コンプライアンス

次の日、僕が登校すると、中川さんが声を掛けてきた。


「新島君、おはよう」


「中川さん、おはよう」


学校の中で話す機会はあまり無かったので、僕は少し緊張をしながらも落ち着いて挨拶を返せるよう努めた。


「改めて、昨日はありがとう。美春はああなってしまうと私にはどうにも出来ないから本当に助かったわ」


中川さんは、ペコリと頭を下げながらそう言った。


「美春ちゃんって何歳なの?」


「今年の六月で三歳になるの」


「それなら今が大変な時期かもね。うちの妹は駄々をこねる時は何処でも寝転がって徹底抗戦の構えになるから、美春ちゃんはよく話を聞いてくれてたと思うよ?」


僕の言葉を聞いた中川さんは微笑むと口を開いた。


「新島君の聞き方が上手だからよ。私も新島君の真似をしてみたら、しっかり約束して話を聞いてくれたの」


中川さんの嬉しそうな顔を見て、役に立てて良かったっと、僕は嬉しく思った。


「力になれて良かったよ」


「ただね、少し困った事になって……」


そう言った中川さんの顔は少し困っている。


「どうしたの?」


「美春が新島君と遊びたいって、四六時中言っているの。一晩経ったら忘れるかと思ったけれど、朝起きても新島君と遊ぶ、と言っていて、その、もし良かったら、今日も美春と遊んでくれないかしら」


「勿論、全然構わないよ」


僕が了承すると、中川さんは、「ありがとう、美春が喜ぶわ」と、言って微笑んだ。

そんな中川さんの様子を見て、美春ちゃんの事がとても好きなのだな、と僕は思うと微笑ましい気持ちになるのだった。



放課後になると僕は中川さんと一緒に美春ちゃんの園に向かった。

保育園に着き、中川さんは美春ちゃんを迎えに園内に入った。

僕は園内に入る訳にはいかないので、外で待機だ。




「あっ、優君だ!」


しばらく待っていると、美春ちゃんの元気な声が聞こえてきた。

玄関の方へ目を向けると、満面の笑みで手を振っている美春ちゃんの姿が見えた。

どうやら、玄関から僕の姿が見えたらしい、美春ちゃんは慌てて靴を履くと、こちらに向かって駆けてきた。


「瞳ちゃん、優君です!」


美春ちゃんと同じタイミングで玄関から出てきた瞳ちゃんと呼ばれていた女の子に向かって、美春ちゃんは僕の事を紹介し始めた。


瞳ちゃんは、「おお〜」と、呟くとパチパチと拍手をし始めた。


その影響で僕は周りの保護者からとても注目されていた。

とても恥ずかしい気持ちになっていると、美春ちゃんは、「沢山遊ぼうね!」と、言うと、僕の足に抱きついてきた。

その瞬間、僕の体は固まった。

美春ちゃんの顔が僕の股間付近にあった。

別に悪い事をしている訳ではないのだが、今は外に居て、さらに注目を集めている時に、周りから見ると女の子が股に顔を突っ込んでいるこの状況は不味いのではないか、と僕は思った。


その焦りから僕は、「コンプライアンス、コンプライアンス!」と、口走っていた。

その僕の言葉を面白がって美春ちゃんが笑いながら、「こんぷす、こんぷす!」と、繰り返している。

そんな僕達のやり取りでさらに注目を集めていると、慌てた様子の中川さんがこちらに向かって駆けて来ると、「なんで、この短時間でこんなに大騒ぎになっているの!?」と、大きな声が響き渡るのだった。



僕達はあの後、すぐに保育園のすぐ近くにある昨日も遊んだ公園に移動していた。

美春ちゃんは砂場で、「こんぷす〜」と、言いながら山を作っていた。

僕はというと、近くのベンチに座り、中川さんに先程の出来事の説明と謝罪をしていた。


「美春ちゃんに足に抱き付かれた時に、男だし、周りにどう思われているのだろうと考えた時に慌ててしまって。騒いじゃってごめん」


僕の言葉に中川さんは呆れた表情を浮かべた。


「確かに女性より男性の方が厳しく見られるかもしれないけど、何かあったら私が説明をするから大丈夫よ」


その堂々とした発言に、僕が嬉しく思っていると、中川さんが美春ちゃんに視線を移した。


僕もそちらに視線を向けると、美春ちゃんは、「こんぷす〜」と、言いながら、山にトンネルを作っていた。


「新島君、美春が覚えてしまった、『こんぷす』という言葉をどうにかして欲しいのだけれど」


中川さんの言葉に僕は申し訳なく思いながら口を開いた。


「こういう時は、他の言葉で上書きをすれば良いんだよ」


僕はそう言うと、美春ちゃんに近付いた。


「美春ちゃん」


僕が呼ぶと美春ちゃんは、「なに〜?」と、言いながら砂場でのお山作りを中断して、こちらを向いた。


僕は大きく息を吸い込むと、「バッハァ!」と、勢い良く言った。


すると、美春ちゃんは、面白がって、「バッハァ〜」と、真似をしだした。


しばらく、美春ちゃんと、「バッハァ!」と、言い合った後、これで大丈夫だろう、と思い、中川さんの方を向くと、呆れた顔をこちらに向けていた。


「新島君、子どもの相手は上手だけど、ちょくちょく突拍子のない事をするわよね」


中川さんは、そう言うと大きく溜め息をつくのだった。

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