第28話 厄介な来客
2037年2月9日。
その日、私は少し憂鬱な気分で会社のセキュリティゲートをくぐった。今日は少し厄介な仕事が予定されていたからだ。他の仕事を先に片付けようと早めに出社した私が開発室に行くと、先に英さんと宇田賀が出社していた。英さんが早いのはいつものことだが、宇田賀が私より先に来ているのは珍しい。宇田賀はディスプレイに齧り付くように熱中して何かの作業をしており、私が来たことに気がついていない。自分のデスクに鞄を置きながら宇田賀のディスプレイをチラリと横目で見ると、そこには3DCGで作られたイルカが表示されていた。私は思わず尋ねる。
「なんですか? それ?」
「おっ、来てたのか。おはよう。これか? ふふふ、なんでしょう?」
宇田賀はいたずらっ子のような笑みを浮かべた。きっとこの人はこの先三十代になろうとも四十代になろうとも、変わらないのだろう。まあ、三つ子の魂百までと言うし、人間そんなものなのかもしれない。私は身を乗り出し、宇田賀のディスプレイを覗き込む。そのイルカの形には見覚えがあった。
「これ、紺じゃないですか」
「正解。さすがだな。俺なんてイルカの時の紺ちゃんと蒼ちゃんの違い、まだよくわからないぞ。並んでいれば大きさでわかるけどな」
「紺の方が、少し顔が丸いですよ。蒼はシュッとした感じです。それより、どうしたんですか? 新しいグッズのデザインですか?」
「いや、これはな、アバターだよ。しかもフルダイブVR対応のな」
「はあ……イルカ型の?」
「そう。この前〈ムロメ・デンノウ〉の研修に行っただろ。それで、早速作ってみようと思ったんだが、普通に人間を作っても面白くないから、紺ちゃんで作ってみた。基本は一緒だ。神経接続の設定がキモだ」
「練習で作るにしては挑戦的過ぎますよ。自分の姿で作れば良いじゃないですか」
「こんな小太りのおっさんのアバター作っても楽しくないだろ。ほら、ちょうどこの前の健康診断の時に紺ちゃんの体をスキャンしたからさ」
「グッズ作成にも使えるかもって、わざわざ3Dデータにしてもらって買ったんでしたっけ。でも、イルカのアバターなんて何に使うんですか? フルダイブVRでイルカのアバターに入ったって、多分動けないですよ。普通のVRと違いますから」
私は、紺が初めて人間のアバターに入った時のことを思い出す。浜に打ち上げられたイルカのように、床でうつ伏せのままモゾモゾともがいていた。人間の脳がイルカの体に接続されても、同じようにまともに動けないだろう。何しろ人間には尻尾がないのだから。宇田賀はニッコリと笑って言った。
「さあ? 何も考えてないよ。作ってみただけだもん。試しにフルダイブしてみたら何か発見があるかもしれないぞ。美理仁、紺ちゃんの中に入ってみろよ」
「うーん。まあ、興味はありますが……暇な時間が出来たらやってみましょう」
「そんなこと言ってる奴は永遠に暇にならないぞ」
「うっ……とにかく、今日は厄介な客が来ますから、まずはそっちです」
「ん? 誰のことだ?」
私の言葉に宇田賀は一瞬きょとんとした表情を見せた。イルカのアバター作成があまりに楽しくてきっと忘れていたのだ。やがて思い出したらしく、苦いものでも食べたかのような顔になった。
「ああ、あいつらか……」
「そう、あの厄介なファンですよ」
今日は〈宇宙イルカ天使の会〉の代表御一行様が、〈ミカギテクノロジー〉東京ラボにやって来るのだ。
〈宇宙イルカ天使の会〉から、社長の御鍵に対して連絡があったのは先月のことだ。内容は、「宇宙イルカ同士の交流をしたい」というものだった。御鍵はすぐに回答せず、私達に意見を求めた。宇田賀と鹿島さんは反対したのだが、私は交流会に賛成した。他の宇宙イルカとの交流は紺達の成長にもプラスだし、何より〈宇宙イルカ天使の会〉の十二頭の宇宙イルカ達がどのようなことを喋るのか、とても興味があったのだ。結局、宇田賀達も渋々了承し、春に宇宙イルカ同士の交流が行われることになった。御鍵が回答した後、代表の鹿追マイケル氏から直筆の達筆なお礼状が届いたのだが、その宛先が会社や御鍵宛ではなく、「地球に降臨せし大天使であらせられる紺様と蒼様」となっていたのを見て、私は賛成したのを後悔した。後悔しても決まってしまったものは仕方ない。今日は、その交流会をどのように行うのかについての最初の打ち合わせが行われることになっていた。
