第二話② 第二章「決断」

 笠井はその後、夏休みの終わりとともに退院した。

 夢幻開現師については職員から母に伝えられていたようで、

「亮、あなたが自分で決めなさい」としか言われなかった。


 退院後、笠井は学校へ復帰した。

 職員からも伝えられていた通り、今回の事件についてはマスメディアなどの報道は笠井の入院生活中に沈静化されていた。

 だが、人のうわさや好奇心はなかなか消し去ることが出来ないようだ。生徒の間では、今回の発端は笠井か江口えぐちかという疑惑が蔓延していた。

 部員の中には、二人に対して強い怒りを覚えている者もいるだろう。

 当然だ。

 彼らは気が付いたら病院に運ばれ、大切な夏を棒に振ってしまったのだから。

 そう、彼らは何も知らない。

 それが彼らにとっても幸いなのだと思う反面、笠井はどこかこの十字架を一人で背負っていかなければならないことを改めて実感する。


 笠井が復帰後、彼の孤立はさらに悪化した。元から友人は藤本以外いなかったのだが、今はその藤本もいない。

 結局、江口は夏休みが明けたと同時に転校していった。それが答えとばかりに、江口に対する罵詈雑言は生徒たちの間でトレンドになっていた。

 そのような状態だったため、水泳部の送別会は中止となった。部員たちは次第に距離を置くようになり、退部する者も続出したらしい。

 今回の事件は、誰もが等しく被害者なのだ。

 鬼夢にかかった江口でさえ、いえば突然の天災に巻き込まれた被害者の一人でしかない。そんなこと、

 皆も頭では分かっているはずだ。

 しかし、理性だけではどうしようもないのだ。

 そんなものでどうにかなるのなら、人は「悪鬼あっき」などというものに惑わされることはないのだから。


 放課後、ホームルームを終え、皆はそそくさと家路に帰っていく。秋も終わりに近づき、いよいよ受験勉強も佳境に入る。

 皆の関心も自分の将来についてに向き、数か月前の事件も次第に風化していった。

 しかし、それでもまだ、こそこそと陰口を叩く者は絶えない。今も、教室の隅でわざとらしく話す集団はいる。

 笠井が帰りの準備を終え、席を立ったときだった。


「おい!!」

 大きな声が教室に木霊こだまする。

 見ると、奥村おくむらが教室へ入ってきた。奥村は、そのまま陰口を言っていた連中に近寄り、

「言いたいことがあれば、直接言えばいいだろ!」

 と噛みついた。

「は?うざ。もう行こうぜ…」

 奥村に迫られた連中は、尻尾を巻いて逃げていった。

 そして、教室に残った者たちの視線を一心に集める中、奥村は笠井の方へ歩み寄る。

「ちょっといいか?」

 学校へ復帰してから、奥村と話すのはこれが初めてだ。

 事件後、奥村は他の生徒とトラブルを起こしているらしく、彼の顔には痣が残っていた。

「ああ」

 笠井は奥村について行く。


“ガッ”

 校舎裏に鈍い音が響く。地面には奥村が倒れていた。

「いってえ…。一発殴っていいとは言ったけどよ、だからって思いっ切り殴るか」

 倒れていた奥村が、頬を押さえながら不満を訴える。

「一発は一発だろ。それに下手に加減したら、おまえ、キレるだろ?」

 笠井は倒れた奥村に手を差し伸べる。

「違いねえ」

 奥村は笑顔を浮かべる。その顔はどこか年相応の可愛らしさがあった。

「周りの連中がさ…。知ったように適当なことをいいやがるんだよ。俺たちのことをさ…」

 奥村はどこか寂しげな顔をしていた。

「俺は、おまえのことがいけ好かなかった」

「それは知ってる」

 笠井の返答に、奥村は軽く吹き出す。

「まあ、そうだな。ただ、別に謝る気はない。俺はおまえが嫌いだったし、江口くんもおまえのことを嫌っていたしな」

 余計なことを言うなと、笠井は内心思う。

「でも、だからと言って、何も知らない連中が好き勝手に言うのは許せねえ。それに、江口くんの名誉のためにも言っておくが、江口くんは俺と違っておまえとも普通に接しようとしていたからな」

 奥村は水道で顔を洗う。

「江口くんは、部長として一生懸命頑張っていたんだ。あんなことがあったからって、好き勝手に言われる筋合いはないはずだ…」

 奥村は手で顔を拭いながら、笠井に体を向ける。

「まあ、言いたかったのはそれだけだ」

 奥村が歩き出したところで、笠井がその背に語る。

「俺も…。俺も、合宿楽しかったよ」

 奥村が振り向く。

「そうだな…」

 笠井は自分の中で突っかかっていたものが少し取れた気がした。

 それは決して彼の傷を癒すものではなかったが、それでもはっきりしたのだ。

 どんな理由があっても、生きた者の証である記憶や存在を消し去っていいことにはならない。

(俺にしかできないのなら…)

 二人が去った後、校舎に一陣の風が吹き抜ける。


「母さん、ちょっといいかな」

 夜、笠井は母に話しかけた。

「あら、どうしたの、急に改まって」

 二人はリビングのテーブルに向かい合う。

「前に聞いた、夢幻開現師にならないかってことなんだけど…」

 笠井は母を見つめる。

「俺、夢幻開現師になるよ」

 母は、ただ黙って笠井の話を聞いていた。

 そして、

「そう。あなたが決めたことなら、お母さんはそれを尊重するわ。でも-」

「でも?」

「後悔しないよう、最後まで手を尽くしなさい」

「ああ」

 笠井は南に電話しようとする母に声をかける。

「後で、電話を代わってもらってもいい?」

「ええ、いいけど」

 ほどなくして、電話がつながり、母が先ほどの話を南に伝える。

 そして、笠井は母から電話を受け取る。

「私に伝えたいことがあるんですって?」

「ええ、南さんに一つお願いがありまして」

「お願い?私で叶えられることなら」

 笠井は南に自身の胸の内を明かす。

「卒業するまで待ってもらえませんか?」

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