134340

栗ご飯

ひとりぼっちの惑星

 私は太陽にはなれっこないし、その周りをまわることすらおこがましい。恥ずかしながら、そう気づいたのは地元の公立高校に入った後のことだった。


 それまでの私は今となっては想像もつかない位明るくて、行動力があって、誰に対しても物怖じせずに反論をするくらいの自信家だった。小学校では一軍の女子達といつも一緒にいたし、中学でもなにかイベントがある時は必ず私たちが中心で動いていた。


 中学生からは他人をいじったりもした。気弱そうなクラスメイトの容姿や言動をダシに笑いを起こすのは楽しかったし、何より自分が彼らより上の立場にいることを認識できるのが気持ちよかった。


 三年生の時、いじめをした。受験のプレッシャーとか将来への不安とか、誰でも持つような他愛無いものからクラスメイトの仁木くんをいじめた。


 仁木くんは斜視だった。


 それまでは流石にそれをいじるのはみんなよくないような気がして触れないでいたけどある日急にグループのリーダー格のカナが「仁木君の目マジ変だよねー」とからかって、それからだんだんがクラス中に広がっていって、気がつけば仁木くんには「歌舞伎ニキ」なんてあだ名が着いた。仁木君は少しずつ元気を無くしていって、しばらくすると学校に来なくなっていた。


 今思えばみんなが狂ってた。側から見たら百パーセントこっちが悪いのに、みんなが悪びれもせずに一人を攻撃していた。


 仁木くんごめんなさい。私は今になって君の気持ちが分かりました。


 今、私は陰で『歌舞伎ネキ』と呼ばれている。


 私の斜視がわかったのは高一の健康診断でのことだった。遠視が原因の弱斜視らしく、その頃の私はそんなことでなるんだ〜と軽く考えていた。


 それでカナたちに軽い気持ちで「やばっ、私斜視だったんだけど」と言ってみたところ、思いの外引かれて段々距離を取られるようになった。今思えば、可愛い枠でグループにいた私に居場所があるわけがなかった。


 そこから私の地獄が始まることになる。


 〜※〜



 さて、どうやら仁木くんは名門私立に通っているらしいということを風の噂で聞いた日、私は一人とぼとぼ帰り道を歩いていた。高校は通っていた中学の近くにあるので、帰り道はあの頃とほとんど変わらなかった。なのにどこか全く違う道なんじゃないかとふと考えてしまうのは、友達がいるはずの横を通り過ぎていく風のせいなのだろうか。


 もっと勉強していれば、と今頃になって思う。仁木君みたいに違う世界にいけたんだろうか。カナやほかの友達だった人たちに後ろ指を指されることはなかったんだろうか。


 このままだと死ぬまでそう考えてしまいそうで、そんな自分が嫌になる。


 でも気にしちゃだめだ、もっと何か楽しくなるようなことを考えないと。そう思ってあたりを見回してながら歩いていると、アパートのゴミ捨て場に猫がいるのを見つけた。もう何日も食べていないような、やせこけた三毛猫だった。


 大丈夫かなあの子、そう心配していると、一人の青年が両手に大きなゴミ袋を持ってやってきた。背が高くて細い黒縁眼鏡が似合っている、イケメンだなと感心した。青年は猫を一瞥すると、さっと袋を捨てて猫を撫でようと近づいていった。猫が驚いて毛を逆立たせる。逃げようとする猫を端に追い詰めていく青年のその横顔に見覚えがあった。


 あれ、仁木くん?


 いやでも違うそんなはずない、だって眼が寄ってなかったもん、背もあんなに高くなかったもん。


 いやでも、背は高かったな?ひょっとしてそうなのかな?


