第二話⑧ 第八章「潜む者」

三人は屋上に出る。


「本当にこんなところから出られるのか?」


 叔父は怯えた様子だ。


「ええ、ここから出られるはずです」


 叔父は訝しげな視線を向けてくる。叔父は笠井を自分の甥っ子である「笠井亮」とは認識できていない。これは、被害者たちに自分たちの存在を悟られないように、認識阻害の障壁をまとっているためだ。この障壁をまとうことで、相手は開現師たちの人相を正確に記憶出来なくなるのだ。


「康介、そんなこと心配しなくていい! 亮が付いているんだから」


 郁江は叔父の背中をぽんぽんとたたいている。

 その障壁は決して完璧ではない。特に、開現師一人では認識阻害の障壁をまとったところでどうしても穴ができてしまう。特に、夢幻開現師としての力を有する者ならその障壁を突破することすらある。そのため、開現師は現実世界にいる観測師のサポートを受け、認識阻害を補強する必要があるのだ。


「それより、出口へ向かおう」


 笠井は現実世界への出口を探す。


(あれか…)


 屋上には貯水槽が設置されていた。そして、その入り口こそがこの世界からの出口であった。


「あれだ。あれが出口だ」


 笠井は二人に貯水槽を指し示す。


「本当にあの中に入ったら、ここから逃げられるのか?」


「ええ。ただし、現実世界へ戻ったら、必ず専門の治療を受けてください」


 叔父はひどく怯えていた。それも当然だ。この世界そのものが叔父の無意識下にある恐怖を煽るために形成されたものなのだ。


(きっと、母親を失うことへの恐怖がこの夢竟空間を形成したのだろう…)


 三人は貯水槽の下へたどり着く。


「じゃあ、先に俺が行くから、二人は後から上ってきて」


 と二人にそう伝え、手すりを上る。


(多分、今頃はこの鬼夢も発見されているころだろう。現実へ戻ったら、急いで叔父さんを預けないとな…)


 鬼夢を発症した夢主をそのままの状態で現実世界へ戻してしまうと、再び鬼夢を見てしまう可能性がある。そのため、本来であれば徳井のような観測師によって浄化する必要があるのだ。

 笠井が今後のことを考えていると、


「ちょっと!? 康介、どうしたの?」


 と下の二人が騒いでいた。


「どうした?」


 笠井が手すりを下りて、二人のもとへ駆け寄る。見ると、叔父が苦しそうに腹を押さえていた。


「叔父さん!?」


「う、ううう」


 叔父の顔は青くなり、大量の脂汗を流していた。

 そして、叔父が顔をのけぞらせたときだった。


「ぐっ!!」


 叔父の口から何かが飛び出してきた。


「離れろ!」


「きゃ!」


 笠井は郁江を突き飛ばす。

 叔父の口からは何やら透明な袋のようなものが現われた。それがミチミチと左右に動き、少しずつ口から這い出してくる。


(な、なんだ!?)


 叔父の口からは無数の触手が伸び、その中に潜むものがどんどん抜け出てくる。


「があああ!!」


 叔父が白目をむいて“それ”を吐き出した。

 それはいくつかの透明な袋状の体を持ち、頭部らしき細長く伸びた先端は横に大きく広がり、目と思われた部位は巨大な吸盤であった。それは触手をうねらせ、左右に体を振っていた。

 笠井は叔父から吐き出されたそれをどこかで見た気がしていた。


(そうだ!あれは、エキノコックスか!?)


 その姿は、かつて観た番組で紹介された寄生虫の”エキノコックス”によく似ていた。

 寄生虫はその触手を持ち上げ、その先を少女へと向ける。


「危ない!!」


 笠井は郁江の方へ跳びこみ、触手の攻撃を避ける。外れた触手は地面を抉る。

 笠井は風塵鴉鎚ふうじんがついを顕現し、寄生虫へと跳び込んだ。そして、その透明な体へ風塵鴉鎚を振り下ろす。 しかし、振り下ろされたその一撃はまるで鋼鉄の鉄板を叩いたように大きな音を立てて弾き返される。


(こいつ、固いぞ!?)


 弾かれた触手が笠井を狙い、一気に伸ばされる。笠井はそれを風塵鴉鎚の一閃にてその攻撃を防ぎ、地面を蹴って寄生虫との距離を詰める。そして、目にも止まらぬ速さで敵を滅多打ちにする。


「うおおおおおおお!!」


 笠井は咆哮とともに、その打撃をより鋭く、そして速く、何度も打ち付ける。しかし、敵は一切効いていないようで、体を持ち上げたかと思うと、その触手が放たれる。

 激しい攻防によって屋上一体に粉塵が広がっていく。粉塵が晴れ、少女は笠井の姿を目撃する。


「亮!?」


 笠井の左腕は千切れており、傷口からだらだらと血が流れていた。目の前の寄生虫は、その姿を見て笑っているのかキイキイと鳴いている。


(左腕を持っていかれたか…)


