1・ゆっちゃんと呼ばないで
「ゆっちゃん、フォトレッスン用のテキストを机に並べておいてくれる?」
「はーい……って、
従兄の悠翔くんは、私、
「俺にとってゆっちゃんは、ずーっと子どものゆっちゃんのままだから」
爽やかな笑みを浮かべて一眼レフカメラを大切そうに磨く姿は、相変わらずかっこいい。だから、私はそれ以上何も言えなくなっちゃうんだ。
悠翔くんは、私の初恋の人だしね。
私は今日、悠翔くんが経営している写真館「
フォトレッスン用に悠翔くんが作ったテキストを、参加者分机に並べる。写真館はあまり広くないから、参加者はたったの四名だけ。大人気なのにレッスンは月に一回あるかないかで、まったく予約が取れないみたい。
というのも、悠翔くんは一眼レフカメラの使い方やカメラの楽しさを伝える動画を作っていて、それがチャンネル登録者二十万人を超える有名なクリエイターでもあるから。写真館の仕事・Youtubeの仕事・カメラメーカーとの仕事・そしてレッスンと、すごく多忙!
顔もかっこよくて、話もわかりやすくて面白くて、そりゃ人気が出るよね!
自慢のイトコなんだ。
まあ、私のことは完全に子ども扱いなのは悲しいけど……。
「悠翔くん、ほかに手伝えることある?」
「大丈夫、ありがとう助かったよ」
写真撮影の時に使う鉢植えの花を設置しつつ、悠翔くんは私に笑顔を向けてくれた。
その「ありがとう」で、私はがんばれる!
でも……心配な面もあるんだ。
悠翔くん、土曜日である今日は午前十一時から一時間のレッスンをして、午後はカメラメーカー主催の新製品発表会の生配信にゲストで参加するんだって。寝る間も惜しんでお仕事している人を見ると、尊敬するとともにちょっと休んでもいいんじゃないかなって。
だから、私がお手伝いできることはなんでもしたい!
でも、中学に入ってから「幸穂ちゃん、写真じょうずじゃないよね」って言われるようになってしまって、最近すっかりカメラを触ってないんだけどね……。
さまざまなカメラに囲まれた写真館。家にも一眼レフカメラがあるけど、ケースにしまったままで触れていない……。
「こんにちは~」
写真館の入り口のドアが開けられ、ドアにつけられたベルがカランコロンと音を立てた。
振り返ると、私と同世代の男の子がこちらを覗き込んでいる。
「フォトレッスンを予約した
「大丈夫です! どうぞ」
悠翔くんは、男の子を招き入れる。
里吉くん……もしかして、同じ中学の人かも。クラスは違うけど、見かけたことがあるような。
「他の参加者が集まるまで、少し待っててくださいね」
「はい」
里吉くんが指定された椅子につくと、お店の電話が鳴った。
「あ、ごめん電話だ。ゆっちゃん、ちょっとお願いね」
「はーい」
「もしもし、光悠堂です。あー、お世話になっております」
悠翔くんが、よそ行きの声を出して難しい話をし始めた。すぐには終わらなそう。
私と里吉くん、二人きりになっちゃった。どちらも、しゃべらない。
沈黙が、きついかも……。
私はスタジオの隅に立って、特にやることもなく手持ち無沙汰。気まずい。
こういう時に、明るく雑談できる子だったらよかったのにな。
ちらっと里吉くんを見る。すると里吉くんも、私をちらっと見た。
「あっ……」
反射的に、お互い勢いよく顔をそらした。
もしかして、里吉くんも人見知り?
そう思うと、ちょっと安心できる。
「あの……ゆっちゃんさん」
少し気持ちが楽になったのも束の間、里吉くんは私のあだ名を口にした。
「ゆっ……!?」
私をゆっちゃんと呼ぶのは、家族と親戚だけ。友だちは「幸穂ちゃん」か「ゆーちゃん」と呼ぶから。はじめて同世代の男の子に呼ばれてびっくり!
