最終章 第十一章「攻勢」
「長谷川くん、彼らをお願いできるかしら?」
南が静かに問いかけると、後ろに控えていた大柄な男が歩み出る。
「分かりました」
その男――
それも当然である。
彼は、徳井や南と同じく現国家開現師の一人であり、徳井とは同期の戦友でもある。
「ところで、徳井くんは? 彼もこちらに向かうよう指令があったはずですが」
「彼には、もう一体の獣魔侵将を追うように命じたわ」
「となると、私たちは残りの二体ということですね」
「いえ、長谷川くんには後発部隊が到着するまで、彼らの護衛をお願いしたいの」
長谷川は眉をひそめ、一瞬困惑の色を見せた。
「それでは、南さん一人で二体を相手にするんですか? 確かに、南さんなら可能でしょうが、この空間も崩壊し始めています。二体同時は、さすがにリスクが高すぎるかと…」
しかし、南は穏やかに微笑んだ。
「大丈夫よ。向こうには笠井くんがいるから」
長谷川はしばらく南を見つめていたが、彼女の揺るぎない決意を前に、もはや疑念を挟む余地はなかった。
「分かりました。では、私は囚われた開現師たちの救出を優先します」
「ええ、お願いね」
そして、南は笠井が待つ宮殿の奥へと向かっていった。
「さて、そういうことだ――」
「私の相手をしてくれるかい?」
長谷川が視線を戻すと、床から黄金に輝く五体の兵士が浮かび上がった。彼らは重厚な黄金の鎧をまとい、槍を構え、眼下の敵を見据えていた。
「なるほど…」
長谷川は、立ちはだかる黄金兵たちを一瞥し、低く呟く。
「囚われた開現師たちをコアにして、自らの能力を底上げしているというわけか」
通常の羅刹とは異なり、その体内には異様な力が脈打っていた。
しかし、そんな敵を目の前にしても、長谷川の顔には焦りの色は微塵もない。むしろ、彼の目にはわずかな高揚感すら漂っていた。
「だが――果たして、そんな小賢しい策でこの長谷川龍治を止められるかな?」
長谷川は口元に微かな笑みを浮かべ、ゆっくりと拳を握りしめる。
その瞬間、金属音が鳴り響き、黄金兵たちが床を蹴り、侵入者へ一斉に襲い掛かる――。
「まったく、醜い姿をあなたの前で見せるなんて…くっ、忌々しい!!」
人間体に戻ったハイラは怒りを露わにし、無力な笠井を乱暴に蹴りつける。彼女の表情は怒りと屈辱に歪んでいた。
「ふっ、そんなにカリカリするなよ。あの姿も、僕は美しいと思ったけどね」
「シンダラ…」
ハイラの赤く光る瞳が淡く輝き、その内部では激しいモーター音が鳴り響いていた。
「まあ、これで彼も僕たちの手中に堕ちたわけだ」
「ところで、あの方はこの男をどうするおつもりなのかしら?」
「さあね。あの方の意志なんて、僕たちには理解できないものさ。でも、堕ちた師匠が愛弟子を手にかけるなんて、なかなか洒落た展開だと思わないかい?」
「まあ、素敵!!」
ハイラが楽しげに笑い、シンダラは肩を軽くすくめた。
「冗談はさておき…。さっそく我らが御方の元へ彼を連れて行こうか」
その瞬間――。
この世界を覆っていた結界が、音もなく崩壊した。
「私の逢魔天暁が!?」
二人は、この世界へ新たに侵入してきた強大な力を感じ取る。
「どうやら、敵も入ってきたようだね」
シンダラの声色が一変し、冷たくなる。
「では、
「クビラも対象へ接触したみたいだし、後は任せたよ」
ハイラはその場で軽やかに回転すると、闇の中へと姿を消した。
「さあ、君は僕と一緒に来てもらうよ」
シンダラは冷たく微笑みながら、倒れ伏す笠井に手を伸ばす。その鋭い指先は蛇のように絡みつき、彼の体を捕らえようとする。
しかし、その瞬間――。
笠井の中で何かが変わり始めた、そんなかすかな予感が漂うのを察知し、シンダラの指先がほんの一瞬止まった。
「…へえ、まだ抗うつもりなのかい?」
シンダラの冷たい視線がさらに鋭さを増し、再び笠井に手を伸ばす――。
笠井は、虚ろな目をしたまま漆黒の闇の中を漂っていた。深い暗闇の底では、彼は何も感じることも、考えることもできなかった。
