第15話14 大聖女は教皇が苦手です

 「ごきげんよう、大聖女セレスティア。ここへあなたを呼んだのは、大切な話があるからです」


 教皇は淡いブルーの長い髪をかき上げる。サラサラで腰の辺りまである長い髪は彼のトレードマークだ。切れ長でライトグレイの瞳、スッと通った鼻筋、薄い唇、すらっとした長身。その人ならざる美貌でご婦人方を虜にしているというのは有名な話だ。そんな彼がセレスティアと会うのは年に数回の行事のみ。私語を交わすほどの仲でもないし、年齢も知らない。


(この聖職者とはとても思えない色気・・・。私が聖女になった時から少しも変わらない気がする)


「ごきげんよう、教皇さま。お元気そうで何よりです」


 当たり障りのない挨拶を返しておく。


「皆さん、退室して下さい。今から大聖女と二人で重要な話をしますから」


 教皇は部屋の入口でそわそわとしている三大神官をはじめ、大司祭と他の幹部も部屋から追い出した。――――皇宮からの使者と代理人も一緒に・・・。


(教皇さまと密室でお話?――――物凄く嫌なのだけど!というか、役職者が揃っていたよね!?大切なものを私が盗み出したから、これから処分を下すということ??それなら、遠慮なく解雇して欲しいわ!!)


 何のために呼ばれたのかが、今一つハッキリしないので警戒は緩めない。何より色気を放つ危険人物(教皇)と二人きりになるのが、とても苦痛である。


(この人みたいに自分は美しくて正しいと自信に満ち溢れていて、相手を支配しようとするタイプは嫌いだわ。私はフレドみたいに・・・、ただそこにいるだけで安心感があって、話をきちんと聞いてくれて、時には厳しいことも言ってくれるような、温かい心を持っている人が好き。ここで現実逃避しても虚しいだけだけど、出来ることなら大聖女を辞めて、フレドのそばで普通の人として生きて行きたい。悩める人からお金をむしり取るような仕事はもう懲り懲りだわ)


「セレスティア、今から大きな決断をしてもらう。これはベリル教団の未来が掛かっている」


 勿体ぶった言い方で自慢の美しい髪をかき上げながら、教皇は語る。セレスティアは黙って聞く。


「本日の午前零時、皇帝陛下があなたに求婚しました」


「え?」


(きゅうこん?球根?いや皇帝陛下が私へ球根って、意味が分からない!?もしかして、求・・・こん、――――求婚!?はぁ、何で~!?それなら、私をここへ呼び出した理由はあの箱じゃないってこと?でも、求婚ってどういうこと?本当に??)


「突然のことで困惑なさるのも無理はありません。しかし、これは教団にとって良いお話です。皇帝陛下という強力な後ろ盾が出来るのですから。百年前、カミーユ・ロードス帝国が建国されてから、我が教団と皇家は距離を置いてきました。この縁談により長きに渡る冷戦が終わり、ベリル教団と皇家の新しい時代がやってくることでしょう」


 教皇は都合の良い言葉を並べ、妖艶な笑みを浮かべている。だが、その瞳には獲物を狙うような鋭さがあった。


(ああ、これ、この目はお金を無心する気だわ・・・。以前、カーブス商団の団長ライル様も退職方法として結婚を提案して来たけど・・・。本来、大聖女って結婚していいの?問題なしなら、嫁いでさっさとこんな教団なんか辞めるわ。だけど、この様子だと辞めるどころか、金づるにされてしまいそうじゃない?どうしようかな。一応、抗ってみる?)


「私は女神さまにこの身を捧げておりますので、結婚は出来ません」

 

 常套句を並べたような回答をするセレスティア。教皇は鼻で笑う。


「フッ、何を今更。あなたには想い人が居るという噂が流れていますよ。火のないところに煙は立ちません。異性に興味があるのでしょう、セレスティア?女神様を言い訳に使うなんて、生意気ですね」


 サラサラの髪をまたかき上げながら、教皇は彼女に冷ややかな視線を送る。


(ああ、あの冷酷な目!!本性が出ているわよ。くぅ、腹が立つわ~。それより、噂って何!?私に想い人が云々って話はどこから出て来たの?――――まさか、マリアンナさんと朝食を作りながらお喋りした、あの時?ということは聖女見習いの誰かが広めたってこと??ウソ、本当に?)


 セレスティアは身内(聖女仲間)が外部に話を漏らしたということにショックを受けた。


(彼女たちを少し信用し過ぎていたのかも知れない。今後、発言には気をつけよう・・・)


「皇帝陛下の寵愛を賜って、多くのご寄付を頂けると嬉しいね。そうすれば困っている人々が救われる」


――――どの口が言うのか。ほとんど大聖堂には顔を出さない教皇が多くのご婦人と遊び暮らしているという話はセレスティアでも知っている。困っている人に一番寄り添っているのは聖女見習い、神官見習いの若い子達だ。決して、目の前にいる教皇ではない。


(こんなクズみたいな男がトップだなんて、本当に腹立たしい・・・)


「――――それは任務ということですか?」


「そうだね。大聖女としての使命ということにしておこう」


(うわっ!?責任逃れ!!結婚が大聖女の使命って、どういうこと?意味わかんない)


