第10話 展示会

 2034年9月15日。

 その日、私と宇田賀は電車に揺られ、幕張で開かれる技術展に参加するためにイベント会場に向かっていた。目的は出展ではない。開発のヒントを得るためが半分、そして気分転換のため、というのがもう半分の目的だった。まるでテーマパークに向かう子供のように、宇田賀はニコニコと笑顔を浮かべている。


「いやあ、楽しみだな」

「遊びじゃないですよ、宇田賀さん」

「楽しむ心は重要だよ。それに、最初から関係があるものとか、役に立ちそうなものを決めつけて、それだけ見ようなんて考えていたらヒントにならないだろ」

「確かに、そうかもしれないですけど……」

「なんたって、日本初公開のフルダイブVRの技術デモだぞ! 申込者殺到なんだってな。ま、当たり前だろうな。社長にコネがあって良かったぜ」

「まあ、それは私も気になります」


 今回の技術展の目玉。それはアメリカの企業が出展するフルダイブVR技術だ。フルダイブVRとは、まるで意識全体で入り込んだようにコンピュータ内の仮想世界の中で五感を感じることができるという技術だ。昔からSF作品の中で描かれていた夢の技術だったが、AIによる脳科学や医学、材料、化学などの広い分野の急速な発展がついにそれを現実にしたのだ。研究室レベルではもう十分な実績があり、開発した企業は商業化に向けて資金集めと宣伝のためのデモンストレーションを各国で行なっているところだった。

 宇田賀がニヤリと笑って私の肩を肘で突く。


「何気取っているんだよ。美理仁も本当はワクワクして走り出したいくらいなんだろ。俺にはバレてるぞ」

「えっと……実は、楽しみで昨日眠れませんでした」


 私は鞄からそっと雑誌を取り出す。今回展示されるフルダイブVR技術の特集が載った科学雑誌だ。わざわざ紙の物を探して買ったのだ。それを見て、本当に嬉しそうに宇田賀は私の肩をパンパンと叩いた。


「はははっ、やっぱり。そう来なくっちゃな! 最近素直になってきたな」

「早くフルダイブのVRゲーム出ませんかね。昔から夢なんです」

「あれをやるまでは死ねないよな! 誰もやらないなら俺が作るぜ」

「宇田賀さんなら本当に作っちゃいそうですけど、ゲームの中で死んだら現実で死ぬようなのはやめてくださいよ」

「はははっ、あれな。どうやったらできるかな。ちょっと具体案を考えてみようか。やっぱり脳への電撃か……」

「やめてください。捕まりますよ」


 そんな学生みたいな会話をしながら駅に到着した私達は、そこからシャトルバスに揺られて会場へと向かった。AI規制や自動運転反対派のせいで自動運転技術の進化は足踏み気味で、まだ一般道での完全自動運転には至っていない。AIに命に関わる乗り物を運転させるのには、抵抗のある人がまだ多いようだ。

 私のスマートウォッチに通知が入った。東京ラボにいる鹿島さんからの業務連絡だ。社員全員に向けて紺の健康状態を定期的に発信してくれている。紺は今日も元気だそうだ。私はついでに設備管理AIから送られる水質と水温の情報をチェックした。

 やがて、窓の外に会場が見えてきた。前の会社にいた頃も何度か出張で訪れた場所だ。今日はプレスデーなので招待券を持っている人しか入れないにもかかわらず、入り口にはもうたくさんの人が列をなしていた。一般客が入れる週末はきっと想像を絶する混雑になるだろう。思わず浮かべた私の表情を見て、隣の席に座る宇田賀が言った。


「まるでテーマパークだな。どうせなら、俺じゃなく鹿島さんと来たかったんじゃないか?」

「えっ?」

「あの人、結構美人だよな。さっぱりしていてわかりやすいし」


 宇田賀からこんな話題が出るのは珍しい。この人は私と違って他人にも興味があるのだ。私はなるべく感情が顔に出ないように注意しながら答えた。


「私は、ちょっとあの人苦手ですね。相性が悪いかもしれません」


 それを聞いて宇田賀はにっこり笑って言った。


「はははっ、そうか。でも鹿島さん、美理仁のこと褒めてたぞ。真面目で勉強熱心だし、頑張って紺と仲良くなろうとしているのは伝わるって」

「……そうなんですか」


 この時私が感じていた感情は複雑だった。困惑、安堵、希望、喜び、怒り。そのどれにも当てはまりそうで、どれにも当てはならない気がした。自分の脳波を測定して結果を見たいとすら思った。


