第一話③ 第三章「夢の世界」

 合宿当日の朝。笠井は準備を終え、玄関へ向かう。

 すると、母が声をかけてきた。

「ちょっと、亮。お父さんにあいさつしていきなさい」

 母が仏間の方を指さす。

「悪い、もう行かないと」

「ちょっと待ちなさい!亮!!」

 母の呼び止める声を無視して、笠井は玄関を出て行ってしまう。エレベーターに乗り、ボタンを押す。笠井は壁にもたれ、嫌なことを思い出したと、少しいらいらしていた。

 父が亡くなってから、もう五年が経つ。笠井の父はレスキュー隊員であり、とある病院で起きた火災事故の救助活動中に瓦礫の下敷きとなって亡くなった。

 周囲の連中は、まるで父を英雄かのように持ち上げた。学校の連中でさえ、今まで普通にしていたのに、急によそよそしくなったものだ。


 笠井は、そんな周囲の人間が嫌いだった。


 そして、誰よりも父のことが嫌いだった。


 父はいわゆる仕事人間であり、家にはほとんど帰ってこなかった。そのため、父との思い出などほとんどない。たまに家にいるかと思えば、トレーニングがあるからと相手にしてくれなかった。

 父は自分のことを避けていたんだと思う。幼い笠井が話しかけてもほとんど会話が続かず、すぐにトレーニングを始めるのだ。

 父との思い出など碌なものはない。笠井にとって父は英雄などではなく、最低最悪の父親だった。

 そんな嫌な過去を思い出していると、エレベーターが止まる。エレベーターから降りると、笠井は自室を見る。


「あんなやつなんか…。やべ!? もう時間だ!」


 笠井は腕時計を見る。電車の時間まであと十分だった。笠井は急いで自転車にまたがり、駅へ向かう。



 練習を終えた笠井は、迎えに来た西条の車に乗る。


「ごめんね。結局、無理に参加させる形になっちゃって」


 西条は謝ってはいるが、特に悪びれた様子はない。


「いえ、こちらこそ心配かけてすみませんでした」


 合宿の参加を伝えたとき、江口は快く受け入れてくれた。笠井の不安も、どうやら杞憂だったようだ。笠井の参加を喜ぶ藤本の姿を見て、まんざら悪い気はしなかった。


「でも、良かったね、いい友達ができて」


「藤本のことですか?」


「藤本くんもそうだけど、部長の江口って子も心配していたらしいよ。そもそも、藤本くんにアドバイスしたのも、彼のようだし」


「そうなんですか」


「何だかんだ言って、亮くんのことを気にかけてくれる子もいるんだから。そういう友達のためにもさ、しっかり楽しんできなよ」


「・・・はい」


 学校に到着すると、藤本と江口が出迎えてくれた。二人は西条に感謝を述べ、西条は自分がいると邪魔になるからとそそくさと帰っていった。


「ありがとう、笠井。来てくれてよかったよ!」


 相変わらず爽やかな笑顔で迎え入れてくれる江口。


「これからさ!家庭科室で晩ご飯を作るから、笠井、おまえも手伝えよな!」


 興奮した様子でまくし立ててくる藤本にうんざりしながらも、笠井は中学校生活最後の合宿に心躍らせていた。

 ご飯を食べ終えると、夜の肝試し大会が開催された。笠井も上級生組としてお化け役を任された。笠井や部員たちも日頃の不和を忘れ、皆で協力して肝試し大会を大盛り上がりで終えることができた。

 最初こそ戸惑っていた笠井であったが、素直に皆と中学校生活最後の合宿を満喫した。


「じゃあ、消灯するぞ」


 それぞれの教室に別れて就寝の準備を済ませ、消灯の時間になった。床板は固く決して寝心地の良いものではなかったが、最初は寝まいと息巻いていた者も練習の疲れからか皆すぐに眠ってしまった。笠井もまた、厳しい練習のせいですぐに眠ってしまう。