 笠井は集中して左腕の痛覚を遮断する。夢竟空間で受けた攻撃は、実際には”痛み”として認識することはできない。しかし、これは悪鬼と戦う開現師にとって深刻な問題である。

 なぜなら、夢竟空間で受けたダメージは肉体的なダメージではなく、精神へのダメージとなるのだ。精神へのダメージは目に見えず、最悪、精神崩壊や鬼夢に取り込まれる恐れすらある。

 そのため、開現師を目指す者は、必ず夢竟空間での痛覚を獲得することが必須とされている。夢竟空間むきょうくうかんの痛覚は、ある程度コントロール出来るのだが、笠井がやってのけた痛覚の遮断はいわば緊急手段であり、訓練時も安易にするなと口酸っぱく言われていた。


「さあ、正念場だ」


 笠井は覚悟を決め、風塵鴉鎚を強く握り絞める。


(何とかあの二人を逃がす!今度こそ!!)


 敵は強大だ。だが、だからこそ、笠井は負けられなかった。そう、かつて大切な友を守れなかった自分を越えなければならない。”人一人救うことは並大抵の覚悟では出来ない” 父の言葉が頭をよぎる。


「上等だ。守ってやるよ!俺の力で!!」


 笠井に迷いはなかった。自分のすべきことが分かったのだ。なら、後はそれを実行するだけだ。

 笠井は自身に風をまとわせ、迫る無数の触手を紙一重で躱していく。何本かが掠めるが、笠井は止まることはなかった。


(こんなもの致命傷にならない!このまま突っ込む!!)


 笠井は風塵鴉鎚で地面を砕き、舞い散った瓦礫を敵へ向かって打つ。寄生虫は触手を激しく動かし、その攻撃を粉砕する。

 その間に笠井は精神を統一する。笠井は新たな自身の力を、新たな能力を掴もうとしていた。

 それこそが、ヴァジュラを越えた新たな力、『己形心想ごぎょうしんそう』。


 「己形心想」は、中咒を唱えることで発動する。その本質は、それぞれ個人に備わった八大天性の能力をより個人に適した固有の能力にまで高めることである。


 笠井の風は、笠井の心臓から肉体へ広がり、そして、再び戻る。その風が次第に風塵鴉鎚を握った右腕に集まっていく。

 その時、笠井の脳裏に過去の記憶が蘇る。それは、父との記憶であった。


”何?こんなぼろいのが欲しいの?もっと他の物でもいいんだぞ”


 笠井は幼き日の自分の記憶をフラッシュバックしていた。


(これは…俺の誕生日か?)


 父の顔は、とても優しかった。


(父さんから誕生日プレゼントなんてもらったことなかったよな?)


”そうか。そんなに欲しいか…。でも、これは俺の父さん、つまりお前のおじいちゃんからもらった大事なもんなんだぞ。はは、分かった分かった”


 幼き日の笠井は父に一生懸命ねだっていた。


”よし、なら、今度のキャンプでお前一人でテントを建てられたらあげてもいいぞ!”


 過去の記憶が水の波面のように、次第に歪んで散っていった。


(そうだ、あのとき…。父さんが死ぬ前に”これ”をねだったんだっけ)


 笠井は握られた風塵鴉鎚を見る。かなりの年季が入ったそれは、釘打ちの鉄は錆びついて黒い錆がこぼれ落ちそうであった。


(こんなぼろぼろなのにな…。でも、だからこそ、欲しかったんだ)


 笠井に流れる風が風塵鴉鎚に集まり渦となる。そして、その渦に鉄の欠片が混ざり、次第に黒き風となる。

 笠井は眼を開け、己形心想を発動のための呪文を唱える。


”「自証じしょうの剣つるぎにて、我が一念を貫け!」”


”「発動…」”


”「『黒錆鉄爪こくじょうてっそう』」”


 風塵鴉鎚に黒い風が渦巻いていた。

 寄生虫は触手を伸ばす。笠井は風塵鴉鎚を振るう。振るわれた風塵鴉鎚は、その黒き風を触手へ放つ。風は触手を穿ち、そこには跡形も残されていなかった。

 それに驚愕した寄生虫はキイキイと恐怖の声を上げる。笠井は駆け抜け、黒錆鉄爪をまとわせた風塵鴉鎚を振り下ろす。振り下ろされた鉄槌は、固い甲羅を破壊し、その頭部を削いでいた。

 しかし、寄生虫は自身の体が削り切られる前に、その腹部を切り離していた。切り離された腹部は四散し、その肉片の中から同型の寄生虫たちが無数に生まれる。


「亮!逃げて!!」


 少女は叫ぶが、笠井は笑っていた。


「いや、俺たちの勝ちだ」


 笠井の目の前には、珠が浮かんでいた。

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