第2話 いらないものすべて
深夜、強く雨が降っている。地面を打つ雨が雫となって跳ね返り、足元の水たまりに波紋を立てている。簡易照明の光が反射し、まるで事故現場のような様相だ。実際、現場はそれに近い状態だった。人類の生存圏にある都市の一角が黄色いテープで区切られている。テープの内側には限られた者しか立ち入れない。一時的に電車や車、上空を飛ぶすべての物体が侵入禁止だ。
道路は封鎖され、車両の誘導が行われている。赤白い誘導棒を振って車両を別の道へ案内するのは、小柄な少年だ。雨に濡れないよう雨合羽を羽織り、ビニールが擦れる音を立てながら交通誘導員としての役割を果たしている。少年の顔はフードで隠れているが、この時間、この場所に若い男がいるのは異常だ。普通なら家で寝ているか、家族と食卓を囲んでいるはず。少年がこの時間に仕事をしているのはどう考えてもおかしなことだった。
しかし、それも仕方のないことだ。こんな世界になってしまったのだから。ANIMAが地球上に溢れ出してから、人々の生存圏は狭まり、気象現象は過酷になった。住むことができなくなった都市や国を手放し、人類は今の生存圏を確立した。世界各地から集まり、寄り添い築いた。少年は他の生存圏について知らないし、関心もない。何よりも、自分のことで精一杯だ。親はおらず、親戚も知らない。友人は消えた。
少年からすべてを奪い去った《《元凶》が今、少年の真後ろにある。生物型のANIMAだ。すでに駆除され、今は少年の背後で死体の処理が行われている。鳥のように空を飛ぶANIMAだった。少年の住む生存圏には防衛用の壁が設置してあるため陸上で生活するANIMAが入ってくることは滅多にない。だが空を飛ぶとなると防衛も大変で、限られた資源の中で防空設備に回している余裕はあまり残っていない。
きっと、このANIMAは車両によって回収された
だが少年にとってみればそんな難題はどうでもよいことだ。少年は一日を生きるので精一杯。自分しかいないのだから、自分だけで両手が埋まっているのだから世界の為だとかのために労力を割くことができない。だが元を辿れば親がいなくなったからこんな状況に晒されている。さらに元を辿れば少年の住んでいた租界にANIMAがなだれ込んできたせいだ。またさらに元を辿れば―――。
「…………」
少年が簡易照明の横に置かれたホログラムに目を向ける。ニュースが流れており、防衛隊についてのことだった。
防衛隊。人類の最終兵器だとか、救世主だとか、色々と呼ばれている。防衛隊にいる者のほとんどの者は人体強化手術によって人外の力を持っていたり、強力な武装を装備している者もいる。まさに人類の救世主であり、皆の憧れだ。少年も例外なく、防衛隊に憧れていた。そう、憧れていたのだ。
今は違う。少年は防衛隊に対して嫌いだとか憎いだとかの幼稚な感情を持っている。
当然のことながらANIMAの対処は防衛隊に一任されている。少年の住んでいた租界は突如として発生したANIMAに飲み込まれて無くなった。その際に防衛隊がちゃんとしていれば、みんなを守れたのではないかと考えてしまったばかりに、こんな悪感情が芽生えた。冷静に考えれば当時の防衛隊に対処できるはずも、救助が間に合うはずもないことが分かり切っている。子供ながらに分別のつかない身勝手な感情だ。
そんなことが分かっていながら、どう論理的に考えても悪感情が塗りつぶしてくる。嫌いだと、不平等だと。これだけ冷静に考えて、倫理的に自分の考えがおかしいと分かっている。そんな現実が分かっていながら、感情が否定する。そして感情が否と突きつけるのならきっと少年は防衛隊を嫌い続けるのだろう。少なくとも今は、大人になるにつれて分別がつくかもしれないが、今は無理だ。どう考えても、嫌いだという、憎いという感情がすべてを否定する。
