第3話 生存証明

 少年が崖の上で、破壊された街を見下ろしている。一言も発さず、瞼を痙攣させながら立ちすくんでいるだけだ。生物型ANIMAが空を飛び、地を這っている。機械型ANIMAが搭載された機関銃を乱射している。そんな地獄のような光景を前に少年が出来ることは無い。

 ここがどこであるのかすら分かっていないのだ。元いた場所に帰る手段すら分かっていない。そして分かっていたとしても、この街並みを越えて帰るのは不可能に近い。

 目の前の光景が告げるように、少年は絶望的な状況に置かれていた。

 だがそれもいいかもしれない。

 今までは色々と頑張って来たし、これほどの理不尽で死んだのならば悔いも残らない。

 どこか爽やかな気持ちで少年が振り向く。すると見えてきたのはどこまでも続く灰色の荒野と、一体の生物系ANIMAだ。猪のような、しかし正規の進化を遂げたとは思えないほどにありえない見た目をしている。進化の過程の中で、明らかに人為的な手が加えれたような巨大且つ獰猛な見た目だ。思わず身震いしてしまいそうになるほどに、恐怖を感じさせる生物型ANIMAが少年の背後にいた。

 そして少年が振り返ると共に、その生物系ANIMAと目が合った。


「――――っ!」


 その瞬間に少年の体が強張り、固まる。一方で生物系ANIMAは少年を視認したと同時に突進を開始した。砂塵を巻き上げながら口を広げ、大地を震わせながら高速で近づく。

 体が強張った少年は動くことが出来ず。その光景をただ見ることしかできない。 生物系ANIMAが少年の元にまで来るのにそう時間は要さない。恐らく5秒もあれば少年をその巨体で吹き飛ばすことが出来る。だが少年の体感では、その5秒という時間はあまりにも長すぎた。死ぬ瞬間は時間がゆっくりと流れるという。限界まで引き延ばされた集中が目の前の光景をすべて鈍化させる。

 ANIMAが一歩、近づく。その度に脂肪が揺れ、砂塵が巻き上がる。そんな光景がとてもゆっくりと流れる。まるで走馬灯だ。事実、少年がここから生き残る方法はほぼ無いのだから、死は確定していると言ってもいい。

 首を振るたびに飛び散るよだれ。荒い呼吸音。まばたき。普通に生きていれば分からないような小さな変化が、今はとてもよく見える、聞こえる。生物系ANIMAが近づく度に地面が揺れて、体が跳ねる。強張った体は姿勢を崩しそうになる。

 だがもしこのまま体勢を維持したとしても、倒れてしまったとしても、結果は変わらない。生物系ANIMAに吹き飛ばされるか、踏みつぶされるかの違いしかない。死は避けられない。

 あまりにも巨大な死神が、目の前から高速で迫ってきている。

 もともと、死ねるのならば死ぬ予定だ。今までは気力を保ち、毎日を生きていた。しかし謎の現象に巻き込まれたことで糸が切れた。もう頑張る気にはなれない。また進み出そうとは到底思えない。死ねるのならばそれでもいい、きっと痛みを感じる余裕なく死ねるだろう。

 諦観と達観。今までよく頑張ったと、そう自分を褒めてやりたい。少年は引き延ばされた時間の中で思う。気分ではもう、両手を広げて笑って死を待っている感じだ。そんな想像が簡単に出来る。

 生物系ANIMAがすでに目前にまで迫っている。風が巨体によってはち切れる音が聞こえる。

 これで死ねるのだとしたら、それでいいのかもしれない。

 生物系ANIMAの顔が至近距離にまで迫る。自然と息がつまった。脂汗が一気に滲みだす感覚を覚え、悪寒を覚える。瞳孔が極限にまで開き、味覚が消えた。

 死にたいと思っている。


「っ――――ッッっは」


 気が付くと少年は横に飛んでいた。生物系ANIMAが至近距離にまで迫り、コンマ数秒でも遅れれば死んでいたタイミングで、そして生物系ANIMAをぎりぎりにまで引き付けた、ここしかないという絶好のタイミングで。

 少年は勢いよく横に飛んだ。投げ出された体は岩で突起がある地面と擦れあいながら転がる。飛び出た岩の先端が雨合羽を裂いて、服を破いて、皮膚を切って、肉をえぐった。それでも尚、勢いは止まらず少年は崖の上を転がり続ける。その中で何度も体を切り裂き、腕や足、胴体に至るまで。額にも深く傷が残った。

 勢いが収まると少年がにぶい動きで膝から立ち上がる。自問自答を繰り返しながら。


(なんで、死ぬはずじゃ)


 頭をあげる。すると少年の方を見て、もう一度突進をしようとする生物系ANIMAが見えた。

 あれだけ体が強張こわばっていて。あれだけ生きるのを諦めておいて。あれだけ死にたいと思っておいて。避けた。醜い。そこまでして生きたいか。冷静に考えれば分かる。ここは人ひとりいない、ANIMAによって滅ぼされた都市だ。助けは来ない。頑張るだけ無駄だ。どれだけ頑張っても意味が無い。

 毎日、心をすり減らしながら働いた。ゴミを食べた。人に頭を下げた。泥をすすった。

 そんな生活がやっと終われるのだとここに来てやっと諦めがついた。悔いは無く、もはや心地よさすら覚えていた。死を受けて入れていると、生を諦めていると思っていた。

 だが結局は直前で避けた。皮膚が抉れ、多量の血を流し、激痛が走ると分かっていながら横に飛んだのだ。

 そうまでして生きる理由はあるのか。もしこの状況を脱しても、誰もいないのに。


「くそ。クソクソクソ。なんだよこれ! 俺がなにしたってんだよ!」


 死にたいと、疲れたとそう思っている。だが生きたいとどこかで願っている。分からない。体が勝手に動く。避ける、逃げる。走り出す。


「わけわかんねぇよ!」


 気が付くと生物系ANIMAから逃げていた。理由も無く、ただ衝動に従って地を駆けていた。後ろから聞こえる足音は確実に大きくなっている。地面の揺れが強くなっている。

 緊張が最高潮に達する。

 この崖に生物系ANIMAから逃れる場所は一つしかない。後ろ逃げても、横に逃げてもだめだ。前に、前に、崖に向かって、すでに破滅した都市に向かって。


「くそがぁああああああ!」


 少年が崖の端にまで達すると、地面を蹴り飛ばし踏み越えた。

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