて二次元的に生活している人間との違いはそこだろう。左右、前後と同じくらい、上下にもイルカの世界は広がっている。
「あ、被弾した。惜しい! もう少しでノーダメージクリアだったのに」
宇田賀の声に顔を上げると、蒼の乗る機体の耐久力を示すバーが少し減っているのが見えた。私は宇田賀に言った。
「今、脳の左側はフルダイブしていませんから、右側の感覚が鈍いのでしょうね。それでもここまで強いとは驚きです。あと、たまに上下に機体を意味もなく揺らしますね。イルカの体の時の感覚が出てしまうのでしょう」
「なるほど。そうだ、ゲーム内のレーダーの情報をさ、紺ちゃん達の聴覚を処理する脳の部位に流すようにしたらどうかな? イルカのエコーロケーションって、レーダーやソナーと同じだろ? もしかしたらレーダー情報を直接処理出来るんじゃないか?」
好奇心で目を輝かせる宇田賀。一方、私の顔は引き攣っていた。
そうだ、もしそんな事をしたら、最強のパイロットが出来上がる。きっとプロのパイロットはおろか、軍用AIの操縦するドローンにも対抗できるような……
「よし、やってみようぜ。それで――」
「それで、どうするんですか?! 一体何をさせる気ですか?!」
思わず叫んでしまった私の顔を丸い目で見つめ、宇田賀は戸惑った様子で答えた。
「え、ええと、〈エースパイロット9〉の大会に出して、優勝したらアピールになるかなって。悪い! それはズルだよな。やめよう、うん」
「ああ、そうですか……」
「? どうしたんだ、美理仁? 最近、元気がないぞ?」
心配そうに私の顔を覗き込む宇田賀。そう、私はずっと悩みを抱えていた。それは、幼馴染がテロリストかもしれないという悩みである。〈東京神殿〉への訪問以降、その疑惑は私の中でより深まっていた。原因はブラフマーという宇宙イルカが言った、ドローンの操縦という言葉だ。
ILFは、ドローンを使ってデータセンターなどの目標を攻撃するテロ行為を繰り返している。曽理音が本当にILFで、宇宙イルカにドローンの訓練をさせているとすれば……曽理音は宇宙イルカをILFのテロに使うつもりなのではないか?
データセンターなどの重要な施設には、軍用に次いで高性能なAIが操縦する警備用ドローンが配備されている。実際、今までのILFのテロはほとんど警備ドローンに阻まれて失敗してきた。人間の操縦や、届出無しで使えるような低クラスAIではとても警備ドローンには対抗できないのだ。だが、もし宇宙イルカが操縦するドローンだったら? 警備ドローンに対抗でき、テロは成功してしまうかもしれない。
私はその不安を払拭するために、紺と蒼に〈エースパイロット9〉をプレイさせた。私の考え過ぎだと思いたかった。だが、結果は逆だった。
宇宙イルカはドローンパイロットとして有用だ。
「おーい、美理仁、聞いてるのか?」
「みりに、終わったよ。敵、全員倒した! おいしかった!」
宇田賀と一緒に、仮想世界の中から紺が私に呼びかける。ディスプレイの中から私に手を振る紺。蒼は被弾したのが気に食わないのか、納得いかない顔でまだコクピットに座ってガチャガチャと操縦桿を動かしている。
「みりに、次は何をやるの? 大会に出る? 私、みんな倒すよ!」
「だめだ。もう飛行機はやらない」
「えー! おいしくないね」
「だめだ。危ない」
宇田賀は笑って私の肩を叩いて言った。
「はははっ、何言ってるんだ、美理仁。ゲームだぞ」
「ゲームだよ、みりに。おいしくないぞ!」
「はは……そうですね。どうかしていました」
そうだ。私はどうかしているのだ。なんの根拠もない想像を勝手に膨らませて、勝手に悩んでいる。そうなのだ。
黙ってしまった私に向かって宇田賀が言う。
「なあ、何か悩んでいるなら言ってくれよ」
「はい、ありがとうございます」
そう言って、私はフルダイブVRルームを出て行こうと扉へ向かった。後ろで本原が宇田賀に耳打ちするのが聞こえた。
「先輩、鹿島さんがいないから寂しいんですかね?」
本原は声が大きいから全部聞こえてしまう。私は何も言わずに部屋を出ていった。プールに向かおうとしてやめ、サーバールームへと向かった。あそこなら一人になれる。
「鹿島さんがいないから寂しい、か」
私は一人、鹿島さんの事を考える。
鹿島さんは現在、〈宇宙イルカ天使の会〉に出向していた。交流会に向けた調整の他、〈東京神殿〉にいる宇宙イルカ達を、主に運動面で指導をしている。前回の訪問の後、鹿島さんから言い出したのだ。目当てが宇宙イルカカルボナーラなのか、それとも曽理音かは知らないが、楽しくやっているようだ。私としても〈宇宙イルカ天使の会〉の内情や曽理音の動向は気になっているから、好都合ではあった。何か、疑惑を払拭してくれる情報を伝えてくれれば、と思っていた。
