第31話 ランチ

 午前中の打ち合わせが終わり、私達は本部の中にある食堂に案内された。食堂は濃いウォールナット調の落ち着いた内装で、大きな木製の一枚板で出来たテーブル席の他、ファミリーレストランのようなボックス席もあった。見たところ席数は百以上あり、宴会も出来そうな広さだ。朝見たガウンのような物を羽織った「支援者」らしき人達の他、作業着を着たおそらく職員と思われる人達もいた。私達はテーブル席を選び、私と鹿島さんが並んで座り、その向かいに鹿追と曽理音、佐藤が座った。メニューは豊富で、和洋中とさまざまな料理が取り揃えられていた。ご馳走してくれると言うので、私は遠慮せずに一番高そうな「宇宙イルカステーキ」を頼んだ。紛らわしいことこの上ないが、北海道十勝産の牛肉だそうだ。鹿島さんは「宇宙イルカカルボナーラ」を頼んでいた。料理を注文し終わると、鹿追が大きく手を広げて言った。


「どうです? 自慢の食堂ですよ! 食堂は大事です。調理ロボットのせいで職を失った料理人の支援者の方が作ってくれています。味は保証しますよ」

「そうなんですね。〈ミカギテクノロジー〉には食堂なんてありませんから、羨ましいですよ。近くにお店もありませんから、お弁当なり、コンビニで何か買って持ってくるなりしないといけなくて。忙しいとつい食べないことも多いです」

「それはいけなあい! 自分を大事にしない人は宇宙イルカに好かれませんよ」

「はあ……」


 その時、鹿島さんが言った。


「ところで、皆さん。ここに来る前はどのようなお仕事をされていたんですか?」


 鹿追は目をパチパチとさせて鹿島さんを見る。鹿島さんはにっこり笑った。


「すみません、いきなり。でも気になっていたんです。短期間でここまで組織を大きくされるとは。どのような経験をされてきて、そしてなぜ〈宇宙イルカ天使の会〉に入ったのかをぜひ知りたいなって思って」


 鹿追は大きく頷き、嬉しそうに答えた。


「なるほど、なるほど。しかし、私など大した経歴は持っていませんよ」

「確か、最初は証券会社に就職されたとおっしゃっていましたね」


 私が先週の鹿追の言葉を思い出して言うと、鹿追は嬉しそうな顔でさらに大きく頷いた。


「そうです! よく覚えていらっしゃいますね。嬉しいなぁ。はい、外資系の証券会社に入りましてね。まあまあ上手くやっていたのですが、飽きてしまって辞めたのです。その後は世界をフラフラしていたのですが、ちょうどハワイにいる時に宇宙イルカがやってきたんですよ」


 それを聞いて私は素直に驚きの声をあげる。


「えっ、もしかして飛行物体が堕ちるところを見たのですか?」

「ええ、そうなのです。あの光景は忘れられませんよ。その後は一人で〈宇宙イルカ天使の会〉を立ち上げました」

「それは衝撃的な体験でしたね……羨ましい。もっと詳しくお話を……」


 鹿島さんが口を挟んだ。


「もっとお話を伺いたいところなのですが、私は他のお二人にも興味がありますね。お二人も、もしかしてハワイにいらしたとか?」


 黙って座っていた幹部二人は顔を見合わせ、やがて先に佐藤が口を開いた。


「私は、以前は公務員です。飛行物体とやらは見ていません」


 ぶっきらぼうに答える佐藤。鹿島さんは興味がなさそうに「あ、そうなんですね」と相槌を打ってから、キラキラした目で曽理音に尋ねた。


「曽理音さんは?」


 鹿島さんの問いに、曽理音は嫌味のない微笑を浮かべて答える。


「私も以前はただのサラリーマンですよ。その頃から、最近の大企業の〈決壊〉などの問題に関心がありまして。社会変革の過渡期の混乱に振り落とされてしまう人達に対して何かできることはないかと考え、〈宇宙イルカ天使の会〉に入りました」


 曽理音は一瞬だけ私の方をチラリと見た。これは、作られた「最適解」だ。たぶん本心ではない。一方、鹿島さんはすっかり知能指数が下がってしまったのか、「なるほどですねー」などと言ってニコニコしている。曽理音は昔からモテるのだ。

