第9話

 定時帰りの会社員サラリーマンなんてものを僕はよく知りもしないのに、その印象がぱっと出て来たのだ。

 それは一仕事を終えた余裕のような雰囲気をかもし出してゲーム内に戻ってきたもう一人のハルくんを見た瞬間ポップアップ広告のようにイメージが浮かんできた。とてもぴったりな表現だと思った僕は正しい。間違いではないはず。

 開口一番に「え? まだやってるの? こんな時間までゲーム継続って、どんだけバトルジャンキーなんだよ? それなら僕もこっちの方が良かったわ」って、こっちはまるで帰ることが出来ずに会社に泊まり込みで、納期に追われながら徹夜明けしても終わらない仕事に、歓喜と興奮を隠せない哀れな社会人みたいじゃないか。

 

「え? もうそんな時間?」

「六時台に終わらせる予定だったのに」


 とゲーム内に残った二人のハルくんも予想外だったようで、というのも、現世では8時25分、ゲーム開始から約二時間が経過している。ここで五年修行したとしても、現世では一分ほどしか経過しないように時間調節をしていたようだ。そうなると約六百年くらい、ひたすら訓練に費やしていた計算になる。

 本当に恐ろしくなるわ。強くなっていく自分に酔いながら、駆け抜けたこの時間が六世紀分あるなんて。軽い休憩はしていたものの、睡眠欲や食欲が停止ストップをかけることもなく永遠に続く気配さえあったのだから。


「計算出来ない。僕まだ小学校に入ったばかりだから」


 嘘つけ。肉体は幼くても中身は大人みたいなもんだろうが。このくらいの計算できないのに空間ベクトルとか使いこなせないよね?


「嫌だ。終わりたくない。まだ私、一度も勝ててないし」


 終了することに不満を持つ女子中学生が一人ここにいた。ゲーム内は時間の流れがとても曖昧に感じるけど、実際明確な年数を知ってしまった今は頑張った達成感を褒めてやりたいと僕は思う。そんな僕とは違って妹のストイックさに、尊敬を通り越して異常な執念に恐怖しそうだ。


「大丈夫、刀はあげるよ。七海ちゃん専用に仕上げといてあげるから学校に行きなよ」


「本当? じゃあ行く」


 妹は簡単に意思変更。キャラも変わってきている気がするけど、本来の彼女の姿がこれなのだろうな、きっと。

 僕も行くつもりではあるけど君らはどうするのだろうかと視線を向けると、内容を感づいたようで、でも衝撃発言が飛び出してきた。


「僕は本体ではないから、精神をサーバーに戻すだけかな。向こうではちゃんとするんじゃない? 一応優等生演じてるし」


「本体じゃない……って、待て待て待て。一体どういうこと? どんだけ強いの?」


「あのときは異世界で神格を得る必要があったから、やるだけのことを全力でやったら強くなり過ぎちゃって。

 一応地球に戻ってから神格分を封印して、動画用のサーバー作って精神を振り分けて色々したから、全盛期の一万分の一くらいかな」


 異世界とか神格とか、よく分からないパワーワードが噴出してきたけど、いちまんぶんのいち?

 そっちの方が今は重要で――、


「で、今日は本気出せたの?」


「いちぱーくらい」


 マイクロの世界かよ。じゃあ僕はナノとかピコですか? 可愛い感じがするけど全く嬉しくないな。


「ごめん七海ちゃん、先に戻すからお着替えと学校の荷物よろしく。僕は玄関の前で待っとくよ」


「送ってくれるの?」

「瞬間移動でね」

「やったー」

 

 七海を担当してくれたハルくんは、優しいことに学校まで瞬間移動で送ってあげるようで、僕を担当してくれたハルくんと残ったハルくんは何してくれるのだろう?