鹿島さんは教え方が上手いのか、宇宙イルカ達のアバターの動きがだいぶ滑らかになったらしい。鹿島さんは仕事の合間に、気がついた〈宇宙イルカ天使の会〉の内側の様々な情報を業務報告とは別に伝えてくれた。
まず、宇宙イルカ達の喋る内容は初期の紺や蒼と大きく変わらないということ。支援者に語る「導き」は、支援者本人以外は代表の鹿追でも聞くことができないことになっており、何を喋っているのかはわからないこと。ただ、おそらく大して意味のあることは喋っていないだろうとのことだ。聞いた支援者が勝手に解釈しているのだろう。
他の情報はあまり役には立たなそうなものだった。ブラフマーという宇宙イルカはシャイな性格で、ほとんどいつも一頭でプールの隅にいるとか、ラークシャサは物静かだけど歌うのが好きだとか、アグニはイルカの体で人を上に乗せるのが好きとか。あとは、食堂の人と仲良くなって宇宙イルカカルボナーラのレシピを教えてもらったとか、幹部の佐藤がいやらしい目で見てくるとも言っていた。文句を言いながらも楽しくやっているようで、安心したような、その気楽さに腹が立つような複雑な気分だった。
私はどうすれば良いのだ? どうするべきなのだ? 誰も答えは教えてくれない。AIだって教えてくれない。〈宇宙イルカ天使の会〉に行けば、天使である宇宙イルカが教えてくれるのか? 馬鹿らしい。でも、〈宇宙イルカ天使の会〉の支援者の気持ちが少しわかる気もした。人生には答えのないことが多すぎる。学校のテストにはきちんと正解があるというのに。
私はいつの間にか立ち上がり、紺達のいる実験用プールへと向かっていた。結局、私も宇宙イルカに答えを求めているのかと考え、自虐を含む乾いた笑みが溢れた。
実験用プールに行くと紺と蒼が水面から頭を出し、同時にミニャーと鳴いた。私のスマートグラスから二人の声がする。
「みりに、どこ行ってたの?」
「ゆうこがいないから、おいしくない。あそんで」
「そうだね、ごめん。仕事しなきゃね」
力無くそう答えてプールサイドに座り込んだ私に、紺がイルカの体でカリカリ……と鳴きながら尋ねた。
「大丈夫? 悩んでるの? おいしくないの?」
「はあ……紺。おいしくない、の使い方がおかしいって何度言えばわかるんだ?」
「あ、うん……そうだね。おいしくないね」
プールサイドの立体ディスプレイの電源が入って
いなかったので、紺の人としての表情はわからなかった。目の前で口を開けたイルカの紺はなんだか笑っているように見えてしまい、この時はそれが私を苛立たせた。私は低い声で呟くように尋ねる。
「なあ、紺。この前言った、木之実ちゃんの事件の時の話。覚えてるか」
「うん、覚えてるよ!」
目の前のイルカはキュウ! と鳴いて頭を上下に動かした。
「なあ、あれって冗談なんだろ。嘘をついたんだよな。意味もわからずに言ったんだろ」
「違うよ。私、もう大人だもん。嘘は悪いことだよ。本当だよ」
「いや、嘘だよ。あの場に曽理音はいなかった。俺をからかって楽しんでいるんだ」
「嘘じゃないよ。聞こえたんだもん。そりね、悪いやつ。みりには、私を信じないの?」
紺はワァワァと鳴き、胸びれで水面を叩いた。その横で蒼は戸惑った様子でキョロキョロと体を左右に動かしていた。
「信じたくない。曽理音はいつも正しいやつだ」
「そうなんだね……おいしくないね……」
それを聞いた私は深いため息をついてから、一気に言った。言ってしまった。
「またか! そうか、やっぱりバカなんだな。所詮、宇宙イルカっていったって人間じゃないんだからな。いくら教えたってわからないんだ。まったく、こんなのがいったい何を教えてくれるって言うんだ。俺も、みんなも、バカなんだ。こんな不気味な生き物もどきに振り回されて!」
紺は口をぱくぱくさせ、ググググ……と初めて聞いた低い音で鳴いた。スマートグラスのスピーカーからは、悲しそうな、そう、本当に悲しそうな声が返ってきた。
「みりに、おいしくないよ……ごめんね、違うね。悲しい、私、悲しいな」
「悲しい? 今、悲しいって言ったのか?」
紺はもう何も言わず、水中に潜ってしまった。
「紺、待ってくれ!」
紺は水中から頭を出してくれなかった。蒼も潜ってしまった。私は立ち上がり、立体ディスプレイの電源を入れた。
そこに映し出された少女の紺は、ポロポロと涙を流していた。
唖然とする私の前で、紺は自分で立体ディスプレイの電源を消してしまった。そして、その日、紺は私と一言も話してくれなかった。
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