もう少しこのままで

「お兄、この後は流れるプールに行きたいな」


昼食後、休憩をしている最中に夏樹が僕にお願いをしてきた。


「夏樹ちゃん、流れるプールって何?」


「ほら、あそこの大きいプールの事だよ」


美春ちゃんの問いに、夏樹は流れるプールを指差して答えた。


「わぁ、大きい! 優君、私も行きたい!」


僕としても入らせてあげたいところだが、美春ちゃんの年齢で流れるプールは大丈夫なのだろうか。

中川さんに確認をしておいた方が良いだろう。

そう思った僕は中川さんの方を見た。

しかし、中川さんの顔を見ると、先程の事が思い出されて恥ずかしくなり、結局直視する事が出来ずに少し視線を外した。


「な、中川さん、その、美春ちゃんって流れるプールに入っても平気なのかな?」


「え、えっと、浮き輪を使えば、溺れる心配も無いから大丈夫だと思うわ」


互いに先程の事を意識してしまい、ギクシャクとしたやり取りになってしまった。

美春ちゃんは、そんな僕と中川さんを不思議そうな顔で見ていたのだった。


僕達は、まず美春ちゃんの浮き輪を借りる為に、浮き輪の貸し出しを行っているコーナーに足を運んだ。


「あ! あの猫さんのが良い!」


「じゃあ、私は犬の浮き輪にしよう!」


数ある浮き輪の中から美春ちゃんは猫、「私も浮き輪を借りたい」と、言った夏樹は犬のイラストがプリントされた浮き輪を選び、スタッフの方にそれぞれ膨らませて貰った。


これで準備が整った僕達は待ちに待った流れるプールに入った。


「わー、浮き輪が動いてるー!」


「勝手に流れるから楽ちんだ!」


浮き輪に乗った美春ちゃんと夏樹は楽しそうに声を上げながらゆっくりと流されて行く。

僕は夏樹に、中川さんは美春ちゃんにそれぞれ付いて、美春ちゃんと夏樹が乗った浮き輪が他の人にぶつかる事が無いように、コントロールをしていた。


そのまま四人でプカプカと流されながら、流れるプールを一周した時だった。


「もう一周!」


美春ちゃんのその一言で、流れるプールの二周目に突入した時だった。


美春ちゃんの浮き輪をコントロールしていた中川さんの後ろにシャチの形をした浮き輪に乗っている子どもがいた。


初めに僕が見た時にはまだ距離が空いていたのだが、そのシャチの形をした浮き輪はどんどん中川さんに近付いてきた。


このままでは中川さんにぶつかってしまう、と思った僕は中川さんに声を掛けようとしたが、その時には既に遅かった。


「きゃ!」


シャチの形をした浮き輪とぶつかった瞬間、中川さんは声を上げて、前に押し出された。

僕は慌てて手を伸ばすと中川さんを受け止めた。


中川さんの肌は、僕と比べ物にならないくらい柔らかくて、温かさを感じた。


「中川さん、大丈夫? 怪我はない?」


僕が聞くと、中川さんは頬を赤く染めながら、「ええ、少しぶつかっただけだから大丈夫よ。ありがとう、新島君」と、呟いた。


本来だったら、中川さんに、「大丈夫」だと、言われたら、中川さんから離れるのが自然の流れだろう。

しかし、僕は不思議と、まだ中川さんの肌の感触や温かい体温を感じていたいと思った。


幸い、中川さんは顔を赤く染めてはいるが、嫌がる素振りを見せていない。

それならもう少しこのままいても良いだろうか、と僕が思った瞬間だった。


「お兄、遅いよ〜!」


「お姉ちゃん、優君、早く、早く!」


「うわっ」


美春ちゃんと夏樹の声に僕は驚いて中川さんから慌てて離れた。

声のした方を見ると、美春ちゃん達と大分距離が空いてしまっていた。

僕は慌てて中川さんの方を見て、「ごめん、ぼーっとしてた。急いで追い掛けよう」と、僕は声を掛けた。


「……もう少し、このままで良かったのに」


「えっ?」


僕は中川さんの言葉に驚き、思わず聞き返していた。


そんな僕の様子を見て、中川さんは慌てて首を横に振って、「な、何でもないわ。早く追い掛けましょう」と、言うと、泳いで先に行ってしまった。


僕も慌てて美春ちゃん達の元へ向かって泳ぎながら、先程の中川さんの言葉を思い出していた。

もしかしたら中川さんも僕と同じ気持ちだったのかもしれない、そう思って、僕は嬉しい気持ちになるのだった。


その後、僕と中川さんはなんとか美春ちゃんと夏樹に追い付いて合流をする事が出来た。


そこから再び遊び続けて、気が付けば夕方になっていた。

一日中遊び続けた美春ちゃんと夏樹は流石に疲れた様子で、着替えを済ませて合流した時には、とても眠そうだった。


結局、美春ちゃんと夏樹は電車に揺られながら眠ってしまった。

中川さんは美春ちゃん、僕は夏樹をそれぞれ背負うと、電車から降りて、家までの道を歩いていた。


もう少しで中川さんの家に着くといった所で、中川さんは口を開いた。


「今日は楽しかったわ。ありがとう、新島君」


「こちらこそ、楽しかったよ。ありがとう、中川さん」


このまま別れて良いのだろうか、と僕はふと思った。

長い夏休みに中川さんと会う予定は今日のプールだけで、この後中川さんと会う予定は無い。

そう思うと、寂しく感じて、中川さんとまた会いたい、と僕は思った。


「……あの、中川さん」


「新島君、どうしたの?」


僕の言葉に中川さんは振り返った。


「その、良かったら、夏休み中にまたお出掛けとか出来たら良いなって思っているんだけど……」


我ながら、格好悪い誘い方だな、と思ったが、中川さんは笑みを見せると、「私もまた、新島君とお出掛けしたいと思っていたわ。 ……だから、誘ってくれて嬉しい。また、後で連絡するから、その時に相談しましょう」と、言ってくれた。


僕は中川さんの、「お出掛けしたい」という、言葉を聞いて、とても嬉しい気持ちになるのだった。









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