「では、給金の大幅増額をお願いします。皇帝陛下と会うには身なりもそれなりに整えておかなければなりませんから」


「――――ああ、そう・・・。考えておくよ」


(ああ、口だけの人。給金の増額は期待出来なさそうね。教皇さまはダメダメでも、死神皇帝が実は良い人かもしれないという可能性はまだ残っているわ。フレドリック皇帝陛下。名前が少し似ているフレドだったらいいのに・・・。そんな夢みたいなことは期待するだけ無駄ね・・・)


 教皇はセレスティアの前に一枚の紙とベンを置く。


「さあ、ここへサインを」


 セレスティアは上質な厚紙に記載されている内容を見て驚いた。皇帝との婚約契約書だったからだ。しかも、皇帝陛下のサインは既に入っている。ここにセレスティアではない第三者が名前を入れてしまったら大変なことになるのでは?と余計なことを考えてしまう。


(やけに段取りが良過ぎない?もしかして私には言わず、皇家と教団で前から話を進めていたのかしら。そして、ここにサインをしたら、私は死神皇帝の生贄、もとい花嫁になるのよね?――――それって、もうフレドには会えないってこと?そんなの絶対に嫌!!転移でも何でもして必ず彼へ会いに行くわ!!せめて彼に本当の恋人が出来るまでは側に居させて・・・)


 悪魔のような教皇の前で、セレスティアは不服ながらも書類にサインをした。



――――――――


 ベリル教団本部から使者と代理人が皇宮へ戻ったのは空の色が薄くなって来た頃だった。彼らとは別に第一騎士団は未明から目星を付けていた教団幹部宅へ捜査に入っている。じきに教団本部から邸宅に戻った幹部を拘束したという連絡が入るだろう。


 フレドリックの前へ一枚の紙が置かれた。代理人であるペイトン侯爵が口を開く。


「午前零時に突撃訪問した教団本部では予想していた通り、職員が幹部へ連絡を取り、教皇猊下も直ぐに現れました。教皇猊下から受けた金銭に関する質問は、明確な回答をせず、上手にはぐらかしました。また、大神官たちが大聖堂へ出向き、大聖女様を連れて来ました。教皇猊下は大聖女様と二人で話すと言い、その他の者を部屋から出しました。この婚約証明書へのサインはその時に書かれたものです」


 ペイトン伯爵はセレスティアのサインを指差す。


「―――――恐らく教皇猊下から脅迫されたのだと思います。部屋から出て来た大聖女様があまりに悲痛な面持ちでいらして・・・。私は胸が痛くなりました。陛下、大聖女様は清廉なお心を持つ良いお方なのです。くれぐれも悪い様にしないで下さい。どうぞよろしくお願いいたします」


 今回、ベリル教団に踏み込む足がかりとなった資料を作って来たのが彼とロドニー伯爵だった。ペイトン侯爵はロドニー伯爵の長女を娶っており二人は義理の親子でもある。彼の話ではロドニー伯爵が先日、大聖女から内部告発を受けたのが今回の資料を作る発端となったらしい。


「分かった。大聖女を悪いようにはしない。彼女が希望すれば婚約破棄にも応じる」


「それを聞いて安心しました」


 ミュゼは黙って二人のやり取りを聞いている。


「では、私はこれで失礼いたします」


「ああ、ご苦労だった。しっかり休んでくれ」


 ペイトン侯爵は一礼すると足早に部屋を出て行った。気付けば朝日が昇りそうな時間になっている。


「陛下、大聖女様を保護しなくて宜しいでしょうか?」


「――――何故?」


「いえ、この後、夜が明けたらベリル教団の幹部は虚偽申告と脱税の疑いで逮捕されます。教皇猊下も参考人として引っ張ります。ということは大聖堂が手薄になりますよね?これはチャンスだ!とばかりに大聖女の看板で一儲けしたい輩が彼女を誘拐するかもしれません。それに彼女は既に陛下の婚約者ですから、身代金の要求を陛下宛にしてくる可能性もありますね」


 ミュゼの一言一言がフレドリックの疲れを倍増させていく。


 昨日、軽いノリで婚約すると決めた自分がバカだった。面識のない女でも婚約者は婚約者。責任を持ってお世話をしなければならないということくらい少し考えれば分かったはずである。このままなし崩しに大聖女と結婚する羽目になってしまうのか?――――それが理由でセレスに会えなくなるなんて嫌だ!!絶対、無理に時間を作ってでも彼女へ会いに行く。


 フレドは婚約契約書を眺めながら、セレスが笑う姿を脳裏に思い浮かべているとあることに気付いた。


 大聖女の名はセレスティア・ステラ・メルトンというらしい。セレスとセレスティア、似ている名前。ああ、この人があのセレスだったらいいのにと神に祈りたくなる。そんなことは絶対にないだろうが・・・。


「はぁ・・・」


「陛下。第一騎士団から報告が来るまで小一時間程度でしょうが、お休みになられては?」


 ミュゼは疲れを隠さない上司へ提案する。


「ああ、少し休んで来る。それと第四騎士団に大聖女を護衛する任を与える。速やかに大聖堂へ向かうよう指示を出してくれ」


「御意」


 フレドリックは無性にノキニアの森へ行きたくなった。彼女とは会えなくても、イーリスの泉で休憩すると疲れが取れるような気がするからだ。執務室を出た彼は変装をするため一度、自室へ戻ることにした。

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