 そう思った私は、青年と猫の戦いを見守ることにした。青年がじわじわと迫っていくにつれて後ろに下がっていた猫だが、追い詰められる寸前のところで横に足を踏み出すとそのまま私のところに走ってきたので慌ててよけた。猫のほうは、私のことなど気にも留めずにそのまま走り去ってしまった。


 あっけにとられていた私に、青年が「根木さん?」と声をかけてきた。


 彼はやっぱり仁木くんだった。


「久しぶり」


 と言ってはみたものの、よく考えれば私は仁木君をいじめていたんだ。返事もしてくれないだろうしもう帰ろう、と家に向かおうとしたところ、意外にも仁木君は「元気?」と言ってくれた。


 家族以外と雑談するのが久しぶりだった私は、うれしくなって。そして数分そこで仁木くんと世間話をした。


 その前に、まず私は中学でのことを謝った。仁木君はあっさり笑って許してくれた。

 笑顔がまぶしかった。


「それより根木さんも斜視だったんだ、知らなかった」

「高校入ってから急に片寄りだしてね、仁木君は手術したの?」

「いや、この眼鏡のおかげでね。普通の人と同じように見えるんだよ」


 そう言って眼鏡をとって見せてくれた仁木君の目は、前のように内に寄っていた。


「え、何それすごい。どこで売ってるの」

「いや手づくり」

「マジで⁉」

「いや、望遠鏡作ろうとしてたらインスピレーションが舞い降りてきて」


 きけば仁木君は高校で天文部に所属していて、望遠鏡やプラネタリウムを自作するのが趣味らしい。私の学校で地学部が文化祭の展示で作るようなものを、仁木君は部活で一年に何個も作っているらしい。


 それにしたってそんな眼鏡を作れるなんてすごいな……という顔をしていたからか、


「イヤ冗談冗談、普通に買ったんだよ」


 とけらけら笑っていた。


「いやー、仁木君明るくなってたなー。イケメンだったしなー」


 その日の寝る前、誰にともなくつぶやいて、ふと窓の外の空をのぞいてみた。久しぶりに見る月はほとんどかけていた。でもその少しの輝きでまわりの空を包んでいた。




 ~※~

 さて、仁木君と再会して数日後、私はある天体に出会った。それは情報の授業中のことだった。


「カナやばいって、ばれたら怒られるよ!」


 情報の授業中、カナはいつも関係のないネットサーフィンをしていた。「ヤバいよカナ〜」とそれを注意する取り巻きも、ごめ~んと謝るカナも、まったく悪いとは思っていなさそうだった。むしろそれをかっこいいと思っているかのように大きな声でそんなやり取りを繰り返しては、周りの気を引こうとしていた気がする。


 つくづく私は何でそんなことができるのか疑問だった。絶対に間違っていることをやっているのに、なんで彼女らは堂々としているんだろう、そしてその行為をクラスメイトの誰からも指摘されたりしないんだろう。


 そして考えた答えはいつも同じだった。カナたちはクラスの中心だから許されているんだ。誰も何も言えないんだ。それで納得できたわけじゃないけど、納得できないことは深く考えずにいたほうが楽に生きれることを私は知っていた。


 私は普段まじめに授業を聞いていたが、その日は魔が差したのかカナたちと同じようにネットサーフィンをしていた。といってもべつにくだらないことはしていなかった。天体を検索していたのだ。


 仁木君とあってから、私は徐々に宇宙に興味を持つようになっていった。さすがに地学部に入りはしなかったが、それでもこうして検索するくらいにははまっていた。


 天体に関するサイトを見ていると、ある記事が目に入った。


【ひとりぼっちの元惑星、134340】


 はっとした。『ひとりぼっちの惑星』というフレーズが今の自分とピッタリな気がして、記事をクリックする。


 しかしそのニュースサイトは制限されていたサイトだった。それで先生にもばれた。


 クラス中で笑いが起きて、中でもカナたちは「マジかよ歌舞伎ネキ!」と盛り上がっていた。


 笑いが静まったあとも私はしばらくいたたまれずに顔を真っ赤にしてうずくまっていた。


 家に帰って再度その記事を見てみると、134340というのは冥王星のことだとわかった。太陽系をまわっていたもののだんだんと軌道がずれていき、2006年に小惑星に分類されたときの小惑星番号が134340らしい。記事を見終えた私の胸には、感じたことのないような高揚感があった。


