第24話 救出

「美理仁、紺ちゃん、嫌なものを見ちまったな。大丈夫か?」


 宇田賀が言うが、私は返事が出来なかった。


「俺の後ろで見ている奴らもさすがに驚いているよ。新事実だ。事故直後、まだ生きていて父親より軽傷だった木之実ちゃんの母親は、犯人に殺されたんだ。二件目の殺人……ただ、その空間での描写がどこまで正確かはわからない。強い感情によって誇張されている可能性があるそうだ。だから、やっぱり木之実ちゃんには目覚めて証言してもらう必要があるってさ」


 私はようやく言葉を発することができた。


「目覚めない方が、幸せかもしれません」

「……ああ、そうかもな。だが、あんな凶悪な奴を野放しには出来ないだろう。それに……仕事だ。そう思った方がいいぞ。ここまで来たら」

 私は唇を噛み締めた。怖くて私には出来ないと言った鹿島さんは、こんな状況を予想していたのだろうか? 私は勇気があるわけでも責任感があるわけでもなく、ただ向こう見ずなだけなのではないか。


「みりに! しんだ?」


 私の横で紺が声を上げた。紺はもう泣いてはいなかった。そうだ、紺。紺にひどいものを見せてしまった。泣かせてしまった。途端に私の中に怒りが渦巻く。犯人と、こんなことを考えた〈ムロメ・デンノウ〉と、それから何より自分に怒りを感じた。奥歯を噛み締め、私は紺に言った。


「大丈夫だよ。ごめん、ごめんね、紺」

「ごめん? それより、何かいるよ!」


 紺が指差す方向を見ると、真っ黒な空間の中に座り込んでいる少女の姿が見えた。紺がパタパタと駆け寄る。私は慌ててその後を追った。


「わ、このみだ!」

「……」


 木之実ちゃんは膝を抱えて真っ黒な空間の見えない床に座り込んでいた。その目は固く閉じられている。戸惑う私をよそに、紺は無邪気に話しかけた。


「このみ! おいしくないよ! 起きて!」


 木之実ちゃんが目を開き、ゆっくりと顔を上げた。


「え……紺ちゃん?」

「わたし、イルカのこんです!」


 ぼんやりと紺を見上げる木之実ちゃん。私はなるべく優しく呼びかけた。


「木之実ちゃん」

「ひっ!」


 次の瞬間、木之実ちゃんは私の方を見て目を見開き、ガタガタと震え出した。


「いやだ、やめて、やめて、やめて……!」

「お、落ち着いて、僕だよ。前に、紺ちゃんのリアルイベントで会っただろう?」

「このみ、じゃんけんしよう!」


 紺がにっこり笑って言う。だが木之実ちゃんは両手で耳を塞いで顔を伏せてしまった。


「いやだ、怖い、怖いよ……来ないで」


 私はどうして良いかわからず、逃げ出したくなった。宇田賀が、私だけに聞こえる設定で呼びかける。


「美理仁、落ち着け。紺ちゃんに任せるんだ。そうだ、お前がその世界で見えないように設定しようか?」

「……それだと紺が不安になるでしょう? 何ふざけた事言ってるんですか」

「そうか、悪かった。とにかく落ち着いてくれ。らしくないぞ」

「はい……はい、すみません」


 私は怒っていた。色々なものに対して。正直、犯人を今すぐ八つ裂きにしてやりたいと思っていた。宇田賀の言葉を少し遅れて大脳皮質が処理し、私は深呼吸をした。フルダイブしてからどのくらい経っただろうか? 深層心理の仮想世界化はまだデータがなく、患者への負担がわからない。あまり長期間になるのは良くないだろう。これは仕事だ。医者になったつもりはないのだけれど。特別手当をもらう権利はあるだろうな。そんなことを考えて、私は冷静さを取り戻す。俯いて自分の足を見ていた私が顔を上げると、ちょうど紺が木之実ちゃんに小走りで近づいていくところだった。紺はそのまま木之実ちゃんの頭の上にポンと手を乗せた。


