第8話 獣の戦闘

 数時間、もしかしたら数十時間とったかもしれない。倒れ込む少年の目の前にANIMAの死体は残っていなかった。厳密には皮や骨を除いた内臓や肉、眼球から脳にかけてすべて少年が食べてしまった。


「う……」


 今思い出しても最悪の記憶だ。恐らく、これ以上の苦痛は味わえないのではないかというほど苦い経験だ。胃の中が燃えるように熱い。内容物がぐるぐると回って、ひっくり返っているような気持ちの悪い感覚だ。

 不幸中の幸い……でもないが、ANIMAを一頭分食べたおかげで腹は空いていない。

 

「はあ……くそ」


 少年が膝に手をついて立ち上がる。正直なところ、そんなことをしなくても今の体ならば容易に立ち上がれるが気分的なものだ。少年が立ち上がるためには何かを支えにしなければいけなかった。

 少年が立ち上がると壁に手をつきながら建物の外へと向かって歩き出す。ひび割れて亀裂の入った地面を渇いたような音を響かせて歩く。足は上がっておらず、地面と足裏が擦っている。擦れた音が鳴る。しかし出口に近づくほどに外から聞こえる火の音が強くなると、足音は消えて行く。

 次第に、炎が燃え滾る光景が少年の視界を埋め始める。破壊された両開きの扉からは外が見える。見覚えが無い。少年がこの建物に入る前に見た付近の光景はこんなものではなかったはずだ。

 ただもう頭がおかしくなっている可能性もあるので、自身の記憶を信用しきることも出来ない。

  

「ああ……」


 少年が外に出ると肌を焼くような熱波が顔面に吹き付けた。ただあくまでもそういった幻覚を感じただけ。実際には顔を覆う狼や竜を模したかぶとが防いでいるため熱も肌が焼けることも無い。

 しかしもし、少年が生身であったのならばここにいるだけで苦しかっただろう。息をするのも困難で、一息吸い込むごとに喉が焼けるような痛みを覚え、渇きを覚えるだろう。

 そのあまりにも人間らしい感覚を得られないということはやはり、異形の化け物となってしまったのだろう。


 荒れ果てた都市を歩きながら少年が考える。思いふけり、建物に視線を送る。目の前の光景はあまりにも悲惨なのに、悲壮感や絶望感といった感情は湧いてこない。まるでテレビの画面越しに見ている映像のように危機感が無い。実感が無い。


 空を見上げてみればANIMAが飛んでいた。

 少し遠くを見てみれば高く聳えたつ塔の頂点に蜷局とぐろを巻いた生物型ANIMAが存在している。

 耳を澄ませてみれば炎が燃え盛る音以外にもANIMA同士が争う戦闘音や建物が倒壊する音が聞こえる。

 

 目を開けて視線を塔から少し近いところに映す。

 ビルの側面に吸盤のような足を吸いつかせ、長い舌を出しながら少年を見つめる一体の生物型ANIMAがいた。蛙のような頭に蜥蜴とかげのような胴体だ。不格好で格好悪い。

 ただそれは今の少年も同じ。

 異形の存在と成り果てた少年をあの生物型ANIMAは敵として認識するのか、仲間として認識するのか。答えはすぐに分かった。


(――来る)


 ANIMAは特に人間だけに敵対心を向けているのではない。奴らにも種があり、天敵がおり、仲間がいる。人間はその争いに巻き込まれたに過ぎない。異形の怪物となした少年もまた、その生存競争に組み込まれただけだ。


 ビルの側面をひび割れさせながら勢いよく蹴って少年へと生物型ANIMAが飛び掛かる。

 強靭で粘着性の液体が付着した舌を音速を越える速さで少年へと飛ばす。生身の人間ならば視認することすら不可能だっただろう。いや、防衛隊でさえ対処は困難だった。

 しかし少年は舌を片手で掴むと、そのまま振り回す。生物型ANIMAは舌を出したままだらしなく振り回され、ビルに衝突し、地面に叩きつけられる。ただ舌の耐久性はそこまで高いというわけではないようで、二回ほど振り回したところで舌が千切れ、ANIMAは地面へと落ちた。


 舌には粘着性の液体が付着していたが異形のものとなった手のひらに影響を与えることは無く。手を開くと千切れた舌が地面へと音を立てて落ちる。そして生物型ANIMAが立ち上がろうとしている隙に異形の怪物は移動し、頭部を殴りつける。

 拳と皮膚とが接触した瞬間にANIMAの頭部が破裂し、扇状に肉片が飛び散った。

 頭部を完全に破壊されたANIMAは絶命した。今は筋肉の痙攣によって小刻みに震えているだけだ。


「は、はは……なんだこれ」


 少年が肉片の付着した自身の両手を見る。

 それまでテレビをぼんやりと眺めているだけだったのに、画面の中に吸い込まれたかのように急激に実感が湧いた。今、自分の手で生物型ANIMAをほふったのだと。どうしようもない高揚感。自然と口角がつり上がってしまうような、抗うことの出来るはずのない多幸感。