 やっぱりこの天体と私は似ていた。元々は『惑星』という特別な立場にありながらひとつだけ太陽系から外れてしまったなんて、ほとんど私のようなものじゃないか。


 あまりに嬉しかったので夕食の時、うっかり一緒に食べていた母親にその事を話してしまった。


「何あなた、学校でそんな感じなの?」


 驚いたような顔をして箸を置いた母親を見て、やってしまったと後悔する。


「斜視のことでいじめられるなんてひどいわね。先生に言ってあげようか?」


 母親の嫌なところは、これを完全に善意で言っているところだ。


「大丈夫、きっと中身を見てくれる人はいるから」

「お母さんの時もあったわ、大体みんなやられてるから気にしちゃダメよ。すぐ飽きて、一週間もすればなくなるわよ」


 でももう一年くらい続いてるよ、あとお母さん斜視じゃないじゃん。


 そんな言葉をグッと飲み込んで、わかった、ありがとうとだけ言って食卓を後にする。


 気が付けば高三の春、そろそろ大学受験に本腰を入れないといけない時期になっていた。


 また仁木くんに会えたりしないだろうか。仁木くんとまた話したい。人と話していて心から楽しいと思えたのは久しぶりだった。



 どうやら仁木くんは引っ越すらしいということを聞いたのは、それからまた少し経った日だった。


 その日私は学校が終わるとすぐ仁木くんのマンションの入り口に立って彼を待っていた。思わずきてしまったもののだんだん正気に戻ってきて、マンションに入っていく配達員や居住者からの不思議そうな目にもう帰ろうかと思っていたらあの野良猫が私の足元に寄ってきた。心なしか少し健康になったように見える。


「いいの?撫でるよ?」


 そう警告しても離れようとしなかったので、首元に両手を埋める。ガサっとした触感の毛をこねくり回していると、勝手に涙が出てきた。

 拭っても拭ってもとまらないので、目を閉じながら無心に猫を撫でていると、気づけば仁木くんがいた。


「……どうしたの、根木さん」

「違うの、猫アレルギーなの」

「いやそうじゃなくて」


 なんでここにいるの?と言いたげに私の顔を見つめていた仁木くんは困ったように頭をかくと、壊れた羽をばたつかせて翔ぼうとする鳩を見るような同情している目で聞いてきた。


