第三章

第26話 一年後

 月日は流れ、2037年1月。

 木之実ちゃんの事件が解決してから一年が経ち、私は二八歳になっていた。〈ミカギテクノロジー〉もいつの間にか創業四年目だ。木之実ちゃんの事件以降、宇宙イルカと〈ミカギテクノロジー〉のイメージは向上し、私達は研究を続けられるだけの出資を得ることが出来た。紺のバーチャルタレント活動も順調で、〈アクアリウム〉でのフォロワー数は先日五〇万人を突破した。

 だが正直に言って、この頃の私達は迷走していた。本来の目的は、宇宙イルカと会話できるようにして、その秘密を知ることだ。バーチャルタレント事務所をやるのが目的ではない。それなのに、紺が宇宙イルカの正体やその秘密、人類が知らぬ知識といったものを語る様子は一向になかった。

 もちろん、私達は本来の目的に対して何もせずに手をこまねいていたわけではない。この一年で紺の人としての精神はさらなる成長を見せ、喋り方は前より流暢になったし、語彙も増え、体を動かすのは私よりもずっと上手くなった。

 さらに、私達は二頭目の宇宙イルカの研究も始めた。二頭目は『あおい』と名付けられ、紺と一緒に東京ラボの実験用プールで暮らしている。蒼も、紺と同様の手法で人の知性を芽生えさせることに既に成功している。個体差なのか、人間のアバターで立てるようになるのには紺よりも少し時間がかかったが、人語で会話ができるようになるまではかなり早かった。紺が「イルカ語」を使って直接指導できたからだろう。

 だが、蒼もまだ特別なことは何も喋っていない。紺と蒼がまるで姉妹のように楽しそうに会話をしているのを見ると、何とも言えない幸せな気持ちになるが、それ以上のものは今のところ得られなかった。御鍵は、蒼もバーチャルタレントデビューさせて、本格的に宇宙イルカのタレント業務を事業内容にするもの良いかも、と言い出していた。宇田賀や私は宇宙イルカの謎の探究を諦めきれずにいたが、だからと言って次の良い手があるわけではなかった。


 そんな中、とある団体は私達よりもよっぽど上手く流れに乗っていた。

 あの、〈宇宙イルカ天使の会〉である。

 〈宇宙イルカ天使の会〉は最近、一気に支援者――彼らは信者とは呼ばない――を増やし、規模を拡大していた。彼らは宇宙イルカを異星人のメッセンジャーと捉えている。

 代表の鹿追マイケルは、次のような言葉を支援者に対して語っている。


「皆さん、宇宙イルカがなぜイルカの姿をしているかわかりますか? イルカは古来、特に欧州では神聖な生き物とされ、神話にも登場します。それを知っていた異星人が、メッセージを携える使者の姿としてイルカを選んだのです。なぜならその異星人こそが人類を生み出した神であり、神話の時代に人々が崇めた神そのものだからです。彼らは一度地球を去りましたが、再び人類を導くために戻ってきました。異星人達は、科学主義に囚われ、自分達を情報に還元しようとさえしている人類の間違いを正そうと戻ってきたのです。宇宙イルカを使わしたのは、その過ちに気づかせるためでもあります。人類は愚かにも、宇宙イルカを科学的な手段で調べればその謎がわかると考えました。結果は皆さん知っての通りです。その点、〈ミカギテクノロジー〉の姿勢だけは正解に近かったと言えるでしょう。彼らは宇宙イルカと対話しようと考えました。宇宙イルカは、まだ『その時』が来ていないため、まだ自らの真実を語りません。これは当然のことです。ですが、宇宙イルカは〈ミカギテクノロジー〉の取り組みを通してその意思の一端を示しました。宇宙イルカの『紺様』は、悲劇に見舞われた少女が目を覚まし、極悪人を裁くのに手をお貸しになられました。これは異星人の意思が決して善良な人類に害を成そうというものではなく、むしろ悩める者を救おうというものであることを示しています。そして同時に、悪事を成す者を許さないという意思でもあるのです。

 悔い改めましょう。宇宙イルカの意思を聞き、従いましょう。幸い、私達は『その時』が来る前に彼女達の声を聞く手段を得ました。彼女達に認められれば、『その時』が来た時に救われます。

 今、日本の社会は混乱しています。急速なAIの発展で力をさらに強めた海外企業による国内大企業の買収、その後に続く大量解雇。いわゆる大企業の〈決壊〉問題です。中高年以上の失業率増加と、それによる治安悪化が止まりません。これは日本だけの問題ではありません。AIの米国依存は世界的な問題です。『情報の解放』を掲げるテロ組織さえ現れる始末です。大変な時代です。これが行き過ぎた科学主義の末路なのです。

 悩める人は彼女達の助言を聞きなさい。私達〈宇宙イルカ天使の会〉は、彼女達が天使だと知っています。天使の会は『その時』が来るまでにできるだけ多くの人が彼女達の声を聞けるように活動をしています。ぜひ、ご支援をお願いします。それもまた、救われるための行動の一つとなるでしょう」


 不安定な社会情勢も手伝ってか、〈宇宙イルカ天使の会〉は支援者と活動資金を集めた。支援者にどこかの大富豪でもいるのか、彼らは東京湾にメガフロート工法の小さな人工島を所有し、そこに拠点となる荘厳な本部施設を建設、広いプールの中で十二頭もの宇宙イルカを飼育し、さらにそのすべてと会話できるようにしてしまった。フルダイブVR技術自体は〈ムロメ・デンノウ〉にライセンス料を払えば使うことができるし、人のアバターへのフルダイブによって宇宙イルカに人の知性を芽生えさせる私達の手法は、「特許法上の発明に該当しない」として特許としては認められなかった。〈宇宙イルカ天使の会〉はフルダイブVR設備を十二基も設置し、私達の真似をして宇宙イルカと会話できるようにした。あっという間に私達は追いつかれ、規模の面ではとうに追い越されてしまった。

 もっとも、私はまだ〈宇宙イルカ天使の会〉の宇宙イルカが喋っているのを見たことも聞いたこともない。バーチャルタレントをしている紺と違って、〈宇宙イルカ天使の会〉の宇宙イルカの言葉は幹部と支援者しか聞けないことになっているのだ。支援者達は宇宙イルカから「助言」を得て、「その時」が来たときに救われるために行動しているという。

 彼らは、異星人が神であり、宇宙イルカはその使いであると自信満々に語り、その上で宇宙イルカの言葉を聞くことで救われるという「メリット」を示した。そして、そのメリットを得るには支援者になること――つまりお金を出すこと――が必要だと、わかりやすい交換条件を提示した。彼らは、私達と紺がようやく作った状況を私達よりはるかに上手く活用した。そんな状況に、私を含めた〈ミカギテクノロジー〉の社員達は皆、モヤモヤした気持ちを抱えながら過ごしていた。

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