「あ、ごめん。悠翔さんにそう呼ばれていたから……」
里吉くんは、慌てて手を左右に振った。
「別に、怒ってないよ! びっくりしただけ!」
私も、慌てて手を左右に振る。
同じようにアワアワしている姿を見て、私たちは同時にぷっと吹き出してしまった。
「私、上村幸穂っていいます。中学一年生」
「僕は里吉真宙……って、さっき聞いたよね。同じく中一です」
「学校、同じだよね?」
勇気を出して聞いてみた。すると、里吉くんも表情をぱっと輝かせる。
「やっぱり、そうだよね! 見かけたことあるなって思った」
里吉くんが、私を認識してくれていたことが、ちょっと嬉しい。
学校だと、私って影が薄いほうだから……。
「えっと、上村さんは……」
里吉くんが、苗字であらためて私を呼んだんだけど……。
「なにー?」
電話口を押えて、悠翔くんが返事をしてしまった。
「なんでもないです!」
私たちはまた、慌てて手を左右に振った。
イトコ同士だから、私と悠翔くんは苗字が同じなんだよね。
里吉くんは顔を見合わせて、またくすっと笑う。
「ゆっちゃんさんは恥ずかしいから、幸穂さんで」
「じゃあ、幸穂さん。幸穂さんは、悠翔さんの……妹さん?」
苗字が同じだから、そうなるよね。
「イトコなの。昔から、悠翔くんのお手伝いをしているんだ」
「じゃあ、カメラも好きなの?」
瞳を輝かせて、私を覗き込んできた。
人見知り同士だから、初めてしっかり目が合った……かも。
吸い込まれそうな、深い黒い瞳。でも光をしっかり取り込んでいて、きらきら輝いている
長めの前髪と伏せがちなまぶたで隠されるけど、とってもきれい。
なんだか、ドキドキする……。
「えっと……少しは撮るけど、詳しくはないよ。悠翔くんのお手伝いをしているうちに少しずつ覚えたって感じで」
上手く言えなくて、口ごもってしまう。
カメラは好きだけど、じょうずに撮れないって知られたくなくて、ちょっとうそをついてしまった。
ほんとうは、けっこう詳しい。毎日悠翔くんの動画を見て、カメラレッスンのお手伝いをしているわけだから。でも、下手なんだよね。あんなに勉強したのに、じょうずになれない。
「そっか」
ちょっと残念そうな表情になる。
これじゃあ、ここで話が終わっちゃう!
がんばれ私!
「あ、でも! そろそろ本格的に始めようかなって思ってるんだ!」
咄嗟に、私は予定にないことを言ってしまった!
里吉くんは、私の言葉を聞いて嬉しそうにほほ笑んでくれる。
カメラが好きなんだなって、そのほほ笑みで理解できちゃうくらいの、やさしい笑顔。
「嬉しいな。カメラは楽しいよね。今度、写真見せてね!」
「うん! 里吉くんの写真も見せてね!」
よかった、里吉くんと、これからも話せるって思うだけでなぜだか幸せな気持ちになった。
悠翔くんの電話も終わり、ほかの生徒さんも集まってきた。
里吉くんと二人で話せなくなったのは寂しいけど、少しほっとした。ずっと緊張しちゃってたみたいで、少し体が軽くなる。
フォトレッスンが始まると、私には特にやることがなくなる。だから、はじっこに座っていっしょにレッスンを受けることが多いんだ。
私の一眼レフカメラは、悠翔くんが中学生のときに使っていたものをおさがりでもらったんだ。初心者でも使いやすいタイプ。
ボルドーカラーの可愛いカメラストラップは自分で買ってつけているよ。
とはいえ、最近は光悠堂にくるときですら持ち歩かなくなっちゃったけどね。
レッスンをはじめた悠翔くんは、初心者の人でも撮れるプロっぽい撮影テクニックについて説明している。
何度も聞いた話ではあるんだけど、いざ自分事となると超熱心に聞いちゃう。
里吉くんにほめられる写真を撮りたいから。やっぱり、目的があるとがんばれるよね!