「上がってく?」


 〜※〜


 散らかってるけど、と案内されてリビングの椅子に座った私はすぐになんで引っ越してしまうのか尋ねた。


 仁木くんがあーね、と納得がいったように頷いた。


「学校まで遠いから」


 ふうん、と気のない返事をしたあと、沈黙がリビングに広がっていく。


「え、それだけ⁉︎ 絶対なんかあると思ったんだけど」


 そう。本当はもっと聞きたいことがある。正直引越しの理由なんてどうでもいい。知りたいのは別の理由だ。


 遠くに行く前に教えて欲しかった。


 あの地獄の日々いじめを耐えて、前に進めた理由を。


「実はさ……」


 高校に入ってからのことを話すと、仁木くんは最後までしっかり聞いてくれた。


「だから、どうやってあの環境を耐えたのか知りたいの」


 仁木くんはしばらく考えていた。目をつむっりあごをさすって、ハッと目を開いた彼の答えは「忘れた」だった。


「ぶっちゃけ今がほんとに楽しくてさ、特に部活の奴らすごいいい奴らだし、覚えてないや」


 拍子抜けする答えだったのに、妙に私は納得していた。そっか、と言おうとした時、仁木くんが「あ、でも」と口を開く。



「ポスターは貼ってたな」

「なんの?」

「冥王星」


 身体中の血が脈打った。震える声で「134340」とつぶやく。


「あ、知ってる?」

「うん、たまたまニュースで見た」

「探したんじゃなくて?」

「どういうこと?」


仁木くんは困ったように目をそらして、「まあそれが普通か」とはにかみながら言う。


「たぶんまだとってある気がする。見てく?」


断る理由もなかったので、首を縦に振った。


〜※〜


「あった、これこれ」


そのポスターには、惑星から外されたことを忘れてしまうほどに尊大な冥王星の姿が黒い背景にくっきりと描かれていた。


「かっこいい……」

「いいでしょこれ。親父が出張に行った時お土産にNASAで買ってきてもらったんだ」」


誇らしそうに仁木くんは続ける。


「これ見てるとさ、なんか色々どうでも良くならない?」


確かに、と頷く。同時に浮かんだ考えを見透かしたかのように、仁木くんが言う。


「こんなすごい星もさ、仲間外れにされるんだぜ?そう思うと救われるよね」


そして仁木くんは思い出した、とあの頃についてぽつりと教えてくれた。


「あの頃はもう、ずっとこれに縋ってたな」

「冥王星に?」

「それは縋ってたものの一部でしかない。他にも何か偉大で、荘厳で、手の届かないやつ。それでいて、不遇な目にあってるやつ。自分より上のステージにいるやつらが同じ目に遭ってるの見るとさ、ならしょうがないかって思えたんだよね」


そこまで言って、「ごめん」と目を擦った。声は段々と掠れていっていた。あの日々が仁木くんの心にまだ傷を残していることに、そこで初めて気がついた。そして、自分がその傷を負わせたということも。


「仁木くんが私と話してくれるのは、私を上にいる人だと思っているから?」


返事はない。なくてもいい。


「だとしたらそれは違うよ。私はただ勘違いしてただけのクソ野郎だよ。本当に上にいる人たちっていうのは、カナたちのことをいうんだよ」

「それは違う。あいつらはゴミだ。いつか自分の上位互換にあって打ちひしがれるんだ」


え、急にどうしたの?と驚く私に、仁木くんは言葉を吐き出し続ける。


「俺、あいつらのことずっと星屑だって思ってたんだ。太陽が見えないくらい遠くで周りの星に威張ってる、ちょっと大きい星屑」


あ、根木さんのことはそう思ってなかったよ?、と慌てて付け加えると、苦笑いと一緒にとりわけ絞り出すような声で言った。


「でもそっか……、やっぱりみんな、なにかに縋ってるんだ」

「……そんなつもりじゃないけど」

「いや、すがってるよ」


 弱々しくも断定的な口調で、はっきりと彼は続けた。


「たぶん人って困ってる時さ、みんな自分より大きくて、共感できる何かにすがってるもんなんだよ」

「そんなもんかな」

「そんなもんだよ」


 そう言うと、仁木くんは全ての毒を吐き終えたように元の笑顔に戻った。


「それにしてもそうか、平井さんたちまだやってるんだね」


 平井はカナの名字だ。


「滑稽だね、星屑のくせに」


 心底可笑しくて堪らないといった顔だった。


 帰り際、玄関で靴を履いていると仁木くんが「これあげるよ」と何かを放ってきた。それは仁木くんがしているのと同じタイプの眼鏡だった。


「え、いいのこれ?」

「自作だから度が合うかわかんないけど」

「作ったの⁈」

「いいからかけてみてよ」


 うん、やっぱ可愛い。メガネをかけた私を見て、仁木くんは確かにそう言っていた。小さかったけど、たまらなく嬉しかった。普段入れっぱなしにしている靴ベロを出して、勢いよくドアを開ける。


「じゃあね」

「ん、気をつけて」


 吹き抜ける風を切りながら、私は家へと駆けていく。


 これから先、私はいくらでも軌道を変えられる。変えて行くうちにいつか、本物の太陽にも近づくことがあるだろう。例えそれが今じゃなくても。


 そう思うだけで心も体も軽くなった。


 満月は夕方の空を照らしはじめている。


 

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