第6話 僕

 次の日、僕はスズキたちの誘いを断って、一人でこっそり海へ行った。

 悪いことをしている気がしたが、あの人魚に会いたい気持ちの方が勝った。不思議な存在を前に、好奇心が湧き上がってきたのだ。

 しかし、岩場には誰もいなかった。


「まあ、そうだよな」


 僕は一人呟いた。人魚のような不思議な存在にそんな簡単に会えるわけがなかった。

 いや、でも昨日「またね」と言っていたような……

 僕は岩に座って、ぼうっと海を眺めた。

 しばらくすると、ちゃぽんと水が跳ねる音がした。

 はっと後ろを向くと、そこには昨日の人魚が、水面から顔を出していた。


「あっ……!」


 昨日と同じように、彼女は美しかった。さらりと髪をなびかせ、僕を見ている。


「今日も会えた」


 彼女はそう言って微笑んだ。そしてこんなことを聞いてくる。


「ねえ、お名前、なんて言うの?」


「僕は……えっと、カトウ」


「カトウ? 変な名前。私はレイ」


 彼女、いや、レイの答えを聞いて、はっとした。僕は反射的に苗字を言ってしまったのだ! もしかしたら、人魚の世界に苗字なんてないのかもしれない。


「あっ、僕は……」


「ねえカトウ」


 僕は訂正しようとしたが、遮られた。ああ、これでは僕の名前はカトウカトウになってしまう……

 レイはそんな僕の心の中など知るはずもなく、話し始める。


「カトウは昨日、人魚の私を見たのにどうして驚かなかったの?」


「いや、驚いてたけど……」


「そうは見えなかった。すごく冷静だった」


 僕は驚いたというよりは、レイの美しさにただただ圧倒されていた。冷静に見えたと言うが、僕は固まっていただけだった。


「この前会った人は、すぐに逃げていっちゃったから、話しかけてもらえて嬉しかった」


「そうなんだ」


 この前会った人……僕は少しその人に嫉妬する。この不思議な存在に、僕より先に遭遇していたことに。いや、もしかしてそれって噂の元となった高三の先輩のことか……?


「話しかけてくれて、ありがとね」


 レイは少し恥ずかしそうに笑った。その、あまりにも美しい笑顔に、僕は見惚れてしまう。


「あ、ああ。別に」


「私、人間に興味があるの。人間と話したのはカトウが初めて。ねえ、良かったら人間のことを教えてよ!」


「人間のこと?」


「たとえば、人間はどんな生活をしているのか! 人魚はいつも海の中でお魚さんと遊んでいるわ」


「へえ! 楽しそう! 人間は忙しない生き物さ。なぜなら……」


 そんな調子で話は盛り上がり、辺りが真っ暗になるまで話し続けた。

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