閑話休題 JOUR
執務室ではクロエは熟れたように政務をこなしている。積み上げられた書類はみるみる内にその数を減らしていった。
少なくなった束を見て、そろそろ一息つこうかと思った時だ。
「奥様。お届け物でございます」
執事が手紙と小さな木箱を両手に大切そうに抱えてきた。
見なくても中身が何なのか察する。
手を止めて木箱を受け取ると、慎重に木の蓋を外す。すると中にはぎっしりと木屑が敷き詰められている。
中の木屑を優しく払っていくと500mlくらいであろう小さく硝子でできたボトルが姿を現す。
「また。この時期が来たのですね」
クロエは嬉しそうに木箱からボトルを取り出した。そしてボトルをテーブルの上に静かに置くと、手紙の封を切る。
『今年もとても良いものが出来ました。是非今年の「JOUR」をお楽しみください』と書かれている。
このJOUR。これは皇室への献上品であり、流通する数も少なく、人気が高いため中々お目にかかれないスパークリングワインだ。
一言でそれを現すのであるなら高級シャンパンが1番妥当だろう。
これが届いたとなれば直ぐにでも飲むのがクロエの拘りだ。仕事をして後回しにするほうが無礼というものだろう。
クロエは仕事を放り出すとボトルを持って風通しの良い中庭のテラスへと向かう。途中、侍女にジュドーを呼んでくるように伝える。
テラスに着くとコルクを開けて注ぎ口から香りを愉しみ、グラスに注ぐ。
グラスを掲げて色を愉しみ、もう一度香りを愉しんでからテイスティング。
「また、素敵な物を拵えましたわね」
クロエはグラスに残るワインを眺め、このワインを造った人の事を思い出す。
彼の名はシャンクス。背が低く醜男なゴブリン族だ。
彼の家は代々葡萄農園を営んでいて、ワインの醸造家でもある。彼は日々、葡萄と語り合いながら美味しいワインを作るために研究を積み重ねてきた。ある日、いつものように葡萄の手入れをきていると1人の少女が一面に広がる葡萄畑を眺めてるのを見かけた。
作業をしていた手が止まり、彼女に見入った。
少女から大人の女性へと変わりかけている、妖艶さと幼さが混ざり合った容姿。
太陽の光を浴びて艶のある黒い髪をそよ風に遊ばせながら髪をかき上げる仕草。
それはまるで女神を描いた絵画のようにも思えた。
ふと、彼女の視線が彼と交差し、少女は微笑むと礼をしてその場から離れていく。
時が止まった気がした。
夜、夕食を囲む父親に尋ねてみる。今日来ていた人は誰なのかと。
父親は答えた。ノワール公爵家の人で少女の名はクロエ・ノワールだと。
彼女は昔、経営が傾いた時に引き続き醸造が出来るように支援をしてくれた大貴族の娘だった。
なんでも高等学校に入学する前にここへ立ち寄ったのだと。より詳しく話を聞くと、なんでも皇太子殿下の婚約者にあらせられると。こんな平民の自分がその御姿を拝見できるだけでも運が良いのだろう。だが、そのことを聞いた時、心が軋む音がした。
こんな自分が彼女に想いを、一目惚れしてしまったなどと不敬にもほどがあるだろう。
相手は大貴族の娘で次期皇后となられる御方。
それに比べ自分は平民の醜男。しかも年齢だって一回りは違う。話し相手にすらなれない。
それでもこの気持を抑える事は出来なかった。
もう一度会いたい。
会ってお声をかけていただきたい。
シャンクスは将来彼女が皇后になられた頃に、一流の職人としてお目にかかれる日が来るようにと仕事に打ち込んだ。
数年後。彼女が結婚することが知らされた。
相手は成り上がった子爵の嫡男らしい。
なんと残酷なことなのだろうか?