「僕と遊び疲れによる体調不良で学級閉鎖になっている」


 一体全体何してくれてるのさ。


空鵺くうやくんをいじめたお仕置きを兼ねて、数回死ぬ体験と視力を上げただけだよ。空鵺くうやくんたちと比べたら初級も初級、おままごとだよ」


 それ言われたら何も言えなくなる。小学生低学年、見た目はおこちゃまに、おままごと扱いされたら僕だったら耐えられんな。視力を上げるのがよく分からないけど、ベーシック手術でもしたのかな。

 あれ? さっきまで俺口調だったよね。


「あ~、よく言われる。戦闘になると気持ちが高ぶっちゃってそうなるみたい。無意識なんだけどね」


 さよですか。


「七海ちゃんも帰らせたから本題にいこうか。一応大事な話だからよく聞いてほしい」


 真面目モードみたいなので、思わず身を正す。


「マナを漢字で書くと真なる名で真名まなであり、肉体の名前とは別で、魂の名前になる。

 魂とは曖昧なもので八百万やおよろずの神とはよく言ったもので、天候、地理、風景などの自然現象にも神という神秘的な力が宿っている。 

 つまり自然現象にも神秘的なマナは宿るし、草木や虫などの自然界にもマナは宿っているのだけれど、この世界のマナの存在のほとんどが死者の霊で占められている」


 詳しいことは僕もよく分かってはいないのだけれど、肉体は土に還るけど、魂は空に還るとのことらしい。それは植物、動物、人間、土地や自然現象も同じ。実体のあるものを肉体と位置付けている。空気に含まれる酸素や窒素などを肉体。実体のない神秘的なものをマナと呼ぶみたいだ。ああ、難しい……。


「今から数億年前に世界を飲み込んだ大洪水で生物はほぼ全てが全滅した。

 時間をかけてマザーが浄化しているものの大半は海に流れただけ。

 雨などでまた地上に戻って来る」


 何故この世界のことに詳しいのかは、空術士だからで済まされた。環境感知で歴史まで知ることが出来るっておかしいくらい有能だね。情報の取捨選択は大変そうだけど。


「ここからが本題」


「マナは霊であり寂しがり屋の一面を持っている。だから視える人に近付こうとするんだ。木々や草などの自然由来のマナは問題無いのだけれど、厄介なのは人間でね。無念が強すぎてほぼ悪霊化しているんだ。魔物化する精霊種がこいつらと考えても支障はない」


 本来は星に備わっている循環機能があるのらしいが、それが過重労働オーバーワークであんまり機能していないらしい。人間だけでも何十億なのに自然界を含めると天文学的数字になるから、破裂パンクして壊れるのも無理はない。僕もマナ過敏症時はそんな感じだったし。

 

「つまり空鵺くうやくん、君は悪意に取り憑かれやすい。あいちゃんからマナ視感スキルを返してもらったら今までと同じ現象が起こる。

 その為に君を強制的に強くしなければならなかったというわけさ」


 なるほど。僕はいわゆる霊感体質だったようだ。家族以外の生きている人間でさえ化け物に視えていたのだから、世界が恐ろしく怖いものと感じても間違いではなかったのだ。


「生きている人間や精霊種よりも死んでしまったマナ死者の霊の方が圧倒的に多い。なにせ数億年分溜まっているから。 除霊しろなんて言わないけど、特に海は気を付けて。海水には大量のマナが溶け込んでいるようだから」


「うん、ありがとう」


「伝えたいこともやりたいことも終えたし、最後に刀に所有者を刻んだら僕達はサーバーに帰るよ」


 そこから先は淡々としていた。「はい」と刀を二本渡されるとハルくんは既に消えていた。僕はというと自室の肉体に戻っていた。

 細身だけど引き締まった筋肉が増していて、明らかに強くなっていると分る。まあ、ただパンツ一枚なので制服に着替えようとすると――、


 全部僕に集まった感覚があった。

 それは分けていた精神が再び一つになったのだと。


――だけど、あいちゃんの様子がおかしい。まるで透けて消えていく寸前のように。


 声が聞こえない。

 何を言っているの?

 ねえ?

 待ってよ?

 お願いだから、おいていかないで……。


貴方わんちゃんに会えて良かった。格好いい侍になってね」


 最期に振り絞ってくれたのか、微かに聞こえる声が僕の耳に何度も繰り返し流れている。それはあいちゃんが完全に消えた今でもずっと。

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