 満ち溢れている。今が完璧な状態なのだと。脳が体が、少年に充足感を訴えかけている。

 

 音を聞きつけたのか空を滑空していたANIMAが少年目掛けて落ちてきて、地を這っていた他のANIMAが寄って来る。


「は――っっはっはっはっは!」


 足元で木っ端みじんになったANIMAを見て楽しさを覚える。あれだけ恐怖していた。ただ逃げることしかできなかったANIMAがみっともなく筋肉を痙攣させて死んでいる。

 こんなのを見て喜ぶのは悪趣味だと少年は分かっている。しかしどうしようもなく、口の端がつり上がる。楽しい。おもしろい。滑稽だ。惨めだ。絶命したANIMAを見てそんな感情が湧き上がる。


(そうだ)


 空から落ちてくるあのANIMAも同じ有様ありさまにしてやろうと思い立つ。実行に移すのは早かった。異形の怪物が地面を蹴って飛び上がり、ビルの側面を走りながらANIMAに接近する。

 そして互いの距離が近づくとANIMAは口を開けて怪物を捕食しようと試みる。一方で怪物はビルの側面を蹴ってANIMAの口の中へと飛んでいく。怪物が足場にしたビルは衝撃で真っ二つにひびが入ると、そのまま崩れ出す。

 ただ崩れるよりも早く。異形の怪物はANIMAを仕留める。口の中へと入った怪物はANIMAの体を貫通し、尻尾をもぎ取りながら空中に飛び出る。内部機関を完全に破壊されたANIMAは墜落していく。怪物よりもずっと早く。


 空中で尻尾を持ったまま無防備の怪物に他の飛行する生物型ANIMAが口を開けて飛んでくる。

 しかし口を引きちぎり、拳を叩きつけ。食われたとしても内臓を突き破って出てくる。


「―――っはっは!。楽しいなぁあああ!」


 空で飛行するANIMAと戦いながら怪物が叫ぶ。

 まるで玩具のようにANIMAを千切っては投げ、千切っては投げ。破裂させ食い破り。あらゆる手段を用いて敵を処理していく。


「……まだまだ」


 空でほぼすべての生物型ANIMAを殺しきった怪物が地上へと落下する際に呟く。

 そして怪物が地上に落下すると爆発音が轟き、地面が割れる。そして落下した怪物の背後には7階建てのビルほどの高さがある人型のロボットが立っていた。機械型ANIMAだ。

 機械型ANIMAは肩や腹、指先などの部位に搭載していたミサイルやロケット。機関銃といったありとあらゆる武装を怪物に叩きこむ。煙が舞い散って、一時的に視界が悪くなり怪物の生死が不明となった。


 しかしすぐに、怪物は煙を突っ切って機械型ANIMAへと地面を蹴って近づく。そして握り締めた拳を叩きつける――前に不可視の障壁によって阻まれた。


反重力機構アンチグラヴィティシステム―――!!」


 力場障壁と呼ばれる半透明の壁を任意の空間に出現させるシステム。反重力機構アンチグラヴィティシステムを用いた、機械型ANIMAが持つ防御手段の一つだ。


 力場障壁によって叩き落とされた怪物は飛行手段を持っていないためただ落下してくのみだ。そこに追い打ちをかけるように機械型ANIMAはあらゆる武装を叩きこんでいく。

 だが怪物には傷一つつかない。


「こんの―――鉄くずが!」


 怪物が激高しながら機械型ANIMAに向かって蹴り上がる。そして今度は振りかぶった拳を機械型ANIMAではなく力場障壁に叩きつけた。限界を越える負荷を一度に浴びた力場障壁は崩れ、怪物はなんとか機械型ANIMAの元までたどり着く。

 だが機械型ANIMAに触れた瞬間に体が痺れる感覚がした。


(電磁装甲……!)