「写真を撮るときは、主題と副題を意識しましょう。たとえば、きれいなお花畑を主題として撮りたい場合、副題となる背景に駐車場やマンションが映りこむよりも、青空や雄大な山、可愛い風車小屋なんかが映っていた方がいいですよね」
悠翔くんのレッスンに、私はうんうんとうなずく。何度も聞いている内容なんだけど、おしゃべりがじょうずだから聞き入っちゃう。
「カメラを構える前に、主題と副題の関係をしっかり意識しましょう。すぐにカメラを構えるのではなく、被写体探しに時間を使ってくださいね」
きれいな写真を撮るには、まず事前の準備が大切なの。奥深いんだよね。
「そして、カメラの設定も重要です。テキストを見てください」
悠翔くんは、一眼レフカメラの設定についての解説を始める。一眼レフカメラは細かく設定を決められるから、自分なりの個性を出しやすいんだよ。
私は、里吉くんの後ろ姿を見る。
猫背になるほど、一生懸命テキストを見たりカメラの設定をいじったりしている。
本当に、カメラが好きなんだな……。
いつもは悠翔くんばかり見ているレッスンだけど、今日は丸まった背中ばかりを何度も見てしまった。
その後も、悠翔くんはすぐに実践できるカメラテクニックを話していく。あっという間に一時間のレッスンが終わった。
私は参加してくれた生徒さんたちに、チラシを配る。
内容は、次回レッスンのフォトウォークについて。フォトウォークとはつまり、屋外で写真撮影をしよう! ってこと。悠翔くんのフォトレッスンは、光悠堂での座学とフォトウォークでの実践の計二回で行われるんだよ。
「次のレッスンでは、フォトウォークを行います。ちょうどコスモスの開花時期なので、河川敷公園のコスモス畑で実践してみましょう」
悠翔くんはにっこり笑顔で告知。そっか、もうコスモスが咲く時期なんだ。この間中学に入学したと思ったのに。時の流れって早い!
「それではみなさん、お疲れさまでした」
悠翔くんの声で、レッスンは終わり。生徒さんたちは「ありがとうございました」「次回もお願いします」と声をかけあいつつ、それぞれ帰り支度をはじめる。里吉くんもカメラを大切そうにバッグにしまいながら、ちらりと私を見た。
えっ、なんだろう……。
「幸穂さんも、フォトウォークに来る?」
どこか心細そうに、里吉くんは私にたずねた。
「あ、うん。お手伝いに行くよ」
「よかった。いっしょに、写真撮ろうね」
やわらかいほほ笑みで言うと、里吉くんは悠翔くんにぺこりとおじぎして光悠堂を出た。
いっしょに、だって。
その言葉に、心が、ほわほわあったかくなる。
里吉くんと写真を撮ったら、すごく楽しいだろうな。誘ってくれてうれしい!
浮き足立つ気持ちのまま、私はお片付けを率先してやった。
「ゆっちゃん、帰り送っていくから待ってて」
「いいよ、ひとりで帰れるよ」
悠翔くんの申し出はうれしいけど、家は近い。
「このまま車で出かけるから、そのついでに。着替えてくるから、ちょっと待ってて」
悠翔くんは、レッスンに使っていたスタジオの奥の事務所に消えていった。そっか、午後はカメラメーカーの新製品発表会だっけ。
片づけをしつつ待っていると、悠翔くんが戻ってきた。
スーツ姿!
いつもは動きやすいカッコにカメラベスト(カメラやレンズがたくさん入るベストがあるんだ)ばかりだから、黒いスーツは珍しいし……かっこいい。大人の色気を感じるなぁ。
悠翔くんの車の助手席に乗って、家まで送ってもらう。車の助手席に座るときはいつもドキドキしていたけど、今日はずっと里吉くんのことを考えてしまう。スーツ姿の悠翔くんがいるというのに。
「あーあ、とうとうゆっちゃんに彼氏かぁ」
車が信号待ちで止まったとき、悠翔くんがわざとらしく大きな声を出した。
その言葉に、浮かれていた気持ちがひゅっとしぼむ。
「彼氏って! 里吉くんとは、今日はじめて会ったばっかりなんだけど」
「でも、学校も学年も同じなんでしょ?」
「電話しながら聞いてたの?」
悠翔くんは、へへっと笑う。
「ゆっちゃんが大人になるの、おじさんはうれしいよ」
お父さんみたいな言い方。男の子とちょっと仲良く話したくらいで、すぐ付き合ってるとかそういう見方をされるのは気分がよくないんだけど!
昔は、助手席から見る悠翔くんのこと、カメラを構えているときとおなじくらい好きだった。
今は……どうだろう。急に、助手席からの景色が色あせて見えた。
「おじさん、って。悠翔くんはまだ二十四歳じゃない」
「ゆっちゃんからしたらおじさんだよ」
悠翔くんは、ときどきわざと私の気持ちを離れさせようとすることばかり言う。
もしかしたら、子どもの私が悠翔くんを好きでいることが迷惑だったのかもしれない……。
だから、私が里吉くんのことを好きになってくれたら、悠翔くんはうれしいんだろうな。
別に、悠翔くんをあきらめるために里吉くんと仲良くなろうなんて思ってないよ。
思ってないけど……ふんわり拒絶されてしまったことが、かなしい。
恋愛って、すっごく難しいんだな。
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