第三話② 第二章「虚像」
笠井は、暗闇の中に漂っていた。
その闇はどこまでも続き、気を抜けばその闇の中に融けてしまいそうであった。
―自分は死んでしまったのか?。
まどろむ意識の中、笠井は自分の存在すらあやふやになるほどの永劫の時を漂っているような気さえしていた。
笠井の意識が闇の中に漂流する中、深い闇の底に何か光ったような気がした。
笠井は霧散した意識をまとめ上げ、徐々にそれを肉体の形へと変形させていく。肉体が出来上がると、笠井は水を掻き分けるように闇の中を泳ぎ進む。
光を目指して潜行していくと、先ほどまでは意識しないと気付けないほどの小さな光は、次第にその輝きを強く大きくしていく。
光はどんどん広がっていき、笠井にまとわりついていた闇を払い除ける。そして、光が笠井を包み込んだ。
光の正体は、記憶だった。
幼き日の、過去の残滓が闇の底に閉じ込められていたのだ。
笠井は意識を集中させ、その記憶の欠片の一つをのぞく。
そこにいたのは、幼き日の笠井であった。
(あれは…俺が保育園に通っていた頃か)
笠井は年端も行かない頃の記憶を思い出す。
(そうか、あのときは両親の迎えが遅くて、俺一人で待っていたのか)
帰りの時間になっても、母は迎えに来なかった。
その日は、笠井の他にも何人か迎えを待つ子がいたので、皆で集まって遊んでいた。 日が少しずつ暮れていく中、一人、また一人と迎えが来て帰っていく。
最後まで残っていた子も、笠井を一人残して帰っていった。
先生が優しく声をかけてくるが、幼い笠井はずっと玄関の方を眺めていた。
(あの時は、一人になってすごく寂しかったな…)
永遠に思われた孤独な時間もついに終わりを迎える。
そう、ずっと待っていた迎えが来たのだ。
しかし、その人物は朧気で顔を確かめることができない。笠井が意識を集中し、その顔を確かめる。
それは、西条であった。西条は満面の笑みを浮かべ、両手を広げている。その胸へ笠井は飛びついて行った…。
そこで、記憶はゆらゆらと揺らめき、そして、消えていく。
次に現れたのは、笠井が小学生のときの記憶であった。
笠井は車から手早くテントの骨組みを下ろしている。荷下ろしを終えると、袋を開き、もう一人の人物と一緒にテントを組み立てていた。
笠井と一緒に組み立てている人物の顔は、先ほどと同様に影がかかったようにその顔を見ることができない。
その人物の手には、あの日、祖母から渡された父の形見が握られていた。
影が次第に溶けていき、その顔が露あらわになる。
そこにいたのは、西条であった。
記憶の残影たちは、次第に闇に飲まれていき、再び笠井の意識を闇が包む。
闇に抱かれた笠井は困惑していた。
過去の記憶は、確かに笠井の知る記憶であった。間違いないはずだ。
だが、そう確信する一方で、笠井の内には言いようのない不安と焦燥が混ざり合い、彼をひどく苛むのだ。
なぜなのかは分からなかった。しかし、”西条”との大切な思い出が映し出されるたびに、笠井の内をひどく鋭い痛みが駆け巡るのだ。
(なぜ?どうして何だ?)
笠井が困惑し、混沌の闇の中に飲み込まれる中、笠井の意識は突然落下していく。
どんと、地面に叩きつけられたかと思うと、笠井は跳び起きる。 どうやら、今の今までベッドで眠っていたようだ。
「お、お目覚めかい?」
その声の主は、徳井であった。
「あ、あの、俺は…」
「ああ、南さんとの訓練で気を失っていたんだよ。さっきまで南さんもいたんだけど、上から呼ばれてね」
「はあ…」
寝ぼけていた頭も、少しずつ覚醒していき、記憶もはっきりしてくる。
「じゃあ、ちょっと担当医の先生を呼んでくるから、笠井くんはもう少し休んでて」
「徳井さん、ちょっといいですか」
「ん?どうしたの」
笠井は徳井へ病院での祖母と西条とのやり取り、そして、近頃見る過去の夢への違和感を徳井へ相談する。
「なるほど…。それは、少し気になるね。分かった、僕の方から南さんへ相談しておくよ」
「お願いします。俺の勘違いだったらいいんですが…」
「まあ、また不安なときはいつでも言ってよ」
徳井はそう言って病室を出ていった。
笠井の中に一抹の不安が鉛のように重く、彼の心の奥底へへばりつくのであった。
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