そんな彼を、父と友を騙る者たちが見下ろしていた。
しかし、もはや彼らの嘲笑も笠井の耳には届かない。
心の奥底まで見透かされ、無力さを思い知らされた彼の心は完全に閉ざされていた。すべてが遠く、意味を失い、闇だけが彼を包んでいた。
しかし、その闇の奥底から不意に暖かな風が吹き込んでくる。
その風は、彼を惑わせていた偽りの虚像を打ち払う。
「…ふ、じ、も、と」
風は次第に、かつての友人藤本の姿に変わっていく。
藤本は優しい声で語りかけてきた。
「あの時…俺は、お前を最後まで信じ切ることができなかった。それが、今でも心残りでさ」
藤本は気恥ずかしそうに頬を掻きながらも、意を決したように笠井を見つめる。
「でも、今なら言える。笠井、お前を信じてるぜ!」
再び風が姿を変える。今度は、祖母であった。
「こら、亮。こんなところで何をしているんだい!」
懐かしい声が響き、笠井はその眼差しと向き合う。厳しさと優しさが同居するその瞳が、虚ろな笠井の目をまっすぐ見つめていた。
「お前がやらなきゃ、誰がやるんだい」
「でも、俺はもう…」
弱々しく漏らした笠井の言葉に、祖母は慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「亮…あんたは一人じゃないよ。悩みながらも、苦しみながらも、あんたは必死に歩いてきた。それを私たちは、ちゃんと知ってるよ」
祖母の瞳には、涙がにじんでいた。
「だから、亮、もう一度立っておくれ。他の誰でもない、あんた自身を守るために!」
微笑む祖母の姿が徐々に薄れていき、その輪郭は父・笠井健司のものへと変わっていった。
「父さん…俺は」
笠井は、父の顔をまともに見ることができなかった。
彼の心には、父との思い出をシンダラによって歪められた痛みが今もなお残っていたためだ。
自分は父に言葉をかける資格などない、その自責の念に苛まれていた。
「亮、大きくなったな」
見上げた父の顔は、遠い記憶の中にある、あの優しい笑顔のままだった。
「父さんの手紙は読んでくれたか?」
「ああ…」
「なら、父さんの伝えたかったことがわかるはずだ」
笠井は、父の墓参りの際に母から受け取った手紙の内容を思い出す。
そこには、父からの感謝の言葉と、彼に向けた力強いエールが記されていた。
「父さんの仕事は、人の命を救うことだ。一つの命を救うのは、何よりも難しい。どれだけ訓練を積んでも、現場では一瞬の判断が求められる。そうした判断が、誰かの命、そして自分の命を守るかどうかを左右する――」
「だから、父さんは自分ができることを精一杯してきたつもりだ…」
父は静かに拳を見つめ、その眼差しには儚げな寂しさが漂っていた。
「でも…亮、お前には寂しい思いばかりをさせてしまったな。ごめんな」
父はしゃがみ込み、笠井の肩に手を置いた。
その手は大きく、そしてとても温かかった。
「亮、俺はお前を誇りに思っている。お前が助けた人たちは、新しい命をつないでいく。だから、もう一人だなんて思うな!」
「亮、仲間を信じ、そして、お前が友を導くんんだ!」
それは、父が手紙に託した想いそのものだった。仲間を信じること、そして、仲間を導くことの大切さ――父はそれを笠井に伝えようとしていたのだ。
「俺たちは、お前のことを信じているぞ…」
三人の姿は、やがて光輝く風となって天高く舞い上がる。
その風は、暗闇に支配されていた世界を次第に光で満たしていった。
暖かな光の中で、笠井はゆっくりと目を閉じ、再び立ち上がる決意を固めるのだった。
南が笠井の元へ向かおうとする中、突然上空から銃弾の嵐が襲いかかる。しかし、南はそれを軽やかに躱し、美しい瞳で敵を鋭く見据えた。
「あら、わざわざこちらに来てくれるなんて。おかげで手間が省けたわね」
余裕の笑みを浮かべた南は、上空にいる敵――ハイラに挑発的な視線を送る。