 機械型ANIMAの機体表面に薄く張り巡らされた装甲。このままでは剥がされる。怪物は必死にしがみつき、もう一度拳を振り上げた。


「――邪魔!」


 叩きつけた拳は電磁装甲を貫通し、機械型ANIMAを破壊する。一発では足りないので何発も何発も叩き込んでいく。機械型ARNIMは一瞬にして解体され、ただの鉄くずへと成り果てる。


「っはっは!やってやった!」


 解体された機械型ANIMAを見て高揚感を覚える。ただ、機械型ANIMAとの凄まじい戦闘音を聞いた他のANIMAが怪物に向けて集まってきている。まるで統一の意思でもあるかのように怪物だけに向けて。

 空を飛ぶ生物型ANIMAがほぼすべて駆逐され、強靭な機械型ANIMAでさえもスクラップにされた。ほぼすべてのANIMAがこの異常事態に気が付いている。機械型ANIMAは合理的な判断で、生物型ANIMAは本能で、怪物をこのまま生かしておくと自身の住処が荒らされると感じていた。だから今はANIMA同士で争わずに、闘争の矛先を怪物だけに向けている。

 まるで別の世界からやってきたような異次元の力。それを今、徹底的に叩き潰しておかなければならないとANIMAは同一の意識を持っていた。


「こいよ……いいぜ、まとめて全部破壊してやるよ」


 怪物もまたANIMAが団結したことを分かっていた。

 全方位から襲い掛かるANIMAに対して、怪物は「そうでなくちゃいけない」と、そう思い吠えた。そして次の瞬間、ありとあらゆるANIMAが生物型。機械型問わずに怪物に攻撃を仕掛ける。

 砲弾が降り注ぎ、酸性の液体が飛び散る。頑丈な生物型ANIMAが体当たりをして、怪物を吹き飛ばす。一方で怪物もANIMAを振り回し、砲弾をつかみ取り投げ返す。

 ビルを持ち上げ、ANIMAを下敷きにする。

 蹴り飛ばした生物型ANIMAの肉片が空を舞って赤く染め上げる。いくら攻撃を与えようと怪物は止まらない。高速で駆け、脅威的な破壊力を持った拳を叩きつける。踏み込めば道路は割れ、ビルが傾く。拳を浴びせれば木っ端みじんに爆発する。

 そこに技や理性といったものは感じられず、ただ本能で襲い掛かるANIMAを破壊していくだけだった。


 いつしか絶え間なく襲い掛かってきていたANIMAは段々と数を減らし、戦闘音は静かになって行った。戦闘の後に残ったのはすべてが破壊されたいらになった街とその中心でたたずむ一体の怪物だけだった。

 

 瓦礫の上に立つ怪物は一言も喋らず、機能を停止したかのように突っ立っているだけだ。さすがに怪物といえど、あれだけの数を相手にすれば無事で済むはずが無く、体からは血を流し、装甲の何枚かが外れていていた。体中から流れた血が鎧を伝って瓦礫の下へと流れていく。

 首や肩から流れ出る血は腕を伝い、指先へと溜まり、耐えられなくなって落ちて行く。


「ああ……」


 空を見上げる。

 曇天の空の中を走っていた雷はいつの間にかんでいた。周りを見渡してみれば、炎が鎮火している。そして少年がもう一度空を見上げた時、黒い雨が降って来た。

 酸性の雨だ。

 装甲が無くなった部分が雨に降れる度に溶けていく。しかし本当ならば触れただけでその部分が壊死し、溶けてるような酸だ。それを浴びてなお皮膚が溶けるだけ。外側を覆っていた鎧だけでなく肉体もおかしくなっている。


 ふと、少年が斜め下を見た。そこにはひび割れた一枚の鏡が落ちていた。そこに映っていた少年の姿はまさしく怪物で、臓物が肩や腕にこびり付き、それが酸によって溶かされている。

 まさに化け物。少なくとも人間では無かった。

 鏡をよく見てみると、怪物がつけていた兜は半分が割れて、少年の顔をのぞかせていた。

 

 そして思い出す。狂ったように喜びながらANIMAと戦っていた時の記憶を。

 完全に自分がおかしくなってしまったのだと、そう理解してしまった。少年が僅かに項垂れる。

 そして半時ほど立ちすくんでいた。

 いつの間にか酸性の雨は止んでいて、相変わらず曇天の空模様だったが静けさだけが残る空間になっていた。


 ここでANIMAと戦ったからって現状がどうにかなったわけではない。今も自分がどこにいるか分からないし、帰る手段も分からない。どこを目指せば良いのかと周りを見渡す。


 だがそこで、まるで狙い澄ましたかのように少年の隣で音がした。みて見ると空間が割れて穴が出来ていた。ここに来た時と全く同じ、奥行も質量も無い謎の穴が隣にはあった。

 穴に耳を近づけてみると雨の音とクラクションの音。話し声が聞こえた。この空間に飛び込むのは嫌な気もしたが、ANIMAの肉を食った今、この程度のことで怯みはしない。

 それに戦闘が終わって思考が正常に戻った時に、あらかじめ用意されていたかのようにこの空間が現れたのだ。

 全くの偶然だとは言い切れない。何かの狙いがあるはず。それは少年には分からないが、ただ今は帰ることが出来ればいい。


 少年は奥行も質量も無い、謎の穴へと身を投げ出した。

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