 お目当てのフルダイブVRのデモは時間が指定されていたので、招待券に記された時間まで私達は会場を見て回った。宇田賀は訪れるブースのほとんどに知り合いがおり、どこに行っても人に囲まれていた。〈ミカギテクノロジー〉が潰れても、この人はすぐに再就職できるだろう。そんな宇田賀を横目に、私は一人で黙ってブースを見て回った。国内外の最新技術には大いに好奇心をそそられたが、すぐに自分達の仕事に活用できそうなものは見つからなかった。もっとも、宇宙イルカと会話するための技術のヒントがその辺に転がっているわけもないのだが。

 やがて時間になり、私達はフルダイブVRの技術デモが行われるブースへと向かった。ブースの入り口に大きく記された会社名は〈ムロメ・デンノウ〉。漢字の〈室米電脳〉という文字をもとにデザインされたロゴがその横にホログラムで浮いて回っていた。〈ムロメ・デンノウ〉の経営者は、室米龍(むろめりゅう)という若い日本人だ。アメリカの有名大学に留学していた室米龍が、現地で大学の仲間と起業したのだという。会社名は日本っぽいが、完全にアメリカの企業だ。御鍵が前に役員をやっていた会社と繋がりがあるらしく、今回、私達はそのコネのおかげで技術デモに参加できた。

 会場内で一番の広い面積を占有している〈ムロメ・デンノウ〉のブースは完全に壁に囲まれており、外からは中が見えなくなっていた。私達が入り口で招待券を見せて中に入ると、薄暗い空間にネオンで作られた漢字が輝くサイバーパンク風の空間が広がっていた。宇田賀は子供のように笑う。


「はははっ、なんだこりゃ。面白いことするなぁ!」

「随分と凝っていますね。本当にテーマパークのアトラクションみたいだ」


 ネオンの案内に沿って薄暗い路地のような装飾のされた通路を進むと、中央に大きな椅子が置かれた広くて明るい空間に出た。リクライニングする背もたれと足置きのある白い革張りの椅子で、フレームの部分はツルツルとして金属光沢を放っていた。頭を乗せるヘッドレストの部分には様々な機械が取り付けられ、そこから繋がったケーブルが傍に置かれた真っ黒な装置に繋がっている。


「うおお! サイボーグにでも改造されそうじゃないか。あの椅子欲しいな」

「ヘッドレストに付いているのがフルダイブVR用のBMIですかね。思った以上にコンパクトですね」


 椅子に近づこうとした私達をスーツ姿の係員が静止する。


「デモの時以外は近づかないでください。撮影もご遠慮ください」

「わかっているよ。うう、早くやらせてくれ!」


 希望者は実際にフルダイブVRを体験できる。この回は私達以外に三人の参加者がいたが、当然全員が体験を希望した。私と宇田賀は体調や持病を申告する用紙にチェックをして、最後に同意書にサインをして係員に手渡した。


「今までの実験で健康上の問題が起きたことはありませんが、念のためです。では早速始めましょう」

「はい、はい! 俺からで良いかな?」


 勢いで他の参加者を押し退けて最初の体験者の座を勝ち取った宇田賀が、中央の椅子に座った。


「フルダイブ中、本物の体の方は動かせなくなります。眠って夢を見ているような状態です」

「なるほどね。夢の中で走ったって実際に体は動かないもんな」

「では、頭をここにつけて、楽にしてください。目を瞑って……」


 宇田賀が椅子に座りヘッドレストに頭を付けると、係員が装置を操作した。宇田賀がゆっくり目を閉じる。何か神聖な儀式が行われているようで、私はドキドキしながらその様子を見守った。やがて、部屋の壁面に取り付けられた大きなディスプレイが起動し、その中に可憐な少女の3Dモデルが現れた。画面の中の少しガニ股気味の少女は、自らの両手を見つめ、少女の声で感嘆の声を上げた。


