第20話 リアルイベント

 2035年10月14日。

 この日、〈ミカギテクノロジー〉は、初めての一般向けリアルイベントを行った。リアルイベントとは、インターネット上ではなく現実の会場で実際に集まって行うイベントだ。目的は会社のイメージ向上、バーチャルタレントである紺の宣伝、そして、紺の「中の人」が人間やAIでないことを一般の人にも示すことだった。

 〈ミカギテクノロジー〉東京ラボがイベントの会場となった。アクセスは悪いが、イルカの紺を移動させようとすると金銭的にも紺の健康の面でも負担が大きい。どのくらいの人が関心を持っているかもわからなかったので、まずは東京ラボに人を招くという形で試験的に簡単なイベントを行うことにしたのだ。辺鄙な場所の怪しいイベントに、果たしてどれほど申し込みがあるのかと不安だったが、これまでの地道な活動のおかげか、事前に百三件の申し込みがあった。私達はその中から抽選で十組の参加者を選んだ。構成は家族連れ、一人、カップルなど様々だった。

 イベントの内容は、プールサイドに置かれた立体ディスプレイに立体映像で少女の姿の紺が映し出され、スピーカーで参加者とコミュニケーションするとともに、プールの中のイルカの紺とも触れ合えるというものだ。プールの中の宇宙イルカが少女のアバターを操っているのだということを、実際に見て納得してもらおうという狙いだ。参加者の応対は基本的に鹿島さんが行い、私は後ろで様子を見ていた。

 参加者達は、立体映像の紺と同じような動きを同時に行う宇宙イルカを不思議そうに見ていた。紺はイルカの体と少女のアバターで別々の動きをすることが出来るのだが、この日は敢えて同じような動きをするようにと言ってあった。


「わあ! イルカかわいい!」

「イルカさん、お利口だね」


 イルカと少女の紺の反応を比較して納得して欲しい私達の思惑に反し、やがてほとんどの参加者はイルカの紺ばかり見るようになった。今は水族館に本物のイルカがいないから、単純に生きたイルカ――のような生き物のような宇宙イルカ――がいるだけで珍しく、太平洋沿岸部の住民以外には確かに貴重な機会だ。

 私はこの時点でイベントは半分失敗だな、と思い始めていた。これは宇宙イルカを間近で見たい人が集まっているだけで、紺が見たい人達の集まりではないのではないか。

 仮想世界の紺は、床に座り込んでつまらなそうにぼーっとしていた。立体ディスプレイにはカメラが付いており、今日は仮想世界内の紺の前に現実世界の映像が表示されるようになっている。紺にとっては、目の前に浮く小窓から現実を覗いているような感じだろう。

 その時、一人の少女が立体ディスプレイの紺に近づいてきた。やって来る少女に気がついて紺が顔を上げる。その人間の少女は小学校低学年くらいに見えた。少女は紺に向かって嬉しそうに言った。


「紺ちゃん! 紺ちゃん!」

「こんにちは、ちいさな人! おいしそうだね!」


 立体映像の紺が手を振って答えた。少女はゆっくりと立体映像に近づき、紺に向かって手を伸ばすが、その小さな手は紺の体をすり抜けてしまう。この立体映像は仮想世界内の紺の姿を映しているだけなので、当然触れない。


「あらあら、コノミちゃん、ダメでしょ。勝手に」

「ママ。紺ちゃんいたよ」


 少女の母親と思しき女性が駆け寄ってきた。鹿島さんはイルカの紺に群がる他の参加者達に囲まれており、他の社員はフルダイブVRルームでシステムを監視しているから、今この場で対応出来るのは私しかいない。私は母親に向かって言った。


「立体映像に触っても安全ですよ。当たり判定もありませんけど」

「ああ、そうなんですね」

「おおきな女の人! あまり、おいしそうじゃない!」

「あら……」


 紺がそんな事を言うので、母親は目を丸くして固まってしまった。私は紺に言う。


「こら、そういうことは言っちゃダメだよ。人は食べ物じゃないんだから」

「たべものじゃないの? ふーん。でも小さい方がしんせん? だよ」

「紺、失礼だよ」

「しつれいってなに?」


 私と紺のやりとりを見て、少女の母親は吹き出した。


「ふふっ、なんだか人間の親子みたいですね」


 私は苦笑いで答える。


「すみません。人は食べませんから安心してください」

「まあ、それは良かった」


 母親はにっこりと笑って、目線を自分の娘に移した。私は胸を撫で下ろす。最近は減ったが、私はこんな時に相手の機嫌を損ねることが多いのだ。私も、紺と一緒に成長しているのかもしれない。コノミと呼ばれた少女が私に尋ねた。


「なんで紺ちゃんには触れないの?」

「ええと、何と言うか……現実の紺ちゃんはイルカなんだよ。これは仮想世界のアバターで……現実にはいないんだ。姿は見えるんだけど……仮想世界に特殊なアバターでフルダイブすれば触れるんだけどね」


 ポカンとした顔の少女は言った。


「紺ちゃん、幽霊なの?」

「えっ、うーん、そう言われると、近いものがあるかな? どうだろうね? なるほど……幽霊か。魂だと言い換えれば、確かに……」


 私がモゴモゴとそんなことを言っていると、どこからか本原が現れ、大きな声で親子に言った。


「こんにちは、僕もスタッフです! 今日はありがとうございまーす。紺ちゃんのファンなんですか? イルカじゃなくて?」

「あ、どうも……ええ、この子が紺ちゃんのファンなんです。最初の配信を夫がたまたま見ていて、二回目から家族で見ています」


 本原が大袈裟なジェスチャーを交えながら言った。


「おお! 古参のファンじゃないですか! ありがとうございます! これからもよろしくお願いしまーす」

「はい。多分、今日でもっとファンになると思います」


 紺は、いつの間にかコノミという少女とじゃんけんをして楽しそうに遊んでいた。時計を見るとそろそろイベント終了の時間だ。口を開こうとした私より先に、本原が言う。


「あ、もうすぐ時間ですね。お嬢ちゃん、あっちのイルカの方の紺ちゃんには触ったかな? あっちなら触れるよ。せっかくだから挨拶して帰ってね」

「うん。触る」

「じゃあ、お兄さんと一緒に行こうね」

「ありがとうございます」


 親子は本原と一緒にイルカの紺がいる方へと歩き去った。親子の案内を終えた本原が鹿島さんと楽しそうに会話をしているのを見て、私はため息を吐く。それに立体映像の紺が反応した。


「みりに、疲れた? 魚食べろ!」

「はは、ありがとう。ファンがいて良いね、紺は」

「わたしは、みりにのファン!」

「え? そうなの?」


 紺はそれには答えず、仮想世界の中でボールを投げて一人で遊び始めた。イルカの方の紺は皆に触られてキュキューと鳴いている。私はプールの方へは行かず、立体ディスプレイの横に腰を降ろした。宇田賀からイベント終了の合図が来るまで、私は一人でずっとそうしていた。サボっていたわけではない。ここにいてあげたいと、そう思ったのだ。

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