「ひっ!」


 木之実ちゃんが驚いて顔をあげる。その顔は恐怖に引き攣っていたが、目の前の紺の姿を見ると少し表情が和らいだ。紺がにっこり笑って言う。


「ここだと、さわれるね!」

「紺ちゃん……紺ちゃんがいるの?」


 木之実ちゃんの頭を撫でるように触る紺。私は木之実ちゃんを刺激しないよう、息を潜めてその様子を見守る。紺が言った。


「かえろう。ここは、なんかおいしくない」

「帰る……?」


 いつの間にか、何もなかった空間に最初に見たリビングの扉が出現していた。あの中が木之実ちゃんの家なのだろう。私は胸が痛んだ。帰っても、もう両親はいないのだ。木之実ちゃんが口を開く。


「パパとママは?」


 当然の疑問。私は息を飲む。両親がこの世にいないと知ったら――私が木之実ちゃんの立場なら、二度と目覚めないことを選ぶかもしれない。そして、木之実ちゃんはきっと、本当はもう知っている。


「ぱぱ? あそこ」


 紺が私を指さした。何も言えない私。木之実ちゃんが私を見て首を横に振った。


「あのおじさんは、私のパパじゃない」

「おじさんってなに? あれはみりにだよ」

「みりに?」


 私はできるだけ、ゆっくりと、落ち着いた声を意識して口を開く。


「美理仁は……おに……おじさんの名前だよ。木之実ちゃん、お家に帰ろう。紺ちゃんと一緒に」

「いやだ……こわい」


 木之実ちゃんは顔を背けた。


「怖いことはないよ。みんなが守ってくれるから。私達は君を助けに来たんだ」

「いやだ」


 再び俯いてしまう木之実ちゃん。だが、紺がその手を掴んで言った。


「かえろ、つかれた。魚食べる!」

「……紺ちゃん」

「かえってあそぶ!」

「紺、無理やりはダメだよ」


 紺は木之実ちゃんの手を引っ張って扉の前に連れていく。不思議と、木之実ちゃんは抵抗しなかった。木之実ちゃんが呟いた。


「紺ちゃんの手、暖かいんだね」


 うっすらと弱々しかったが、木之実ちゃんが笑顔を浮かべた。紺はにっこりと笑った。


「このみ、おいしい。知らない気持ち。もっと、このみであそぶ」

「紺ちゃん。私と遊んでくれるの?」

「このみ、おいしい!」

「じゃあ私、帰ろうかな……私を助けてくれる?」

「わあ、おいしいね! うん、助けるよ! 遊ぼう! 約束!」


 めちゃくちゃな会話だけど、紺らしいと思った。私には出来ない事だ。

 紺は木之実ちゃんの手を引いて、リビングへと繋がる扉を開けた。二人が中に入った瞬間、世界が白く光って、私は眩しさに目を閉じた。


 目を開けると、私はいつもの東京ラボのフルダイブVRルームの椅子の上にいた。私は勢いよく上半身を起こし、叫ぶように言った。


「紺は? 木之実ちゃんは? どうなった?!」


 ディスプレイに映った宇田賀が通信越しに答える。


「木之実ちゃんの意識が戻ったぞ! 意識レベルが変化したからフルダイブしていた美理仁と紺ちゃんは自動的に切断されたんだ。成功だ!」


 宇田賀の背後ではさまざまな服装の人が慌ただしく喋り、走り回っていた。私は深く息を吐いてから、起こしていた上半身を椅子に預けた。五秒ほどそうしてから私は再び身を起こし、部屋の窓越しにプールにいるイルカの紺の姿を探した。紺は立ち泳ぎをしてこちらを見ており、私を見つけるとヒレをパタパタと動かした。さらにその後ろには鹿島さんがいて、私に向かって手を振った。私は、それぞれに手を振りかえしてから、倒れるように椅子に身を横たえ、気がつくとそのまま眠っていた。

 私が目を覚ました時には、既に日付が変わっていた。

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