 深い暗闇の中で、笠井の耳に何か音が聞こえてくる。始めは何の音かわからなかったが、どうやら波の音のようだ。笠井は嫌な予感がし、目を開ける。

 教室の窓からは、目が眩むほどのまぶしい光が差していた。他の部員たちはまだ眠っており、隣の藤本も寝息を立てている。教室内は特に変わった様子はなかったが、どうやら異変は外にあった。

 窓の外からは波の音のほかにも、葉が擦れる音、そして、カモメの鳴き声も聞こえてくる。

 笠井は急いで起き上がり、窓へ寄る。まぶしい日差しの奥にはグランドがあったが、そのグランドの奥には背の高い樹々や砂浜が見える。遠くには巨大な山と、果てしなく続く海原が広がっていた。

 現実離れした風景に驚く笠井の後ろで他の部員たちも起き始める。


「うお!何だこれ!?」


 その内の一人が窓の外の光景を見て、驚きの声を上げる。その騒ぎを聞いて他のメンバーも次々に起き、この異常事態にパニックとなる。


「いったん全員を集めよう」


 困惑する皆に江口が呼びかける。江口の呼びかけによって、別の教室で寝ていた女子生徒や後輩たちも集められた。当初は状況を飲み込めなかった者も、自分たちがいつの間にか見知らぬ場所へ来てしまったことを理解したようだ。皆が戸惑いざわつき始めたところで江口が口を開く。


「みんな、一度僕の話を聞いてくれ」


 全員が自分の言葉に耳を傾けていることを確認すると、江口は続きを話し出す。


「ここがどこなのかは僕も分からない。でも、まずは僕たち以外に誰か、特に先生たち大人が残っていないかを確かめないといけない」


 江口の提案に皆が賛同する。


「三年生と二年生の男子で校舎を見て回ろうと思う。それ以外の者はこの教室で待機していてくれ」


 それから複数のグループに分かれ、校舎をくまなく探索する。しかし、部員たち以外、顧問はおろかその他の教師や生徒、誰一人いなかった。

 次に、校舎の周りに何があるかを調べたいと部員の何人かが江口に提案した。


「ううん、どうしたものか」


 江口が悩んでいると、


「笠井、何か意見があるのか?」


 笠井が手を挙げていることに気付く。


「今の状況で、何の策もなく外へ出るのはさすがに危険じゃないか」


「確かに。笠井の言う通りか―」


「ちょっと待ってくれ!」


 二人の会話に、奥村が割り込んできた。


「どうしたんだ、奥村?」


 奥村は待っていましたと言わんばかりに大きな声で話し出す。


「何も分かっていないからこそ、できるだけ多くの情報を得るためにも外への探索は必要だろう!」


「それは別に今すぐしなきゃいけないわけじゃない。外にはどんな危険があるのか一切わからないんだからな」


 笠井は奥村の意見に反論する。


「笠井、おまえさ、さっきからダメとしか言わないけどよ、外の探索はしなくてもいいってのか?」


「そうは言ってないだろ。少なくともこんな大人数で動くんじゃなくて、探索組と待機組をしっかり分けて、探索する場所も最初は校舎の周辺とかにしないと危険だってことを言ってんだよ!」


