第12話 正常

 集合住宅や複合型施設が幾つも立ち並んでいる。しかしそれらに明かりはともっておらず、整備されていないのか中は荒れ果てていた。家具は散乱し、陳列棚は中の商品を散乱させながら倒れている。


 まるで廃都のような光景だ。風が吹き抜ける音や建物が軋む音を除けば、辺りは全くの無音だ。当然に人の姿すら見えないし、この場所には人がいた名残が残っているだけだ。

 しかしある時、足音がした。その後に倒れるような音。音は施設と施設の間にある裏路地で鳴っていた。僅かに呻き声のようなもの含まれており、聞こえてくる限りではかなり衰弱しているようだった。


「……ぅ……あ」


 少年が裏路地でうつ伏せで倒れていた。壊れかけた甲冑はボロボロと崩れていき、塵となって風に流されていく。装甲にできた穴からは切り傷や弾痕、焼け跡などの負傷が見えた。体中から血を流し、痛々しい。

 少年はしばらくの間、倒れたまま動かなかった。

 風だけが響く裏路地で倒れ伏す。指先を動かすことすらせず、呼吸をしているのかさえ怪しい。少年が倒れ、一時間ほどが経過すると空模様が変わり、いつの間にか止まっていた雨がまた降り始めた。

 

 雨は地面を流れていた少年の血液を洗い流し、甲冑に付着していた汚れを取っていく。雨粒が装甲に当たると跳ね返ってはじける。その際に独特の甲高い音を響かせていた。

 体を包み込んでいた装甲の穴の空いた部分から雨が内側へと流れ、少年の体に触れる。

 傷跡に付着していた血液が溶けだす。今の時代、降って来る雨は酸性であったり毒物が混じっていたり、生身で当たるのは良くない。特に傷口を雨水で洗い流すのは感染症に繋がる。

 

 ただ少年は気を失っているし、降って来た雨に対してどうこうすることも出来ない。

 大人しく。少年の体は雨によって洗い流されていく。


 数十分と、数時間と、雨に打たれる。気温は著しく下がっている。雨水に濡れた少年の体から体温を奪っていく。しかし少年が起きる気配は無く、それによって衰弱している気配は無かった。


 舗装こそされているものの削れ、ひび割れた地面には雨水が溜まっていた。

 酷く汚れた水たまりだ。土など入っていないはずなのにどんよりとした黒色が染み込んでいる。表面には虹色に反射する油が浮いていた。倒れ込む少年の周りはそんなような水たまりが多くあった。

 

 酷い匂い。酷い光景。まるで少年が生まれ、育ち、生き抜いた場所を表しているようだった。

 壁から突き出た鉄パイプ、水が滴っている。鉄骨がむき出しになった壁面、雨によって錆びて茶色になっている。錆が壁を伝い、水たまりの中へと流れ込む。僅かに透明さを残していた水たまりに茶色の水が染み込んだことで、完全に黒く、汚いものへと変わった。


 その中で少年は倒れ続けていた。雨に打たれ続け、何時間も。

 そして雨がんだ時、空は久しぶりの快晴で長かった夜は明けていた。それから少しって、少年がやっと目を覚ます。


「ぁ……ぅ」


 目を覚ました少年は痺れた腕を動かして地面に手のひらを着けて体を起こす。だが上手く力が入らず、また雨で地面が塗れて滑りやすくなっていたこともあり、片手を滑らせて顔面から地面に体を打ち付ける。

 体の下に溜まった水が衝撃で跳ねた。顔は黒い水で汚れる。


「……っくそ」


 もう一度、少年が手のひらを地面に着く。そして今度はさらに力を込めて立ち上がった。まずは体をひっくり返してうつ伏せの状態から仰向けへと。

 仰向けになると青い空が見えた。ANIMAが現れてから空は濁った時の方が多くなってしまった。それは環境汚染や火山灰によるものが大きい。そのため濁り切った空しか最近は見れていなかったが、久しぶりに違う美しい光景を見ることが出来た。