「おお……おお、すごい、すごいぞ! 俺、女の子になっているぜ」


 ディスプレイを見つめる他の参加者からも驚きの声が上がる。宇田賀の「本体」はリクライニングした椅子の上で眠ったように動かない。係員がマイクを持って仮想世界の中に呼びかける。


「そのアバターは身体構造を可能な限りシミュレートしているフルダイブ用の特別なものです。人体の骨格、筋肉、主な神経が再現されています。今、脳からの信号のうち、自分の意思による運動、つまり随意運動に関する信号が仮想世界内のアバターに伝わるようになっています。内臓の動きなどの無意識下の信号は本物の体に伝わっていますので、ご安心ください」


 画面の中の少女は、自らの腕をつねって見せた。


「おお、柔らかい。痛いというよりかゆいな。痛みはカットしているんだな」


 係員が説明を加える。


「ええ、その通りです。アバターは感覚器官も再現され、その仮想世界は物理法則がシミュレートされていますので、つまんだり、叩いたり、触ったり、飛んだり跳ねたりすれば、アバターの感じる感覚が電気信号として脳に伝わります。ある程度のレベルを超える強い感覚は自動でカットされますので、安全です」


 画面の中の少女は、面白そうに自らの体の色々な場所を触っている。私は手を挙げて係員に質問をした。


「嗅覚や味覚も再現できているのですか?」

「はい。だたし、嗅覚は複雑すぎて、現状まだ再現度は完璧とは言えません。将来的には現実と見分けがつかなくなると考えています」


 画面の中の宇田賀が少女の声で質問する。


「これ、声は? 喉に手を当てると振動を感じるんだけど」


 係員は得意げに答えた。


「声帯の構造と振動をシミュレーションしています。声を出すために肺を動かす信号と、必要な呼吸の動きの信号を分離しています。特許技術です」

「ははあ。随分精度高く計測できるようになったものだな。しかし、なんでデモのアバターが女の子なんだ?」

「それは……社内アンケートで決めました」

「はははっ、楽しそうな会社だな」


 画面の中の少女は宇田賀の笑い方で笑った。表情筋の動き、立ち方、目の動き、そういったものは確かにいつもの宇田賀だった。確かに、中に宇田賀がいる。私は血をワインに変える神の奇跡を目撃した信者のように感動に震えていた。

 体験は一人約五分で交代することに決められていた。宇田賀の番が終わった途端、参加者は皆興奮した様子で次の体験を希望した。好奇心と譲り合いの精神の戦いの末、私は三番目になった。

 自分の番が来て、私は椅子に横たわり目を瞑った。少しピリピリした感覚を体の芯で感じたと思うと、いつの間にか体に伝わる重力の方向が変わったことに気が付く。ゆっくり目を開けると、私は少女の姿で仮想世界の中に立っていた。


「これは……すごい」


 自分の意思で動く見慣れない細い腕を見つめ、私は他の参加者と全く同じ感想を呟いた。皆、それしか言えないのだ。指で細い腕を触ると、自分の体よりだいぶ柔らかい感触が返ってくる。ピョンと跳ねてみると、ふわりと軽い体が浮き、地面に着地した時の衝撃が足裏を通して伝わった。ふわりとスカートが動く感覚が落ち着かない。次に、私は自らの頭から生えている長い艶のある黒髪を指で摘み、鼻の前に持ってきてみた。ふんわりと甘い匂いがした。わざわざ匂いを設定しているのか……次に自分の指を咥えてみる。無味、いや、少し塩辛い?、さすがに気のせいか……その時、世界のどこかから宇田賀の声がした。


