第二話⑦ 第七章「逃走」
笠井を囲むように、改造人間たちが次から次へと病室から現れる。
改造人間たちは、体の各部位が切り取られ、足が頭の天辺についている者、腹に目がついている者、口から手が飛び出している者など、でたらめな手術をされたかのような姿をしていた。
笠井は取り囲まれる中、特に構えを取る様子はない。改造人間たちはじりじりと距離を詰めてくる。
そして、一斉に飛び掛かる。
「はっ!!」
その瞬間、笠井は手を横に薙ぐ。すると、周囲一帯に凄まじい風が生じ、改造人間たちは宙で動きを阻まれ、吹き飛ばされる。まさに、一網打尽だった。
『八大天性はちだいてんせい』
夢幻開現師は、それぞれに八つの属性「空・音・火・雷・風・水・山・地」を持って生まれ、笠井は「風」の性質を持つ。風はその名の通り、風を生み、操ることができる。かつて笠井がハエの王と対峙した際、この八大天性の力の片鱗が発露したのだ。
改造人間たちは壁や廊下に倒れ、動かなくなった。本来なら、亜羊あようである改造人間たちを元の人間の姿に戻す必要があるのだが、開現師である笠井は彼らを浄化することはできない。
今は倒れてはいるが、これも一時的なものだ。夢主の目を覚まさない限り、彼らはまた操られるだろう。
笠井がそんなことを考えていると、病室の一室から物音がする。笠井は警戒しながら、その部屋に入る。物音は、どうやら一番奥のベッドから聞こえたようだ。
笠井は慎重に近づき、ベッドの横をのぞく。すると、切り裂くような悲鳴が笠井の鼓膜を揺らす。
ベッドの奥に隠れていたのは少女だった。その寝間着姿から、おそらく患者ということが分かる。少女は髪を二本の三つ編みでしっかり結び、年はおそらく笠井より少し下ぐらいか。
「おい、大丈夫か?」
笠井が声をかけようと近づくと、
「があ!!」
突然、少女が飛び掛かってきた。
「お、おい!?やめろ!!」
少女は笠井にしがみつき、髪を思い切り引っ張ったり、頭をたたいたりしてくる。
「落ち着けって!いってえ!!」
笠井が少女を掴もうとしたが、彼女はその手を思い切り噛んだのだ。しばらくして、笠井は少女を剥がす。
「おい、落ち着けって!」
笠井は今もなお暴れる少女を落ち着かせようと、ベッドの上に置く。
「あ! 亮!!」
あれほど暴れていた少女だったが、笠井の顔を見て抱きついてくる。笠井は突然のことに、理解が追いつかないでいた。
「お、おい、あんた誰だよ?」
「はあ、亮、あんた分かんないのかい?」
少女はやれやれといった表情をしている。そのリアクションに、笠井は少しいらつく。
「ところで、あんたは誰なんだ?何で俺のこと知ってるんだよ?」
「それりゃあ、知ってるよ。なぜなら…なぜなら?あれ?何でだっけ」
少女は首をかしげる。笠井は大きな溜め息をつき、
「で、あんたの名前は?」
「私は郁代いくよよ」
(ん?その名前って…)
笠井は少女の名をどこかで聞いたことがあるような、ないような、もやもやした気分に苛まれる。
「ところで、これ、あんたがやったのかい?」
郁江という少女は、いつの間にか外へ出ていた。
「おい! 勝手に動くな!!」
笠井は急いで郁江のもとへ向かう。すると、こつんと、郁江は笠井の頭に拳骨をお見舞いする。
「いってえ。何すんだよ!?」
「あんた、人様に暴力を振るうなってあれだけ言ったじゃないか!」
