第1話 一年半前

 時は遡り、約一年半前の2033年10月17日。

 その頃、私はある大企業の社員だった。


「つまり、このAI人工知能時代にどうやって生きるか、なんだよ。美理仁の悩みは」


 私の目の前に座った曽理音悠そりねゆうは、手に持ったウイスキーのグラスを傾けて言った。曽理音は私の小学校からの幼馴染で、社会人三年目となった今もこうして会って話す仲だ。少し癖のある明るい短髪、綺麗に通った鼻筋、ガッチリとした腕に巻かれた機械式の腕時計、ブランド物のグレーのジャケットに、おそらくシルクのネクタイを締めた姿は、オレンジ色の光とウォールナットの内装に囲まれたこのバーの空間に実に良く馴染んでいた。一方、私は特に特徴の無い、中肉中背で黒い短髪の、至って普通の日本人男性。出張帰りでスーツ姿だから、かろうじて場の雰囲気から浮かずに済んでいるようなものだ。フライドポテトを摘んで口に運び、私は曽理音の話に黙って耳を傾ける。


「AIが仕事の中で活用されるようになって、たくさんの人が仕事を失った。そんな中、大企業に就職出来た俺達は恵まれている方だ」


 何度も、家族や他の友人達、会社の同期達から言われたことだ。出張で都内にやってきた私は、明日が有給休暇なのを良いことに、こうして木曜日の夜から幼馴染と飲んでいる。確かに恵まれている。だが……フライドポテトを飲み込んだ私は弁明するように口を開いた。


「それは――」

「まあ、聞けよ。俺達は恵まれている。今のところは、な。だが、業務支援AIを含め、世の中で使われているAIはそのほとんどがアメリカ合衆国製の一部企業のものだ。皆がAIを使って成果を出す中、使わないという選択肢はない。AI使用料はアメリカの企業の言いなり。そして、それは大企業ほど重い負担になる。実際、この前も大きな会社が〈決壊〉したばかりだ」


 〈決壊〉とは、大企業が経営の悪化に耐えられなくなって人員整理や事業縮小をした結果、大量の社員が職を失うことだ。正社員を簡単に解雇できないのは、今も昔も変わらない。ギリギリまで粘っていた大企業がついに耐えられなくなった時、まるでダムが決壊するように大量の失業者が放出されることから、いつしか〈決壊〉と呼ばれるようになった。


「でも、AI使用料の負担は小さな会社だって一緒じゃないか?」


 私の問いに、曽理音は手に持ったグラスの中の氷を揺らし、しょうがないな、とでも言いたそうな顔で答える。昔から、私は不思議とその顔が嫌ではなかった。


「業務支援AIを活用できれば、人間は少なくて済むんだよ、本来は。だから新しい企業は少数精鋭で成果を出す。一方、大企業は大量の人員を抱えて多くの人件費を払いながら、それに加えて社員の数だけライセンスを契約して高いAI使用料も払っている。それぞれの社員が小さな会社と同じくらい成果を出せばいいんだが、そうではない、残念ながらな。AIが普及すればするほど、社員の多い会社は費用に対する成果が減るんだ」

「なるほど……」

「これは、資本主義社会からAI社会に移行する過渡期の弊害だと、俺は思っているよ。AIがビジネスになっているからこういうことになるのさ。それで、お前はそういう状況をうっすらと自覚していて、このまま大企業でぼんやりしているのはマズイと考えている。それが、仕事に対する不満の正体だ」

「うーん、なるほどな。そうかもしれない。さすがだな、曽理音は」


 私は、幼馴染に対して素直に感嘆の声をあげる。昔からなんとなく流されて生きてしまう私に対して、曽理音はいつも自分の考えを持っている。私はジントニックを一口飲んでから言う。


「今の話で気がついたんだけど、俺は多分、ナニモノか、になりたいんだと思うんだ」

「ほう?」

「大きな企業だと、自分の仕事は巨大な仕事のごく一部だろ。自分だけで仕事は完結しない。もし自分の会社が〈決壊〉して外に放り出されたら、俺はきっと何も出来ない。そんな俺は果たしてエンジニアなのか? そう言えるのか? そんなことを考えてしまうんだ」


 曽理音は頷き、テーブルの上のタブレットで新しい飲み物を注文する。


「それはやっぱりAIや機械へ置き換えられるのを恐れているのさ。誰でもできる仕事じゃなくて、自分にしかできない仕事を持たないといけない、ってな。注文を取りに来る店員が、このタブレットになってしまったように」

「だよな。曽理音くらい優秀ならそんな心配もないんだろうけどさ。……やっぱり、新しい小さな会社にいた方が、実力は付くと思うんだ。AIに置き換えられないような実力が」

「また転職の話か? 小さなスタートアップ企業は少数精鋭だ。AIにできないことが、『今できるやつ』しか取らないのが現状だ。お前は努力家だが、正直向いていないと思うぞ。まあ、そんなこと今更言わなくてもわかっているだろうけどさ」


 私はため息をつく。


「はあ……大学ではそんなこと教えてくれなかったな」

「AIに聞いてみろ。『転職は慎重に考えるべきでしょう。それよりも、今の職場で出来ることを考え、生活の基盤を維持したまま出来ることから実行しましょう』って、最適解を教えてくれるよ。俺もそう思う」


 曽理音はロボットが運んできたウイスキーを手に取り、ニヤリと笑ってそう言った。全くその通りだ。それがまともな「最適解」だと、私だってわかっている。わかっているのだけど。再び、ため息を付いてしまう私。それを見て、曽理音は言った。


「ため息ばかりつくな。幸せが逃げるぞ」

「はあ……そうだな……せめて副業を解禁して欲しいよ……はあ」

「ははは。まあ、今の社会はおかしいよ。俺もそう思っている。俺は別に反AIってわけじゃないが、今の社会はまだAIに対応出来てないのさ。……いったん、大きな戦争でも起こって全て壊れれば良いのにな」


 私が予期せぬ単語の出現に目を丸くすると、曽理音は笑って言った。


「冗談だよ。それより、明日は何をするんだ? 有休なんだろ?」

「あ、ああ。消化しないといけないからな。特に予定は無いんだけど、せっかく都内に来たから観光でもしようと思っている」

「そうか。俺は仕事だから付き合えないが、水族館なんて良いんじゃないか? ゆらめくクラゲでも見て癒されるといいさ。今のお前にぴったりだ」

「はは、水族館か。それも良いかもな」


 私は冗談か本気かわからないアドバイスに力無く笑い、タブレットから曽理音と同じウィスキーのロックを注文した。普段飲まないウィスキーは私の体温を上げてくれたが、私の気分は沈んだままだった。

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