醸造家として皇居にてもう一度お会いするという願いは潰えてしまった。
自分のやったことは無駄なのかと思った。
それでも、もう一度会いたいという気持ちだけは潰えることがなかった。
その想いを仕事にぶつけた。来る日も来る日もワインと向き合い、至高の一杯のために心血を注いだ。
あれから数年の年月の後、シャンクスはヴォーダン領へと向かった。
ヴォーダン領主の屋敷に着くと、シャンクスは執事と話をする。
「以前、クロエ様のお父上に支援していただきました醸造をやっておりますシャンクスと言います。クロエ様に是非お試しいただきたい一品が出来ましたので、品をお届けにあがりました。直接お渡ししたいと思うのですが…」
普通なら品だけ渡すよう言われて断られるものか、受け取り自体拒否をされるだろう。
しかし、クロエの父親が懇意にしているからと言えども、ハイそうですかと言えるわけではない。受け取り拒否はされなかったが、当然直接渡すのは断られた。
食い下がりながらも一目会うことすら叶わないのか。そう思った矢先だ。
「お客様かしら?」
それは偶然だった。クロエがたまたま屋敷の奥からその姿を現したのだった。
すっかり大人の、愛する人がいる女性へと成長したクロエの姿はとても綺麗だった。
それと同じくらい心が痛んだ。
侍女から話を聞くとクロエはシャンクスの前へと歩みを進めた。
「貴方は…あの葡萄農園の息子さんの?」
「…覚えていらっしゃってくださったのですか…」
「ええ、わが子を慈しむように葡萄と接する姿を見かけたのをよく覚えてますわ」
自分のことを覚えていてくれた。これだけで天にも昇るような気持ちだった。
思わず口が滑った。
「あ、あの!こちら私が丹精込めて作った新作です!よろしければこの新作をご一緒させていただく名誉をいただけないでしょうか!」
しまった〜〜〜!!!
思わず口走ってしまった。身分を弁えない余りにも不敬な要求。侍女達の視線が冷たい。
クロエは少しだけ驚いた表情を浮かべた後、クスリと笑った。
「そんなことが貴方の名誉となるなら、構いませんことよ」
「クロエ様!?それは!」
「良いじゃないですか。これは作った職人に対する敬意なのですから。屋敷の中でいただくのも味気無いので、中庭に出ましょうか」
クロエは中庭のテラスまでシャンクスを案内するとボトルの封を開ける。
注ぎ口に鼻を近付けて香りを確かめる。
「葡萄畑を思い出すような素敵な香りですわね」
そして持ってきたグラスに注ぐと、シャンクスと乾杯。
一口テイスティングするように飲む。
始めは炭酸の刺激が口の中を刺し、そして鼻の奥から香る芳醇な葡萄の香り。
酒精は少々強いようだが、それを感じさせない飲みやすい爽やかな味と爽快感。
「これは…良い物ですね」
ため息をつくように感想が溢れた。
ただそれだけ。
ただそれだけの感想でシャンクスは胸がいっぱいになった。
全てが報われたような気がした。
シャンクスはワインには一口も口をつけないままグラスを置く。
「あら?飲まれないのです?」
シャンクスは首を縦に振る。
「貴女様のご感想をこの耳で直接聞き、胸がいっぱいで飲めません」
「あら、随分と大袈裟ね」
クロエはもう一口飲む。
「本当に美味しい…このワイン、なんて名前なのかしら?」
シャンクスは答えられない。名前なんて考えてもいなかった。
「まだ、決めておりません。なので、貴女様から御名前を頂戴したく存じます」
クロエは少しだけ考え。
「ジュール…というのは如何かしら?これを飲んだ時に…あの時見た葡萄畑が目に浮かびましたの。燦々と輝く太陽の下で光る葡萄畑の豊かな葡萄の実が」
「……素敵な御名前。頂戴させていただきます」
こうして一生のうちに一度は飲みたいと言われるスパークリングワイン『JOUR』が産まれた。
シャンクスの名前が歴史に刻まれることはない。しかし、この『JOUR』は残った。
『JOUR』は時代が進み、原料の葡萄の質も比べられないほど向上し、製法が効率化され品質が安定した世が来ても、当時と変わらぬ製法のまま造られ世界中の人々を魅了し続けている。
『JOUR』が平民の男が貴族の令嬢に抱いた淡い恋心から産まれたものだということはシャンクスが墓場まで持っていった。
その後『JOUR』のラベルに描かれている絵は葡萄畑で作業をするゴブリンとそれを見る少女の絵が採用され世界中に認知されることとなる。
これが偶然なのか否か、それは誰にもわからない。
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いつも読んでいただき、ありがとうございます。
あぐおです。
スーパーでクリスマス商材の売れ残りと思いますが、子供シャンパンをラッパ飲みしながら思いついた即興の話です。
テーマは大人の恋愛でしょうか?
考え方は色々ありますが、報われる報われないは兎も角、相手の幸せを願い行動することが大人なのではないかなとあぐおは思います。
ちなみに時系列は前に話より少し後の話になります。
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