第4話 宇宙イルカとは


 「宇宙イルカ」が現れたのは私が転職をする三年前、2030年7月1日のことだ。

 太陽系外から突如現れた未確認飛行物体が恐るべきスピードで地球に接近し、大気圏を突破、現地時間の午後一時ごろ、ハワイ沖に出現した。近くの海岸にいた複数の目撃者の証言によると、飛行物体は空気を低く震わせながら雲を突き破って現れ、海面スレスレでピタリと静止したという。その大きさは遠目にもわかるほどで、まるで小さな島が空から降ってきたかのようだったと証言する者もいた。実際、後に映像から割り出された円盤状の飛行物体の推定サイズは最低でも半径一キロメートルという大きさだった。飛行物体は全体からぼんやりと青い光を放ちながら、海面から十メートルほどの高さで静かに浮き、何か不思議な力で空間に固定されたように微動だにしなかったという。そして約三分後、放っていた光が消えて全体がくすんだ灰色となると同時に、力尽きたように海面へと落下した。不思議なことに、その巨大さにも関わらず着水による波はほとんど起こらなかったという。

 急いで現場に駆けつけたアメリカ海軍のヘリのクルーが見たのは、沈みつつある飛行物体から出てくる、大量の「イルカのようなモノ」だった。たまたま居合わせた野生のイルカなどではなく、確かにそれらは飛行物体の中から現れていた。正確な数はわからないが、およそ千頭はいたと考えられている。そして飛行物体はそのイルカのようなモノ達の脱出を待っていたかのようにボロボロと崩れ去り、無数の残骸となって海中に沈んでいった。


 その「イルカによく似た地球外生命体らしきモノ」を、人類は遠巻きに恐る恐る観察した。外観上の特徴は青味の強い体色で、それ以外は地球のバンドウイルカにそっくりだった。地球のイルカと同じように頭の上の噴気孔で呼吸をし、魚を食べて栄養と水分を補給しているようだった。違いと言えば群れで行動することがほとんどなく基本的に単独で行動するということ、なぜかメスしかいないこと、そして普通のイルカ以上に好奇心が強く、人間に積極的に寄ってくることだった。

 いつしか「宇宙イルカ」と呼ばれるようになったその地球外生命体らしきモノは、ちゃっかり太平洋に住み着いてしまった。そして好奇心旺盛な宇宙イルカ達は沿岸の街に平然と姿を現し、船や港の人間をじっと観察するような様子を見せた。宇宙イルカは人間が危害を加えようとすると逃げるのだが、好奇心を持って調べようとすると自ら進んでこちらに寄ってくるという不思議な性質があった。攻撃をしてきたりはしなかったし、怪しい病原体を撒き散らしたりすることもなかった。


 その年の冬、好奇心と勇気を兼ね備えたある学者が最初の一歩を踏み出した。宇宙イルカを捕まえて調べたのだ。宇宙イルカは自ら寄ってきて、調べてくれと言わんばかりに簡単に捕まったという。

 人間ドッグで使うMRIやCTスキャンを使って体の構造が調べられたが、やっぱりほとんどバンドウイルカと変わらなかった。ただ、脳が少し大きく、細胞密度が高い可能性があった。遺伝子は採取出来なかった。なぜなら、宇宙イルカの体から離れた体組織はすぐさまボロボロと崩れてしまい、残るのは炭素、酸素、水素、窒素など――地球の生物の主な構成元素――を含む塵だけなのだ。それは死んだ時も同じで、死骸はすぐに全身がボロボロと崩壊して塵になってしまう。そのため、宇宙イルカを解剖することは出来なかった。宇宙イルカは限りなくバンドウイルカにしか見えない「地球外生命体のようなモノ」なのだ。


 その後、宇宙イルカ研究は一時期ブームを巻き起こす。回収した未確認飛行物体の残骸からアメリカ軍が高度なテクノロジーを得たとか、実は宇宙イルカは不老で絶対に病気にもかからない、といった噂が流れたせいもあり、世界中の様々な大学、研究機関、企業がこぞって宇宙イルカの調査、研究を始めた。これが2031年から始まった宇宙イルカ研究ブームだ。

 だが、私が〈ミカギテクノロジー〉への転職を決めた2033年時点で、宇宙イルカ研究ブームはかなり下火になっていた。成果はほとんど出ず、「よくわからない」ということしかわからなかったのだ。宇宙イルカに関連した詐欺も頻発し、いつしか宇宙イルカの神秘的なイメージはすっかり胡散臭いものへと塗り変わってしまい、そのせいで予算が確保できずに研究をやめるケースが増えた。無理やり成果が出ているように見せかけようと怪しげな研究結果が発表され、そのせいで宇宙イルカの胡散臭さがさらに増すという悪循環だった。そして、いつしかほとんど誰も宇宙イルカの研究をしなくなった。


 そんな状況の中、無謀にも無名のスタートアップ企業〈ミカギテクノロジー〉は、宇宙イルカと会話することで、一体何者なのかを直接問おうと考えたのだ。

 通説として、宇宙イルカは何者かに作られたとされている。宇宙イルカ達が自らあのような飛行物体を作ることができるとは考えにくい。したがって、宇宙イルカは何者かにより作られ、何者かによって飛行物体に乗せられたはずだ。そして成熟したバンドウイルカのサイズであることから、地球に来る前の記憶を持っているはず。それが、宇田賀達が宇宙イルカと会話できるようになれば秘密を聞き出せると考えた理由だ。


「迷子の子供を保護したら、その子にお母さんの名前や、どこから来たかを尋ねるだろ? それと同じだ」


 面接の際、宇田賀は私に向かってそう言ってニヤリと笑った。

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