「なんですの?負け惜しみかしら?でも、あなたをお仲間の元へは行かせないわ」
ハイラは、南の余裕綽々とした態度に苛立ちを募らせていく。
「何か勘違いしているようね。私の任務は、あなたを倒すことよ」
「……? あの子はもう堕ちたのよ。状況は依然として、あなたたちは劣勢のままよ」
その瞬間、南は拳を構え、ヴァジュラを顕現する。
『わが敵を打ち砕け、
小咒を唱えると同時に、彼女の体には荘厳な力が満ちていった。
その瞳は一切の迷いはなく、勝利を確信しているかのように光る。
「あなたの相手は私一人で十分。そして、もう一体の方は…笠井くんが必ず倒すわ!」
南の断言に、ハイラの怒りはついに頂点へ達する。彼女の表情はまさに、般若の如き憤怒で歪む。
「舐めるんじゃないわよ、人間風情が!!」
「そちらこそ、私たちの力を甘く見ないことね」
黄金宮殿の崩壊が徐々に始まる中、南は全身の力を込めて叫ぶ。
「ーーさあ、起きなさい! 笠井亮!!」
シンダラの手が笠井へ迫る中、
パシッ
無造作に差し出されたその手は、力強く払われる。
「驚いた……。まさか、
予想外の事態に、さしものシンダラも困惑を隠せないでいた。
「はっ、ずっと寝てちゃあ、南先生に怒られるからな……」
微笑みを浮かべる笠井。 しかし、立っているだけでもやっとの状態であることは明らかだった。
「おいおい、そのザマで何をするつもりだ? もうボロボロじゃないか」
シンダラは笠井の姿を見て、再び飄々とした態度を取り戻す。
『我が敵を打ち砕け、
笠井が風塵鴉鎚を顕現させ、シンダラに向かって飛び掛かる。シンダラも鉤爪を展開し、その一撃を受け止める。
「ははっ! なんだ、その腰の入っていない一撃は。 舐められたもんだな!」
シンダラは軽く手を振り払い、間合いを取り直す。
笠井は着地したものの、片膝をついてしまう。
隙を晒しているにも関わらず、シンダラは追撃に移らなかった。なぜなら、シンダラは内心、焦っていたからだ。
(なぜだ? 血嬲咎虫に蝕まれて、立つのもやっとのはずだ…。それなのに、なぜ? 何があいつを動かしている?)
シンダラは自分の鉤爪を見下ろす。さっきの攻撃で、手甲部分に大きな凹みができていたのだ。
そのとき――
「ごふっ……!」
笠井は大量の血を吐き出した。それを見たシンダラは、腹の底から笑い出す。
「ハハハハハ! なんだ、驚かせやがって。随分としんどそうじゃないか、ええ?」
血嬲咎虫が笠井の腹の内を絶え間なく蠢いていた。虫が動くたびに、耐えがたい痛みが全身を駆け巡る。
(このままではこいつには勝てない……。ならば!)
笠井は風塵鴉鎚をネイルハンマーに変化させ、その釘抜きの先端を自分の腹部へ向ける。
「何をするつもりだ……!?」
シンダラが戸惑う間もなく、笠井は刺された傷口に風塵鴉鎚を突き刺したのだ。
「ば、馬鹿な!? 何を考えている!?」
笠井は突き刺した風塵鴉鎚で、体内に潜む虫を探す。
(見つけた……!!)
メリメリと不気味な音を立て、笠井は風塵鴉鎚を腹から引き抜いた。
引き抜かれた風塵鴉鎚の先端には、赤く光る血嬲咎虫が捕らえられていた。
振るわれた一閃にて、血嬲咎虫は弾け飛ぶ。
「さあ……これで邪魔者はいなくなったわけだ」
シンダラは、恐怖に震えていた。
目の前の男は、今にも倒れそうなほど消耗しきっている。
にもかかわらず、男には死の影など微塵もなく、その瞳に燃え上がる怒りを宿らせていた。
自分の手が震えていることに気づき、シンダラは激昂する。
「生意気なガキが……! 調子に乗るなよ!!」
シンダラの鬼のような形相を前にしても、笠井の内には静寂が広がっていた。
ただ、真っ直ぐ敵を見ていた。
「そう吠えんなよ……。弱く見えんぜ、西条さんよ」
両者の因縁に、今、終止符が打たれようとしていた――。
夢幻開現師(むげんかいげんし) @ks21
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