「へえ。なら、チームに分けるって言ってるけど、だったら行けない連中の気持ちはどうなるんだよ?みんな、この島を見て回りたいだろうが!」


「感情論は今関係ないよな?外に行きたきゃ、安全を確保してからでも遅くないだろ!」


 二人は互いに意見を譲らず、話は停滞してしまった。


「なら、ここは民意でいこうじゃないか!」


「民意?」


「ああ、多数決だ、多数決!」


 そう言うと、奥村は仲間内で目配せをした。

(ふん、あからさまな)と、笠井があきれる中、


「まあ、このままだと埒が明かないからな。ここは、多数決で行くしかないか」


 そうして、外への探索について決を取ることになった。


「では、笠井の意見に賛成の者」


 笠井や藤本を含め数人が手を挙げる。


「奥村の意見に賛成の者」


 結果は圧倒的だった。


「うん。なら、決定だな」


 再び、探索チームを組んで周囲を探索することに決まる。今度は、他の部員からも参加を申し出る者が現れたため、先ほどよりも大規模なチームが編成された。


「みんな、必ず固まって動くこと! 単独行動は絶対にダメだ。それと、何か危険を感じた時はすぐに校舎の中へ避難すること! いいな!!」


 江口の指示に皆うなずき、四つのチームに分かれて外の探索が始まった。

 笠井と藤本の二人は、江口と他の五名とで八人のチームを組む。笠井たちは校舎の正面、森林が広がる森の中を探索していた。先頭を江口が歩き、最後尾を笠井が歩く。

 森の中は色鮮やかな花々に覆われ、非常に幻想的であった。また、自生する樹々も今までに見たことがないほど巨大で、その幹の太さは皆で輪を作ってもあまりあるほどの大きさであった。当初は緊張していた者も、この浮世離れした光景にいつしか心躍らせていた。

 梢からは陽の光が白い線になって降り注いでいるが、特に暑くはなかった。それどころか、いくら歩いても誰一人汗をかいている様子もなく、疲れを感じていないようだ。

 しばらく森を進むと、開けた場所に出た。そこには湖が広がっていた。湖の水はとても透き通っており、その色は樹々の色を反射して、エメラルド色に輝いていた。さらに、湖の周りには蛍だろうか、いくつもの小さな光が漂っている。藤本をはじめ、江口たちもこの幻想的な光景に驚嘆の声を上げていた。

 見とれている江口に、笠井が声をかける。


「江口、一度戻ろう」


「え?ああ、そうだな」


 江口もこの絶景に心を奪われていたようで、少し遅れて返事する。


「みんな、一度校舎に戻ろう!」


 もっと探索したいという部員を江口が説得し、一度引き返すことに決まる。笠井たちが校舎に戻ってしばらくしてから、他のチームも続々と帰ってきた。


「おい!みんな、海に行こうぜ!海!」


「こっちにはさ!すごい滝があってさ!後でみんなで見に行こうよ!」


「俺たちが行った森だってさ、見たこともないほどバカでかい木があってさ!」


 部員たちは戻るや否や自分たちが見てきた絶景を興奮した様子で語り合う。


「それで、部長、これからどうするの?」


 部員たちが騒ぐ中、一人の部員が江口へ質問する。


「ううん、問題はここがいったいどこかってことなんだけど…」


「もしかして、俺たちが眠っている間に最終戦争が起こって、俺たちが生き残ったとか!」


「いや、学校がどこかの島に飛ばされたんだろ!」


「どこかってどこさ?それにどうやって飛ばされるんだよ?」


「そんなの知るかよ!」


「いやいや、ここは異世界でしょ!異世界!!」


 江口が言った当然の疑問に、皆、好き勝手に論争し始めた。しかし、いくら議論してもその解を得ることはできなかった。


「それより部長!ちょっとぐらいなら遊んでもいいですよね?」


 部員たちは目を輝かせながら江口に訴える。


「ううん、どうしたものか」


 悩む江口の代わりに、笠井が口を開く。


「それはまだ早いだろ。この島に危険がないとも限らない。危険がないかを確認することが最優先だ」


「そんな堅いことを言うなよ」


「みんなで固まって動けば問題ないだろ」


 部員たちはこの幻想的な世界に浮かれているようで、遊びたくて仕方がないようだ。


「な、江口!それなら問題ないよな?」


 江口は少し考え込むが、ついに部員たちの圧に屈してしまう。


「うん。じゃあ、ここは公平に多数決で決めよう」


 何が公平だと、笠井は内心で毒づく。


「じゃあ、いったん休憩したい人?」


 笠井以外の全員が手を挙げる。藤本も申し訳なさそうに手を挙げている。


「はっ、こんな結果が分かり切ったこと。わざわざ多数決を取る必要なんてないだろ!」


「いやいや、だからと言ってそれ以外の方法はないだろ? 民主主義ってやつだ」


 笠井は不満を漏らすが、江口がそれを制する。


「じゃあ、まだ探索をしたほうがいいと思う人!」


 江口はわざとらしく声を張り上げる。手を挙げたのは笠井だけであった。誰かがその空気に耐えられなかったようで吹き出した。その瞬間、笠井以外の全員が笑い出す。


「なら、決定だな」


 大きな歓声が上がる。

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