第11話 ひらめき

 その後、展示会から帰ってから数日をかけ、私達はフルダイブVRについて公開されている資料や論文、関係する特許を調べ、イルカを人間型アバターにフルダイブさせることが可能かを検討した。結果、私達は「それは不可能ではない」と結論づけた。ただし、不可能ではないならすぐに出来るわけではない。当然、いくつも問題はあった。


「中でも大きな問題は、フルダイブ中の紺ちゃんの『本当の体』の方だ」


 和らぐことのない暑さが充満する開発室の中、宇田賀は私と英さんに向かって言った。私は腕を組み、唸るように呟く。


「溺れてしまいますね」


 イルカは哺乳類であり、私達と同じ肺呼吸だ。定期的に頭の上にある噴気孔を水上に出して呼吸しなければならない。宇宙イルカも同じだ。


「フルダイブ中、本当の体は眠ったような状態になって動かせなくなります。プールの中で仮想世界にフルダイブするのは窒息の危険があります」

「ああ、そうだ。紺ちゃんの精神が仮想世界にダイブしている間、本体が水中にダイブしちまうな。苦しくなったら安全装置で目覚めると思うけど、実験はそこで中断だ」

「紺ちゃんの頭が出るくらいの、浅いプールでやるのはどうなのかなぁ」


 英さんが手のひらを水平にして横に動かし、「浅いプール」のジャスチャーをする。私は人差し指を立てて言う。


「ダメではないです。ただ、イルカの皮膚は乾燥に弱いので、水から出ているところには常に水をかけ続けないと。あと、鯨ほど体重がないから内臓が潰れることはないみたいですけど、プールの移動を何度もやったら負担がかかるかも。単純にストレスも感じるでしょうし」

「うーむ、試しにやってみるには流石にリスクが大きいな。実験は一回だけで終わることはないだろうからな」


 気がつけば早くも日は傾き、開発室に差し込む光は赤みが増して、外からは波の音に混じって秋の夜の虫の声が聞こえていた。この東京ラボにいると、忘れかけていた地球の地軸の傾きや公転のことを思い出す。

 私は息を吐いて席を立ち、自分のデスクに設置したディスプレイを覗きに行った。そこには実験用プールに設置したライブカメラの映像が映し出されている。開発室の中にいても紺の様子が見られるように取り付けたものだ。ディスプレイの中の紺は水面に頭頂部を出し、静かにプールの中を泳いでいた。ぼんやりとその様子を見ていた私は、紺の目が閉じられていることに気がついた。


「寝ているのか?」


 ちょうど、カメラの前で紺が体の向きを変えた。反対側の目が開いているのを見て、私は早足で宇田賀のデスクに移動した。


「ん、どうした、美理仁」

「紺の脳活動って、今も測定していますよね?」

「ああ、取っているよ。見る?」

「旭君、どうしたんだい?」


 画面に紺の脳を模した3Dモデルが映し出される。少し横長の脳。重さは約一・八キロ。脳の活動の様子が色で可視化されて表現されている。今、脳の右半分は花火のように様々な色が瞬いているいるのに対して、左半分はまるで月の映る湖面のようにおとなしく深い青い色がゆらめいていた。


「半球睡眠……」


 イルカは脳の半分だけを別々に休ませることができる。片側の脳が寝ている間、もう片方の脳が体を動かすことで泳ぎながら溺れずに眠ることができるのだ。半球睡眠と呼ばれるこの行動の間、イルカは寝ている脳と逆側の目を瞑って片目で泳いでいる。宇宙イルカも同じように寝る。私は自分の頭を抱え、大きな呻き声を上げた。


「ああああ! どうして気がつかなかったんだ!」

「お、おい、どうした、美理仁?」

「だ、大丈夫? 旭君。アイタタ」


 英さんがあわあわと立ち上がり、痛そうに腰を押さえた。私は両手をブンブン振りながら、溢れる気持ちの言語化を試みる。


「普段から泳ぎながら寝ているんですよ。普通のイルカと同じように。ああ、なんで気がつかなかったんだ。別に溺れたりしない。半分だけで良いんですよ。半分だけで行動できるんだ。ああ、なんでこんな簡単なことを……」


 英さんは怪訝な顔をしていたが、宇田賀は私の言いたいことをわかってくれたようで、その目が子供のように輝くのを私は見た。


「ああ、脳の半分だけをフルダイブさせるのか!」

「ええ、ええ! そうです。そうです!」


 私は喜びのあまり自然と宇田賀の手を握っていた。宇田賀はニッと笑った。


「宇宙イルカに泳ぎながら人の夢を見てもらう、ってことだな。ロマンチックでいいんじゃないか?」

「よし、いける、いけますよ、絶対!」


 アルキメデスにでもなったつもりだったのか、私は開発室を飛び出して実験用プールへと駆け出していた。左半分の脳の睡眠を邪魔されたであろう紺が、プールサイドに寄ってきて私に向かってナワァと鳴き、口をパクパクとさせてから潜っていった。気がつくと、鹿島さんが奇妙な生き物を見るような目で私を遠巻きに見つめていた。

 黄昏時の赤い光の中で、私の中で何かが噛み合って回り始めた。

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