 鹿追がため息をついた。


「はあ……そうなんですよ。支援者の人達には元大企業の社員という方も多いのです。今はそんな迷える人達が多いのですよ。二人はとても優秀なので、本当に助かっています。こんな素晴らしい人材がやってくるのも全て宇宙イルカのおかげです。佐藤君のお友達はたくさん支援してくれるし、曽理音君はユニークなアイデアも出してくれますしね」

「ユニークなアイデアとは?」


 私が食い気味に尋ねると、曽理音はプライベートでは見せたことのない硬い笑顔で私に言った。


「旭さん、我々は御社と競合する営利団体ではないですが、それでも言えないこともあります。ご容赦ください」

「あ……そうですか……失礼しました」

「おっと、料理が来ましたよ」


 ワゴンに乗せられて食事が運ばれてきた。ロボットではなく、人間の手によって食事はテーブルの上に並べられる。鹿追は両手を顔の前に組んで言った。

「さあ、この恵を与えてくれた宇宙イルカに感謝して食べましょう」

 その後は、宇宙イルカの飛行物体が落ちてきた時の話を聞きながら私達は料理を食べた。『宇宙イルカステーキ』はびっくりするほど美味しかった。


 午後は、宇宙イルカ達がいるプールを見学することになっていた。


「曽理音君と佐藤君には別の仕事がありますので、ここからは私一人でご案内します」


 私と鹿島さんは鹿追に連れられて、偽パルテノン神殿に囲まれた本部から渡り廊下を通って、隣のガラスで出来たピラミッドのような建物へと移動した。もう霧は完全に晴れ、ガラス張りの天井からは青い空と白い雲が綺麗に見えた。このプールのある建物は〈本殿〉と呼ばれているという。ギリシャ風なのか、エジプト風なのか、それとも和風なのかはっきりして欲しいところだ。〈本殿〉の中は一続きの広い空間になっており、広大なプールがそのほとんどを占めていた。プールはサッカーコート二つ分ほどの広さがあり、その上に格子状に通路が渡してあった。プールというよりは巨大な生け簀と言った雰囲気で、実際、ゲートを開けば東京湾と直接出入りが出来るという。

 プールの中には現在十二頭の宇宙イルカが飼育されていた。私達がプールに近づくと、わらわらと宇宙イルカ達が集まってきて一斉に頭を出した。鹿追が言う。


「おやおや。さすが『始祖の神官』と『始祖の巫女』。宇宙イルカ達もわかるのですね」

「えっと、その『始祖の神官』ってなんですか? もしかして私のことですか?」


 私が自分を指差して尋ねると、満面の笑みを浮かべて鹿追は頷いた。


「ええ、そうです! 旭さん。最初にお会いした時は気がつかなくて申し訳ない。私はてっきり『始祖の神官』は宇田賀さんという方だと思っておりまして。最初に宇宙イルカと人語で会話した偉大な男性のことです。もちろん『始祖の巫女』は鹿島さんのことです」


 またいつものように私と鹿島さんは「はあ……」と答える。それ以外の反応が思いつかないのだ。宇宙イルカ達はそれぞれ私達を見てキュウキュウ……と鳴いている。その頭には、葉っぱのような形状を模ったイルカ用BMIが取り付けられていた。鹿島さんが尋ねた。


「あの頭の上のやつは?」

「特別デザインです。いわゆる月桂冠をイメージしています」

「はあ……かわいいですね」

「そうでしょう! 良かったら〈ミカギテクノロジー〉さんでも使いませんか?」

「いえ、もっと小型の改良型がありますので結構です。現在もフルダイブを行っているのですか? 人間用の設備はどちらに?」


 私が尋ねると、鹿追はプールの上の方を指差した。そこには天井から吊るされるようにしてガラス張りの丸い部屋があり、人間がフルダイブするための椅子が円形に並んでいるのが見えた。あれがここのフルダイブVRルームなのだろう。〈本殿〉の壁際には大きな塔のようなものがあり、中央のフルダイブVRルームはその塔から渡り廊下で繋がっていた。塔にはエレベーターと階段が設置されているのが見える。鹿追が説明をする。


