第5話 導かれて

 すでに朽ち果てた施設の中で少年が壁に背を預けて座り込んでいた。左腕には布を巻きつけて出血を抑えている。崖を下る時に体勢を整えるため力を入れた足の裏や手のひら皮膚が残っておらず、赤い肉が見えている。


 息が止まるほどの激痛。手のひらに布を巻き付かせようにも片腕が無いので、難しい。激痛のため歯が震え、布を口で噛んで腕の代わりにするのも困難だ。出血多量で目の前は暗くなり始めているし、体は冷たくなっているような気がする。


 このまま寝たら、恐らくそのまま死んでしまうだろう。ただそれが分かっていながら、体が動かない。まるで地面に縛り付けられているのではないかと、ここだけ重力が強いのではないかと、そう勘違いしてしまいそうなぐらいには体が重い。もはや指の一本ですら満足に動かせない。力を入れているのか入れていないのかすらも不明だ。

 感覚が無い。世界が暗い。

 

 ここから生き残るのはほぼ不可能だ。もし起き上がれたとしても外に広がっているのは燃え盛る街並みと跋扈するANIMA。とてもじゃないがこの中を生きていけるとは思えない。

 そしてそもそもの問題として、帰り方が分からない。ここはどこで、なぜ来たのかすら不明なのだ。この施設から外に出るとしてどこに向かえばいいかだなんて、到底分からない。


 もう体は動かないし、絶望的な状況に置かれているし、諦めた方が楽。

 そんな考えが少年の脳内に浮かび、埋め尽くしていく。

 崖の上で一度は生きようと足掻いたが、頑張って変わってくれる現実なら、ずっと前に少年は報われている。現実は逃げれず、どこへ逃げればいいのかすら分からない都市が広がっているだけだ。


 ここで諦めてしまった方が良い。そちらの方が遥かに楽だ。今まで何回も逆境を乗り越えて進んだ。親がいなくなり、居場所が消え失せ。それでもまた一つずつ築き直した。


 しかしまたすべてが崩れ去って、今度は前よりも遥かに高い壁が目の前に立ちふさがった。これならば諦められる。しょうがないと。諦められる。そちらの方が楽だ。このまま諦めた方が。


 だがそれはしゃくさわる。どうしようも無く苛立つ。このまま現状を受け入れて死ぬことが許せない。これじゃあ報われない。これじゃあ死んでも死にきれない。


「……っ、ぐ……あ」


 血反吐を吐いて立ち上がる。重くなった頭はまだ下を向いたままだが、膝に手をついたままだがどうにか腰を上げることが出来た。

 そして少年はゆっくりと歩き出す。足裏は酷く傷ついていて恐らく歩く度に激痛が生じているはずだ。しかし感覚が残っていない少年には痛みを感じれない。たとえ足裏に硝子がらすの破片が刺さろうとも気にならない。


 何処へ向かうわけでもなく、だが何かに導かれているように少年は歩みを進める。荒れ果てた建物の中を歩き回る。その中でビーカーや注射器などの実験道具や壊れて内容物が漏れ出した培養ポットなどがあった。


 一歩、歩くごとに締めが甘かった布がほどけていく。左腕の止血をしていた布も取れかけている。床に垂れた赤い布は培養ポットの中に入っていたであろう緑の液体や

何かの薬品を吸いながら色を変えていく。


 何が欲しくて、何がしてくてこの施設内を歩いているのか少年自身にも分からない。ただ意味も無く歩いている。少なくとも少年は。


「――っ、あ……くっ…」


 意識無いままに何分か歩いた時、いつの間にか少年はある扉の前にいた。白い扉だ。薄汚れて血が付着している。歩きながら気を失っていた少年が意識を取り戻すといつのまにかこの扉の前にいた。


 状況が理解できないのも無理がなく、周りに視線を向けてみる。しかし周りには何もなかった。後ろに一本の細い道が続いているだけである。


「ここは……なん」


 しばらくその場で立ち尽くした。しかし後ろには長い道が続くだけであり、目の前の扉を進んだ方が良さそうな気がした。少年が足を一歩踏み出して扉に近づく。思いのほか体は限界だったようで、踏み出した足が地面についた瞬間に膝がガタガタと揺れ、体が崩れかける。


 少年は間一髪のところで膝を両手で押さえ、体を起こす。そして片方の足を踏み出してさらに扉に近づいた。無い力を振り絞って足に力を入れて倒れるのだけは避ける。


 また一歩と少年が足を踏み出す。そしてもう一歩と踏み出した。すると扉は目前にあった。明らかに重厚そうな扉だ。きっと重いだろう。この体では開けられないかもしれない。


 ただその後のことは扉を全力で押した後にすればいい。

 少年が両手を出して扉を押す。しかし手のひらは扉を貫通して、その奥へと飲み込まれていった。すでに力尽きていた少年の体が踏ん張れるはずも無く、そのまま扉に飲み込まれるようにして倒れ、消えた。


「う……あ」


 地面に這いつくばったまま僅かに頭をあげて、少年が周りを確認する。手術室のような場所だった。先ほどまでの場所とは違い薄暗くない。部屋の中心でぶら下がる電球が明るすぎるぐらいだ。


 もっと部屋の状況を確認しようと少年が立ち上がろうとする。壁に手をついて、衣装ラックのような物に体重を預けて。しかし、僅かに立ち上がったところで衣装ラックが固定されていなかったこともあり、少年の体重で傾き、倒れた。

 衣装ラックが少年の体を下敷きにして、掛けてあったコートが少年に覆いかぶさった。


「……く、くそ」


 少年が力を振り絞って衣装ラックを体の上から退けようとする。どれだけ押しても僅かに傾くだけ。


「はぁ……はあ……っう退け」


 一度息を整えてからもう一度力を込めて押すと、衣装ラックを退けることが出来た。全力を出し切った少年は肩で息をしながら、しばらく仰向けに倒れたまま天井を見上げる。


 少しすると息も整い、体にも少し力が戻った。

 少年は取り合えず立ち上がるため、体に覆いかぶさっていたコートを退かす。だがその際にコートをよく見ておらず、その形状を把握していなかったため腕をそでに通してしまった。


 その次の瞬間、袖が僅かに動いた。違和感を感じた少年がすぐに袖から腕を外そうとするが、上手くはずれない。単純に疲れて上手く腕が動かせないのも理由にはあるだろうが、それよりも袖と腕が接着してしまったかのように抜こうとしても引き抜くことができない。


「な、なん」


 見えてはいないが覆いかぶさった服が変形しているのを感じる。腹から足の辺りにまで覆いかぶさっていたコートが、まるで虫でも蠢ているかのようにわさわさと移動している。

 

「や、やめ――」


 腹の辺りにあったが、いつの間にか少年の首元にまでコートは移動して来ていた。その時に初めて、少年はコートを見ることが出来た。まるで液体のようにコートが溶けていた。形は保っているが、溶けた液体がコートの上を伝って少年の首もとから顎下まで来る。


「う、やめろ。クソがあっ――あああつうd」


 やがてコートは少年の顔を多いかくす。それだけではない。完全に溶けたコートが少年の体に纏わりついている。


「―――」


 少年はもがくが全く意味が無い。


「…………」


 やがて力が尽きていき、少年は完全に沈黙した。

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