第7話 獣の肉
どのくらい
「腹が減った……。何か…何か」
少年がだらりと立ち上がる。そして足を踏み出す。気絶する前は驚くほど重かった足が、今はとても軽い。足だけではない体全体の調子が良い。生まれて初めて感じたような爽快感や体の軽さ。だが頭だけが重い。まるで思考が制限されているかのように。
「あ……あ」
少年が扉に近づく。入った来た時は扉に触れることは出来ず、少年は倒れたはずだ。しかし出る時は扉に触れることが出来た。確かな重みを感じる、だが力を入れれば扉は開いていく。
「…………」
少しだけ扉が開いた。ただ見えてきたのは入って来る時に通った白く、薄暗い長い道ではなく荒れ果てた施設の中だった。壁には亀裂が走って僅かに外の光景が見える。
燃えていた。都市に炎の柱が立っていた。やはりここはANIMAの住処となってしまった都市に違いない。何かの手違いで扉が開けた先に自身の宿が広がっていたら、だなんて想像していたが、意味が無かったようだ。
「…………」
暗い施設内を少年は暗い気持ちであるのにも関わらず、異形と成り果てた体は快調に練り歩く。柱を撫で、壁の傍を歩きながら尖った指で跡を引いていく。外から聞こえるバチバチと燃える音が、とても心地よい。それこそ一つ踊ってみたくなるほどに、麻薬のように心の芯まで響き渡っていく。
少年は気の向くままに荒れ果てた施設の中を歩く。
「…………ぁ」
少年が施設の中を歩いていると一つの異物を見つける。それは狼のようなANIMAの死体だ。少年は訳も分からず、何も考えずにその死体へと近づき、しゃがみ込んだ。
触ってみるとまだ暖かい。恐らく死んでそこまで経っていないのだろう。
柔らかく頑丈で柔軟性もある外皮を尖った指先で切っていく。すると赤い肉が露になる。少年はさらに肉に指を突き刺して幾つかのブロックに切り出していく。そしてすぐに肉は食べやすい一口サイズに変わった。
「…………え」
少年が驚いて呟く。だが無理もない。ANIMAの死体を見つけてから肉を切り分けるまで意識が無かったのだから。荒れ果てた建物の中を歩くあの心地よい感覚はある。そしてずっとそのままだ。気が付くと目の前にはANIMAの死体と、切り取られた肉があった。
「……はら」
腹が空いている。目の前にある肉は確かにANIMAの肉だが表面上ではとても美味しそうに見える。いつも食べている合成肉とは比べ物にならないほどに。
「――いや、いやいや。駄目だ」
自然と開いていく口を閉じて。肉から口を離す。
ANIMAの肉を食ったら体にどんな異常が出るか分からない。それにこんな得体の知れない物を食うのはイカれてる。いくら腹が空いているからと言ってこれだけは駄目だ。人間のしていいことじゃない。
「……あ」
地面に落ちていたガラスの破片に少年の顔が反射した。厳密には少年の顔が反射したわけではない。異形の存在がガラスに映っていただけだ。
ANIMAを食べるのは人間がして良いことじゃない。しかし今の少年は果たして人間と言えるのだろうか。ANIMAを食べた時に出る異常なんて大したことが無いのではないだろうか。
そう思うと、目の前の肉に対しての拒否感が薄れていく。
そして肉を指先で取って口先に近づける。そして口に放り込む、その直前に思い出す。今、頭は装甲に覆われていて、とても食べれるような状況ではないことを。
少年は一度肉を置いて口元を触る。
「あ……れ」
まるで食べろとでも言っているかのように、口元だけ装甲が無かった。そしてふと様々な想像が思い浮かぶ。頭部を包み込んでいた装甲が無くなった。今なら、この尖った指先ならば化け物になった自分を殺せる。そうして少年が一度自分の指先を見た。すると、先ほどまで異形の指だったはずの手のひらは、元の少年の手に戻っていた。
「ふざ……」
都合の良いこの体に腹を立てたが、すぐにその怒りは霧散する。そしてやるせない怒りを抱えたまま、目の前の肉を見ることしかできなかった。
今すぐに何か食べ物を放り込めと、腹が脳に訴えかけている。食べ物ならば目の前にある。
「いやだ……いやだ」
脳は拒否しているのに体が勝手に手を伸ばす。地蔵のように体が動かなくなる。指で一切れの肉をつまみ、口に近づける。顔を必死にのけ反らせ指から逃れようとするが意味が無い。
一切れの肉が唇に当たる。まだ生暖かい。張りのある弾力。合成肉では味わえない感覚。
「う――あ」
呻き声を漏らした際にできた歯と歯の僅かな隙間に肉が押し込まれる。抵抗虚しく一瞬にして
食べたくはない。しかし本能的な部分で口の中に入れた赤い肉を咀嚼してしまう。
「……」
肉の味がした。合成肉では感じた事がない芳醇な肉の味だ。これならば食べられるかもしれない。そう少年が思った直後、味が変質する。
「う―――うおえっっぐっ――うぇええええ」
鼻をこそぎ落としたくなるような獣臭さ。弾力のあった肉質は泥でも食べているかのようにゼリー状に、じゃりじゃりと硬い何かが噛む度に歯に当たる。ねばねばと咥内に絡みついて飲み込むことすらままならない。
「う―――あううぐ」
吐こうとしても食べる時は空いていた口元の装甲が今は元通りになっている。だから吐けない。両手で口を触る。首を掻く。だが直接触ることはできず、鱗と指先が当たる音が響くだけだ。
(吐けない―――)
吐けないのならば飲み込もうと喉を鳴らす。しかし嘔吐感に震える咥内は肉を上手く飲み込んでくれない。肉を小さくしようにも咀嚼することすら嫌悪感で
体感で数十分ほどの時間を要して少年は口の中にあった肉をどうにかして胃の中に流し込む。
そして口の中に残る獣臭さに堪えながら両手を地面についた。
「はぁ……はぁ……はぁ……くそが、なんだこれ」
たった一切れで死にそうだ。絶望的に気分が悪い。
「クソ」
少年が吐き捨てて頭をあげた。そして息を整え、立ち上がろうとした――が依然として体は地蔵のように動かなかった。そしていつの間にか少年の指はもう一切れの肉を掴んでいた。
「は……嘘だろ」
自らの意思に反して腕が動き一切れの肉が口元に向かって近づけられる。
「いやだ……もう食べ――」
口の中に肉がねじ込まれる。直後、味が変わった。
「――うっぐえぇ」
少年はただ悶え苦しむことしかできなかった。
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