第9話 地獄

 視界が暗転し、開けると交差点の中心だった。縦から横から、斜めから、多数の人が行き交う横断歩道の中心に少年は立っていた。

 周りには雨が降っていてうるさいほどに騒がしかった。ただ雨の音が一時的に消えて、降って来た雨の雫が視認できるほどに、周りの景色が停滞した。信号は赤と青を行き交っている。周りを歩く人々は小走りで渡っている。


 ぼんやりと周りの光景を眺めていた。だがその中で少年と、親に手を惹かれて歩く雨合羽を子供との目が合う。子供は赤いうさぎの人形を抱えていた。片手を親に握られ、残った片方の腕でうさぎの人形をしっかりと抱きしめていた。

 先ほどまで親に手を引かれて、点灯が早くなった横断歩道を渡り切ろうと急いでいた子供だが、少年の姿を見ると立ちどまる。そして子供は親に握られていた手を引っ張って、自由にすると少年を指さした。

 

 静かに一言も発さず。ただ少年を真っすぐに見て指を刺した。

 

 親は子供が勝手に手を振りほどいたため、何かと思って立ち止まる。最初こそは急ぐように子供の手を握った。しかし一点を見つめる我が子を不審に思ったのだろう、少年が指さしていた方向を


「――ぁ」


 親は声を出せなかった。代わりに酷く表情を歪ませ、ガタガタと足を震わせた。子供の手を握る親の手は勝手に力が入る。強く握り締められた子供の手のひらはくしゃくしゃに縮む。


「――――――――――」


 親が金切り音のような悲鳴を上げた。直後、それまで酷くゆっくりに見えた周りの光景が加速する。信号を渡る周りの者達は小走りから全力疾走へと移行し、信号機は目がチカチカとするほどに高速で点滅する。

 雨の音が強くなり、雷鳴が鳴る。まないクラクション。

 少年がぼんやりとした意識の中、周りを見渡す。民衆が逃げ惑っている。車から降りて我先にと防害ぼうがいシェルターへと入り込んでいる。異常な光景だ。そしてその異常は自分を中心に発生している。

 そうか。


(俺は……)


 地面に溜まる水を見た。雨によって激しく揺れ、街灯を反射する水たまりは見にくい。しかしはっきりと、異形の怪物となった少年の体を映し出していた。体にはANIMAの肉片が付着し、こびり付いた返り血は雨によって流れ落とされ、足元の水たまりを赤く染め上げる。

 

(俺は……)


 空を見上げる。曇天の空だ。雷が雲の中を走っている。降って来る大量の雨が顔を打ち付ける。目は閉じない。すでに甲冑で覆われている。雨粒が眼球の中へと入って来ることは無い。

 

「……おれ、は」


 周りを見渡す。あれほどいた人間は誰一人としていなくなっていた。信号では乗り捨てられた車が扉が開いたまま放置されている。地面を見れば白い線が等間隔に引かれて、その上にはカバンや教科書。眼鏡めがねや傘が転がっていた。視線を少しずらしてみる。するとそこには赤いうさぎの人形が落ちていた。逃げ惑う人々に踏まれたのだろう。ふわふわで、柔らかく、赤い人形であったはずなのに、踏まれたせいで潰れ、色は黒く変色し、雨水を吸い込み重くなっている。


「ああ………」


 警報が鳴っている。人の不安感をあおるサイレンだ。街全体に鳴り響いている。とても大きく。この危機をしらせようと。

 ANIMA警報アラートは力強く鳴いていた。


「はは……くそが……」


 少年が今にも崩れそうな足を一歩踏み出して、また一歩と踏み出してしゃがみ込んだ。そしてボロ雑巾のようになった赤いうさぎの人形を拾い上げる。怪物のような凶器のような手のひらで、丁寧に人形を持ち上げた。


「――ごめん」


 次の瞬間。少年のいた場所は前触れも無く爆発した。

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