「あの壁際の塔は〈神授の塔〉と呼んでいます。あそこからしかフルダイブVR設備のある部屋にはいけません。御社のシステムのように仮想世界の中とスピーカーが繋がってもいません。限られた人だけが宇宙イルカの言葉を聞くことができます。今の時間帯は、私達の巫女がフルダイブして宇宙イルカ達に人の言葉や文化をお伝えしているところです。支援者の方には、朝と夜だけ、お話しする時間を設けています」

「私達も、ここの宇宙イルカ達と話せますか?」

「ええ、もちろん良いですとも。では早速登りましょう」


 私達はプールの宇宙イルカに手を降ってから、鹿追達に続いて〈神授の塔〉に向かった。エレベーターに乗り、上へと向かう。塔は三階建ての建物くらいの高さがあった。高所恐怖症の人に対する嫌がらせなのか、フルダイブVRルームへと繋がる渡り廊下の床はガラス張りになっていた。縁にはLEDが仕込んであり、宙に浮く光の道のようだ。歩きながら自慢げに鹿追が言う。


「良いでしょう? 夜に青く光らせるとロマンチックですよ」

「はあ、そうでしょうね」

「ねえ、早く進んでよ!」


 振り返ると、鹿島さんはビクビクと足元を確かめながら歩いていた。どうやら高いところが怖いらしい。下を見ると、プールから宇宙イルカ達が頭を出して興味深げにこちらを見上げていた。


「鹿島さん、しっかりして下さい。イルカ達も見ていますよ。ほら」

「はあ? 下? 高い、高い! からかわないでよ! 早く進んで!」

「おや、お気に召しませんか? では……」


 鹿追が自分のスマートフォンを操作すると、床が不透明な黒い色に変わった。


「調光ガラスですか?」

「まあ、そんなものです。行きましょうか」


 渡り廊下を通ってフルダイブVRルームに入ると、中にはヘッドレスト側を中心にして円形に専用の椅子が並んでおり、数はイルカの数と同じく十二あった。十二人が同時にフルダイブ出来るのだ。〈ムロメ・デンノウ〉に支払うライセンス料を考えるだけで恐ろしい。今は五人が椅子の上で横になっており、三人は女性――いわゆる「巫女」だろう――そしてもう二人は曽理音と佐藤だった。私は鹿追に尋ねた。


「幹部の方も自らフルダイブするのですね」

「ええ、もちろん。曽理音君は神官幹部ですからね。宇宙イルカ達にとても慕われています。佐藤君は現実と仮想世界双方のセキュリティ関係を担当していて、よく自ら確認のために入っていますよ」

「そうですか……」


 私は椅子の上で目を閉じている曽理音を見つめた。鹿島さんが言う。


「今、私達も仮想世界の中に入れますか?」

「ええ、空いている椅子に座って下さい。アバターは私達の持っている共用の物で良いですか?」

「大丈夫です。では早速お願いします」


 私と鹿島さんは並んでフルダイブVR用の椅子に寝そべった。部屋の中には装置を操作している職員が他に三人ほどおり、鹿追はその三人の方へと歩いて行った。鹿島さんが私に小声で話しかけた。


「本当にすごい設備だね。お金持ちだなあ」

「異常ですよ。怪しいお金が流れているんじゃないかと疑ってしまいますね」

「何それ? 例えばどこから?」

「うーん、ILFとか?」

「都市伝説じゃないんだから。それにILFって反AIの人達でしょ? 宇宙イルカと何の関係があるの?」

「まあ、そうですけど」


 その時、鹿島が「準備ができました」と言って合図をしたので、私達は話をやめ、椅子のヘッドレストに頭を押しつけた。鹿島さんが呟く。


「二度と目を覚まさなかったりして。いつの間にか臓器を売られているとかね」

「まさか、変なこと言わないでください。不安になるじゃないですか」

「ふふふ、怖いの? かわいいところあるね」

「今日は機嫌が良いですね……」

「イルカがたくさん見られて幸せなの。あと、さっきの昼ごはんが美味しかった」


 鹿島さんはにっこり笑い、椅子のヘッドレストに頭を乗せて目を瞑った。私も、息を大きく吐いてから目を瞑る。普段東京ラボにいる時は宇田賀のマイペースさに隠れているが、鹿島さんもなかなかにマイペースな人である。やがて、すっかり慣れたピリピリとした感覚がして、私は仮想世界にフルダイブした。

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