「おいおい、美理仁、その辺にしておけ。なんか危険だぞ、色々と。気持ちはわかるけどな」

「ああ、すみませ……ん」


 自分の喉から高くて丸い声が出て、戸惑う。


「えー、時間ですので戻しますね。次の方と変わってください」


 バチバチと頭の中で何かが弾けるような感覚と共に、私はいつもの自分の体に戻った。五分には少し早い気がしたが、仕方ない。

 現実に戻った私は、自分のいつもの体をまじまじと見つめ、考える。少女の体になれるなんて、まるでファンタジーの世界だ。しかし、いきなり体が変わっても仕草はそれらしくならないものだ。体の構造や社会的な立場による、周りの態度、衣服、食事……そういった経験に影響を受けて育つうちに、人の振る舞いは決まってくるのだろう。きっと別の動物でもそうなのだ。チンパンジーをあのアバターにフルダイブさせたところで、人らしい動きは出来ないだろうし、逆でもそうだろう。では、ずっとアバターにフルダイブして過ごしたら、姿に中身が合っていくのだろうか? 私があの少女型アバターでずっと過ごしたら、少女の振る舞いをするのだろうか? 例えば、私が曽理音のアバターに入ったら、曽理音のような人生を送れるのだろうか?

 そんなことを考えていると、ふと私の中であるアイデアが浮かんだ。それは途端に私の頭の中を支配し、離れなくなった。

 全員の体験が終わった後、私はすぐさま係員に質問した。


「これって、人間以外の動物でも使えるのですか?」


 宇田賀がハッとした顔を浮かべる。係員は少し考えてから答えた。


「動物によると思いますけど、出来ると思いますよ。開発の初期ではオランウータンでやっていましたからね」

「じゃ、じゃあイルカは!?」


 私の質問の内容と勢いに戸惑う係員。宇田賀は無言でニヤリと笑っている。係員は少し困った様子で答えた。


「ええと……やったことはないですが、出来ることは出来ると思います。ただ、体の構造が違いすぎますので、危険かもしれません……それ以上はなんとも言えないですね」

「そうですか。これって、買えるんですか?」

「まずは企業向けですね。一般の人が個人で所有できるようになるのは、だいぶ先です」

「なるほど……ありがとうございます」


 その後、他の参加者から質問がされている間も、私は一人考え事をしていた。宇田賀も同様に黙って何かを考えていた。デモが終わり、ブースを出た私に宇田賀は呟いた。


「美理仁、何か考えがあるなら遠慮せずに言ってみろ」


 私は驚いて宇田賀を見る。そう、考えがあった。だが、何の確証もない。こんな思いつきを言ったら馬鹿にされるのではないか? そんな私の心を見透かすように、宇田賀はニッと笑って言う。


「やってみたいことがあるんだろ? 試してみたいことが。やってみたくてしょうがないはずだ」

「やってみたいこと……」


 私には意思があった。好奇心に突き動かされ、やってみたいことがあった。昔もこんなことがあった気がする。やりたいことがあったのに、やめた。それは正解ではないと思ったから、自分でそう決めた。そして後から後悔した。

 そうだ、私はオーボエが吹きたかったんだ。高校でも吹奏楽部に入りたかったんだ。

 たまには間違えて、わがままを言っても良いのかもしれない。ここでなら、それが許される気がした。


「さっきのフルダイブVRを使って、紺を人のアバターにフルダイブさせてみたいです。その状態で人の知性を覚えさせるんです!」


 私は一気に言った。ドキドキと胸が高鳴る。まるで好きな人に告白をした少女のようだ。

 それを聞いた宇田賀は、嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑った。


「はっはっはっ、いいぞ! わかってきたじゃないか。知性と身体は深く結びついている。人の身体を与えたら、人の知性が芽生えるかもしれない。まったくないとも言い切れない。誰もやったことはないからな。その状態で人間の子供に教えるように言葉を教えたら、もしかしたら会話が出来るかも……だが、いくつか、いや、いくつも問題があるな」

「どうにかなるでしょう。いや、どうにかしますよ」


 私の口は自然にそう動いていた。やらなければならない、ではなく、やってみたかった。宇田賀は一瞬驚いたような顔を見せたが、すぐに見慣れた顔に戻り、静かに言った。


「楽しくなって来たな」

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