午前十時、御鍵の車に乗って〈宇宙イルカ天使の会〉の代表と幹部が来社した。私は現場側の担当者として、御鍵と鹿島さんと三人で彼らを迎えた。御鍵の車の後席から、ヌッと長身の男が顔を出す。以前宇宙イルカの学会で見かけた、〈宇宙イルカ天使の会〉の代表、鹿追マイケルだ。
続いて後席から降りてきた一人の男の顔を見て、私の脳は混乱した。少し癖のある髪は少し伸びていたし、顎には髭を生やしていたが、それは私がよく知る人物だった。
そこにいたのは私の幼馴染、曽理音だったのだ。
「な……曽理音? なんでここに?」
思わず口に出した私に対し、曽理音は気まずそうに会釈をし、「ああ、ちょっとな……」と短く答えた。
「いつから〈宇宙イルカ天使の会〉に?」
「美理仁、じゃない……旭さん。個人的な話は仕事が終わってからにしましょう」
「あ、ああ……はい、そう、ですね……」
私達のやりとりを見ていた代表の鹿追が首を傾げて言った。
「曽理音君、お知り合いですか?」
「ええ、昔からの馴染みです。偶然ですね」
偶然……? 色々と聞きたいことはあったが、曽理音が言うようにここは仕事の場だ。私は落ち着かない気持ちを押し殺し、口を閉じた。車から降りてきた御鍵が私達の間に漂う微妙な空気に怪訝そうな顔をして尋ねる。
「おや、どうかしましたか?」
「社長、何でもありません」
「そうですか。ではみなさん、応接室の方へご案内します」
御鍵の案内で応接室へ向かう私達。隣を歩く鹿島さんが小声で私に尋ねる。
「〈宇宙イルカ天使の会〉に知り合いがいたの?」
「え、ええ、びっくりです。こんなことってあるんですね」
「ふーん。実は旭君が奴らに情報を流していたとか?」
「はあ? なんでそんなことをするんですか」
「冗談よ。かっこいい人だね。今度紹介してよ」
「ええ?」
その時、こちらをチラリとみる御鍵の視線を感じ、私と鹿島さんは慌てて口を閉じた。
応接室に入った私達は名刺交換をした。AIが発達しようとも、空からイルカが降ってこようとも、ビジネスマンは名刺交換をするのだ。この場にいる人間達が果たしてビジネスマンと呼べるのかは、私自身怪しいと思ってはいたけれど。
「曽理音悠です」
「旭美理仁です、よろしくお願いします」
名刺はなんだかんだで今の時代も紙のままだ。幼馴染からもらった名刺には「〈宇宙イルカ天使の会〉神官幹部 曽理音悠」と書かれていた。私の知っている男が、私の知らない身分で私の目の前にいる。名刺をどれだけ見つめても、その事実は変わらない。
もう一人の幹部は「
「今日はこんな辺鄙なところまでご足労いただき、ありがとうございます」
「いえいえ、とおんでもない。私、紺様や蒼様に直接お会いできると考えると、もう嬉しくて、嬉しくて! 一昨日から寝られませんでしたよ。ああ、嬉しいなあ!」
鹿追は顔をクシャクシャにし、大袈裟に体を揺らして感情を表現した。その横で微動だにしない二人の幹部達。その時、飲み物を取りに行ってくれていた鹿島さんが戻ってきた。
「お待たせしました。お飲み物をどうぞ」
「ありがとうございます、鹿島祐子さん! フルダイブをして紺様と蒼様の言葉を引き出す専門家。〈宇宙イルカ天使の会〉では、そんな人達を巫女と呼んでいます。貴方は最初の巫女! 憧れていました。苗字に『鹿』が入っている者同士、仲良くしましょう。ぜひ握手を! 鹿仲間ですね!」
「は、はあ……」
鹿追は立ち上がり、半ば強引に鹿島さんの手を両手で掴みこんで力強く握りしめた。鹿島さんが顔を引き攣らせるのを見て、私は思わず口を開いた。
「私もフルダイブしていますよ。私とは握手しないのですか?」
鹿追は驚いたように口をパッと開け、満面の笑みを浮かべて今度は私の手を取った。
「ああ、貴方もそうなのですか。いやあ、素晴らしい。素晴らしい」
明らかに鹿島さんより軽い握手の後、鹿追は応接室の椅子にドカッと座り直し、うんうんと頷いた。その間、両隣の幹部達は顔色ひとつ変えず黙って座っていた。私と鹿島さんは無言で顔を見合わせる。御鍵がゴホンと咳払いをして、話を再開した。
「ええ、では交流会の件について具体的なお話を――」
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