ANIMAで少年の人生は歪んだ。そして守ってくれなかった防衛隊に理不尽な恨みをぶつけた。嘆いたところで現実は変わらない。周りを比べて悲惨だと思ってもどうにもならない。だから今はこうして、現実を見て誘導員をしている。
「……はぁ」
ここが終わったらまた別の仕事がある。朝まで、いや昼まで仕事がある。この年で雇ってくれるところは少ない。正社員になど当然なれない。だからこうしてありつけた仕事に精一杯になるしかない。しかし、周りとの格差を認識しないようにしていても、ふと気がつく。仕事帰りに歩く帰り道で、自分とは逆の方向から綺麗な服を着てアカデミーに通学する少年少女。
「……あ。ふざ……はぁ」
こみ上げる怒り。もう親や友人の顔なんて思い出せないというのに、現状は仕方ないものだと理解しているはずなのに。どうしようもないと、自身に落胆する。そして下げた頭をあげて、簡易照明に付けられた時計に目を移す。あと少しで休憩だ。そう長くはもらえないだろうが、この小休憩が心身を癒してくれる。少年が僅かに表情を和らげて誘導棒を振り上げた―――その瞬間、真横から空気が抜ける音が聞こえた。
「なんだ、これ」
少年が横を見てみると空間を裂いて現れたかのような楕円形の穴があった。奥行は無く、穴が少年に向いている。横幅は1メートルほど縦幅は1.5メートルほど。突如として少年の隣に現れた。
「おいこれ!」
周りの作業員にこの異常を告げようとする。明らかにおかしい。本能がそう訴えかけている。少年が周りの者に異常を伝えようと叫び、そして自身は逃げようとする。だが少年が振り向こうとした瞬間に、その穴がぐにゃりと歪み、機械がオーバーヒートした時のような、甲高い音が響いた。
そしてその直後、少年の視界は
◆
僅かに意識がある。果たして自分は死んでしまったのか、それとも生きているのか。現状、前者の方が可能性が高そうだ。音も聞こえない、何も見えない。体も動かない。こんな状態で生きている方がおかしいだろう。
だがこれが死後の世界なのだろうか。だとしたらあまりにも退屈で空虚だ。もしかしたら地獄にいる可能性もある。思い返してみても特に人に迷惑をかけた覚えは無いが、それでも親や友人を見捨てたのだから当たり前の結果なのかもしれない。
この退屈さは罪。この時間は罰だ。
だが少年の意識がはっきりとしていくと共に、ここが死後の世界ではないと気が付く。
聴覚が捕らえる情報は金属の音と建物が崩れる音。触角が背中を刺す物体を訴えている。味覚は鉄の味を伝えている。嗅覚は灰の匂いと強烈な異臭を感じている。そして瞼を開けてると、曇天の空と、その奥で鳴る雷が見えた。先ほどまで雨が降っていたはず。そう思いながら少年が痛む体を動かして立ち上がる。
すると、崩れ去った建物と燃える住宅。駆動する機械系ANIMA。咆哮する生物系ANIM。見えている光景は今まで見て来た都市の光景とは大きく異なっていた。まるですでに滅びた、かつて人類が活動していた生存圏に転移したかのような、そんな光景が見えた。
恐らく、ここは少年が元いた場所ではない。崖の上になどいなかった。そして周りにこんな建物は一つも無かった。
ただ、この光景に見覚えが無くとも少年の思い出の中には似たような景色があった。
「…………あの時の」
少年の頭の中でフラッシュバックする。自分が住んでいた租界がANIMAによって破壊されて、蹂躙される様子が。そしてその後に残った燃え盛る建物、崩れたビル。ここは少年がいた租界ではない。だが同じような運命を辿った場所だ。
「はは……うそだろ…なんだよこれ」
少年はただ歪に口の端を釣り上げて、苦笑することしかできなかった。
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