「いや、どう見ても人じゃないだろ」
笠井に言われ、郁江は改めて廊下に倒れた改造人間をまじまじと見る。
「あら、ほんと!ごめんね、亮」
今度は笠井の頭を撫で始める。
「おい!?やめろ!!」
笠井が少女の手を振り払う。
「ところで、いつからここに?」
「さあ、気が付いたらそこのベッドに寝ていて。廊下で騒がしい音が聞こえてきたから、ベッドの横に隠れていたの。そしたら、亮、あんたが来たってわけ」
笠井は郁江の話を聞いて、余計に頭がこんがらがる。
(まあ、こいつも鬼夢に巻き込まれた患者の一人か…)
「とにかく、ここは危険だ。ここを出るための出口があるはずだから、黙って俺についてこい!いいな」
二人は廊下を歩く。先ほど現れた改造人間たちの姿は見えない。
(静かすぎるな…)
前を歩く笠井は警戒しているが、
「亮、ここはいったいどこなんだい?」
と、後ろを歩く少女は特に気にしていない様子で、のんきに聞いてくる。
「ねえ、亮」
「ああもう!さっきからうるさいな。ちょっと黙ってろよ」
「あんた、そんな口の利き方をしたらいけないでしょ!あのね、女の子を相手にするときは―」
少女は一人でずっと喋り続けていた。笠井はうんざりしていたが、どうもこの郁江という少女に対しては強く出ることができない。
なぜかは笠井本人にも分からないが、この少女にどうしてもやり込められてしまうのだ。
少女が一通り話し終わった隙を見て、笠井はこの世界について話す。
「俺たちは今、夢の中にいるんだ。この世界にはさっきみたいな化け物がいるから、勝手な行動はするなよ。で、どこかに現実への出口があるはずだから、今はそれを探しているわけだ」
少女はふうんと、分かっているのか分かっていないのか判然としない曖昧な返事をする。笠井は一言言おうとしたが、またまくし立てられたらかなわんと思い、言いとどまる。
「ねえ、亮。さっきから変な音しない?」
郁江が笠井の裾を引っ張って訴えてくる。確かに、この廊下全体に何やら音が反響している。耳をすますと、どうやら車輪が回る音のようだ。
その音はどんどん近づいてきて、奥に見える曲がり角からその音の主が現れる。
それは、看護師だった。二人の看護師がストレッチャーを運んでいるようだ。だが、その看護師たちが人間でないことは少女も理解したようで、笠井の腕にしがみついてくる。
看護師の服は血に汚れて黒ずんでおり、前を押す看護師に至っては体はこちらを向いているものの、首だけが反対側へ捻じれているのだ。そして、前の看護師の首がゆっくり回転する。ごりごりと嫌な音が廊下に響き渡る。その顔が笠井たちの方へ向く。彼女の顔は血で汚れた包帯で巻かれ、その隙間から見える目と口は縫い止められていた。
そいつは、『餓鬼がき』と呼ばれる悪鬼の一種だ。餓鬼は亜羊あようの進化態であり、亜羊よりもさらに強力になる。半端な開現師では単独での討伐は難しい。
目は閉じられていたが、こっちを見ていることは分かる。
「きゃああああ!!」
後ろの郁江は我慢の限界を超え、大きな悲鳴を上げる。その瞬間、二人の看護師たちはもの凄いスピードでこちらへ迫る。
笠井は反撃を試みようにも、郁江を守りながらでは分が悪い。
「くそ!!」
笠井は郁江の肩を抱いて、横の病室へ逃げ込んだ。餓鬼たちはそのまま廊下の奥へ走り去っていく。
(戦うにしても場所を変えないと!)