 少年は澄み渡った空に手を伸ばす。両手を、握り締めるように伸ばす。しかし視界の中に自らの両腕が見えた時に違和感を覚えた。

 まず一つ、少年の左腕は千切れて無くなっていたはずだ。

 そして二つ、少年の左腕には新しく義手のようなものが。そう、生えていたのだ。取り付けられているのではない。無くなったはずの左腕の代わりに新しく再生したかのように黒色のような、金色のような義手が生えていたのだ。


「なんだこれ……」


 左腕を右手で触る。滑らかな質感。硬く、爪で突いてみると僅かに金属音が響く。少なくとも自らの目がおかしくなって、左腕が義手に見えているわけではないことが分かった。

 少年が義手に意識を向けてしばらく触っていると、ここ最近の記憶を思い出し、そして幾つかの疑問点を思った。


「お、おれの……体は」


 左腕こそ金属性の義手だが、右腕は肌色をしており確かに自分の右腕だ。そして右腕が見えているということは、少なくとも体を覆っていた装甲が腕だけは無くなっているのだろう。

 そして右腕で自らの顔を触る。

 肌の感触、人の温かさ。武骨で滑らかで硬い甲冑ではない。確かに人の肌だ。


「これ、は」 


 少年が立ち上がり自身の体を確認する。忌まわしい黒い装甲に体が覆われていない。

 だが全体像を見てみないと自分がどうなっているかは結局のところ分からない。少年はゆっくりと歩き出し自身の全体を確認できるものを探す。水たまりは黒く濁っていて、それでいて全体を反射させるには小さすぎる。

 足元を見ながら、横を見ながら、少年が歩く。

 扉が壊れ、廃墟となったビルの中を歩き、物色しながら探す。すると、案外すぐに目的のものは見つかった。

 壁に埋め込まれた鏡だ。埃で汚れているが拭けば見えるようになるだろう。

 少年は途中で拾ってきた黒く汚れたタオルで鏡を吹く。汚れは厚く、手強かったが忍耐強く拭き続けていると無くなり、鏡が見えるようになった。


「あ……あ?」


 鏡を見て、少年は困惑の表情を浮かべる。

 鏡に映っていた自分の服装、背格好が違っていたためだ。

 少年は今、ロングコートを羽織っていた。そしてその下に着ている上着はロングコートと同様に少年が知らないものだ。元来ていた雨合羽も、その下に着ていた服も無くなって、すべてが変わっている。

 質感の良い、高級そうな全くもって知らない服へと。いや、ロングコートについては見覚えがある。施設の部屋、少年が異形の化け物へと姿を変えた原因。衣装ラックに掛かっていたロングコートがこのような見た目をしていた。


 直感的に、少年このロングコートを脱げばもうあの異形の怪物にならずに済むのではないかとそう思った。すぐにロングコートに手をかけて脱ごうとする。しかし脱げない。体のサイズをぴったりと一致しているかのように、まるで肉体に溶接でもされているのではないかと思ってしまうぐらいに、ロングコートが肌から離れず、脱ぐことが出来ない。


「――っ――っ」


 何度も試してみるが一向に脱げそうにない。


「……っはぁ。クソ。なんだよこれ」


 最後にもう一度試してみる。しかし結果は変わらない。義手も同様に外すことが出来なかった。


「……はあ……はあ……」


 左腕についている義手はこのコートが関係しているのだろう。そして体に起きているも恐らくそうなのだろう。身長が僅かに伸びている気がする。まるで異形の怪物になるための必要最低限分を強制的に成長させられたかのように。顔も僅かに、普段の栄養が足りておらず痩せこけていたものから、張りのある肌と顔に戻っている。


 少年からしてみれば分からないことが積み上がって行って頭がおかしくなりそうだった。一体自分の身に何が起きていて、このロングコートは一体何なのか。一体ここは何処なのか。

 

 分からないことが多すぎて今にでも発狂したい気分だ。ふさぎ込みたくなる。そして少年が僅かにおかしくなりかけて、叫ぼうとしたところで背後から声をかけられた。


「……誰だ」


 振り向くと、そこには一人の男が立っていた。

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