「おい、行くぞ!」
笠井は少女の手を引いて廊下へ出る。
案の定、廊下の奥には先ほどの化け物たちが立っており、今度は奥にいた男の看護師がこちらへ向かって走り出した。
「こっちだ!」
二人は廊下を進み、突き当りの階段を上る。二つ目の階段を上り切る前に、二体の餓鬼がこちらへ追い付いたようだ。
餓鬼たちは急制動をかけ、向きを力づくで変えてくる。そして、そのまま、ストレッチャーごと階段をもの凄い勢いで上ってきた。
「先に行け!」
笠井は階段を上り切ると、少女の手を放し、階段の前に立ちはだかる。化け物たちは器用にも、階段の踊り場でドリフトをしてこちらへ向かってくる。
「ふん!」
笠井は突っ込んできた化け物へ蹴りを入れる。化け物たちはものすごい勢いで階段を落ちていく。
笠井と少女は三階の廊下へ躍り出る。少し進んだところで、
「あんたは、そこの中で待ってろ!!」
笠井は扉が開いた病室を指さす。少女はうなずき、部屋の中へ入っていった。階段の方からは、がんがんがんと、やつらが体勢を立て直している音が聞こえてくる。
笠井がそれを迎え撃とうとしたとき、嫌な予感がしてふと目を横に向ける。病室内では、三体の改造人間たちが少女を取り囲んでいた。
「しまった!」
と笠井が少女のもとへ駆け寄ろうとするが、
「おりゃああああ!!」
少女は改造人間の頭を殴りつけ、残りの二体は予想外の攻撃におろおろしているようだった。
(あれなら少しは耐えられそうだな)
「なら、俺は-」
笠井が体を正面に向ける。廊下の奥には階段を上って来た餓鬼がこちらを威嚇していた。笠井が腕を前に出す。
そして、
”「わが敵を打ち砕け!」”
二体の餓鬼が走り出す。先ほどの突進よりも、遥かに速度を増している。眼前に迫る中、笠井は叫ぶ。
”「顕現、『風塵鴉鎚ふうじんがつい』!!」”
それと同時に化け物たちは笠井のいたところへ突っ込んでいく。が、笠井の姿はそこになかった。笠井は化け物とぶつかる寸前に、宙へ跳び上がっていた。
そして、体をひねり、先頭の顔面へ風塵鴉鎚の一撃を喰らわせる。笠井が着地すると、先頭の餓鬼は倒れ、無残にもストレッチャーに引かれていく。
残ったもう一体がストレッチャーを持ち上げ、反対側へ振り下ろす。どんと大きな音が響く中、笠井はさっきは気づかなかったが、どうやらストレッチャーの上に誰かが乗っているようだ。
残念ながら、その上にいる者は毛布をかぶっているため顔までは分からなかったが、おそらくこの夢の主だと笠井は確信する。
餓鬼は再びこちらへ突っ込んでくる。笠井はそれをしげしげと見つめている。そして、そのまま突っ込んできたストレッチャーを片足で止めた。
化け物の動きが止まったほんのわずかな隙を突き、笠井はストレッチャーの上に乗り、化け物の顔を打ち抜いた。
化け物の顔は三、四回転してやっと止まる。首はあまりにも捻じれたために、その皮が弛んでいた。
笠井はストレッチャーの毛布を剥がす。
「叔父さん!?」
そこに隠れていたのは、笠井の叔父であった。
(ということは、叔父さんが今回の夢主だったのか…)
笠井が考えていると、郁江という少女のことを忘れていたことに気付く。
「こんなろおおお!!」
郁江は倒れた改造人間に馬乗りになって殴り付けていた。しかし、残っていたもう一体に羽交い締めにされてしまう。
「くそ!下ろせ!!」
少女は叫ぶが、当然ながら相手は外してくれるはずもなく、もがくことしかできない。
少女がもがいていると、ごんと音が鳴ったかと思うと、羽交い締めしていた改造人間が倒れてくる。
「ちょっと、ちょっと、ちょっとおお!?」
少女は改造人間の重さに押しつぶされそうになるが、ふいにその重さがなくなる。見ると、笠井がその体を持ち上げていた。
「大丈夫か?」
笠井は持っていた改造人間を横に放り投げ、郁江へ声をかける。
「もちろん大丈夫さ!」
郁江はガッツポーズを決めている。
「はあ」
笠井は特に何も言うつもりはなかったが、倒れた改造人間たちを見て、
(こいつ…。これってつまり、こいつに夢幻開現師の才能があるってことか…)
と考える。
そんな笠井をよそに、郁江は叔父の方へずいずいと歩み寄っていく。
「ちょっと! 康介こうすけ! あんた、何やってんの!!」
そして、叔父の頭に拳骨をかましていた。
「ちょっと、この子なんなのさ!?」
「じゃあ、行こうか」
笠井は二人を連れて階段を上っていた。先ほどの餓鬼から追われているときに、屋上が出口であることが分かったためだ。そして、笠井は屋上の扉を開く。
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