第11話10 忍び込んだのは大聖女です
深夜、真っ暗な部屋にセレスが一人で立っている。
フレドに職場の給金のことを告白したら『早めに転職することをお勧めする』と言われた。彼はセレスの職業を知らない。ただ、セレスが大聖女だと知っているロドニー翁も彼と同じ様な反応だった。ということは、職業に関係なく、必要な経費を引いても手元に届くのが銀貨一枚というのはおかしいということである。
フレドに自分で何とかすると言った手前、現状の把握だけでもしておこうと考えたセレスは大聖堂の事務室へ忍び込んだ。とは言っても、大聖堂内は夜間に見回りをする者もいないし、事務室の入口は貧弱はカギがひとつしかない。
(これなら誰でも入れるわ。ただ、常に警備がいる大聖堂の外から、この建物の中へ入るとしたら困難かも。教団は身内がこういう行動をするなんて、想像していないのね)
だから、こんなに警備が手薄な部屋に重要な帳簿など置いてあるはずがない。
(でも、わざわざ夜中にここまで来たのだから一応、室内の観察くらいはしておくべき?)
やる気なく適当に室内をぐるぐる歩き回りながら、神聖力を使って透視をしていたら・・・。なんと!壁の中に怪しい空洞を発見してしまった!!
(これ、安易に手を出していいのかしら。後に戻れなくなるような気がする・・・)
書棚の裏にある空洞を調べるかどうか、セレスは躊躇してしまう。壁と壁の間に、いかにもイケナイものが置いてありそうな、いい感じのスペースがあるのだ。このまま、この空洞に気が付かなかったことにしておけば、今の生活は続けられる。だが、それでは・・・。
そこで、フレドの顔が脳裏に思い浮かんだ。
(フレドに相談してみる?でも、職場の詳細は話せないわ。うーん、でも、相談しないより、した方がいいよね!このまま勢いだけで突き進んだら私、絶対に失敗しそうだもの。一度、仕切り直そう!!)
フレドに相談しようと決めたセレスは、真っ暗な部屋からスッと姿を消した。
――――
今日はフレドと約束している日。いつになく、風が強い。
(こんなに強い風が吹いていたら、蝶々は森まで辿り着けないわ)
蝶の姿で行くことが難しいと判断したセレスは、転移術を使ってノキニアの森へ向かうことにした。この方法は探知されやすいという欠点がある。だから、外出で使うのは初めてだった。
(誰にも見つからず、無事に辿りつけますように!!)
――――セレスは瞬く間にいつもの木陰へ姿を現した。すると、横から長い毛のウサギが飛び出して来る。
(あっ、このウサギはフレドと良くお話をしている子だわ。可愛い!!)
バスケットを草の上に置き、セレスはにっこりと微笑みながら、ウサギに両腕を伸ばした。このウサギはノキニアの森を守る長老ウサギのモリ―である。しかし、彼女は動物の言葉が分からない。だから、モリ―のことをただのウサギだと思っている。
ピョンとセレスの腕にモリ―は飛び込んだ。彼女はウサギを抱きかかえるとその場に腰を下ろし、柔らかな毛を撫で始めた。
(背中の毛、ふわっふわっ!!――――人間に触られても、嫌がらないのね)
「こんにちは!ウサギさん。あなた、フレドのお友達よね?私とも仲良くしてくれると嬉しいのだけど・・・」
セレスの言葉を聞いて、モリ―は顔を上げ、彼女の瞳をじーっと見詰める。
「もしかして、私の言葉が分かるの?でも、ごめんなさい。私はあなたの言葉が分からないのよ。『はい』なら頷いて、『いいえ』なら首を左右に振ってくれると助かるのだけど・・・。出来る?」
モリ―はゆっくりと大きく頷いた。
「うわーっ!!凄いわ!!あなた、とてもお利口なのね!!!」
セレスはウサギと意思疎通が出来ると思っていなかったので、嬉しくて堪らなくなる。勢いよく立ち上がると、両手でウサギを自分の頭の上まで持ち上げて、その場でグルグル回った。
「――――セレス、どうしたんだ?」
フレドが背後から現れる。彼は少し前にイーリスの泉へ到着していたのだという。セレスの大声が聞こえて、心配で走って来たらしい。
「あああ、ごめんなさい。ウサギさんと意思疎通出来たのが嬉しくてグルグル回っていたの。この子は賢いのね」
「モリ―は、この森で一番賢いウサギだ」
「そうなの?」
セレスはモリ―に確認する。モリ―はコクリと頷いた。とても可愛い。
「私もあなたのことをモリ―って呼んでもいいかしら?」
モリ―は強く頷いた。フレドは目を細めてモリ―を見る。彼と視線が合い、長老ウサギのモリ―は少し気まずい顔をした。
「モリ―、フレドが来たから、またね!」
セレスはモリ―を草の上へ下ろす。ウサギはその場でピョンと跳ねあがって一回転すると、木立の奥へ跳ねていった。
(この場所はフレドに知られてしまったから。今後は姿を現すポイントを変えないといけないわ・・・)
「――――フレド、かなり早く来ていたのね」
「ああ、今日はモリ―と話があったから」
「ふーん、仲良しなのね」
「フッ、そうだな・・・」
他愛もない会話をしながら、歩いているとイーリスの泉へ着いた。草の上に腰掛け、セレスはいつものバスケットからおやつを取り出す。
「今日はフロランタンを作ってみたの。ナッツがザクザクで美味しいわよ~」
セレスはワックスペーパーで包んだフロランタンを一つ、フレドへ手渡した。
「いっぱい作って来たから、何個でもどうぞ。それと美味しい紅茶も淹れて来たの。マグカップに注ぐから少し待ってね」
バスケットからクロスを出して草の上に敷く、その上にマグカップを二個並べると細長いポットから紅茶を注いだ。
「それに入れて持って来たのか?」
「そうよ。凄いでしょ?」
「ああ、凄いな」
紅茶からはしっかりと湯気が上がっていた。冷えていないという証拠だ。
「実はね、注ぎ口に蓋をして零れないようにしているのよ、ウフフフ」
セレスは自作ポットのからくりを説明する。コルクの栓とキルトのカバーもバスケットから取り出して見せた。キルトカバーはポットとピッタリ合うサイズにしてある。
「これを使って持ち運ぶと温かいままで持っていけるのよ。横に倒れると少し漏れることもあるけどね」
「――――冷たいものでも大丈夫そうだ」
「うん、大丈夫よ」
セレスの話を興味深そうに聞いているフレド。不意にマグカップを持ち上げ、一口飲んだ。
「コロニアル王国のブルームーンだな」
「――――はっ?紅茶のことも詳しいの?」
フレドはしまった!と思った。この銘柄はかなり高価なものだからだ。農園見習いが口にするようなものでは無いだろう。多分・・・。
「一口で銘柄を当てられるなら、紅茶専門店でも働けそうだわ。フレドって、凄いわね!!私は何の技能も持ち合わせていないから、転職も・・・、あーっ!聞いて欲しい話があるの!!」
セレスは今日、彼に一番話したいことを思い出した。
――――
「夜半に事務室へ忍び込み、給金のことが分かる帳簿を探していると、もっと怪しいものを隠していそうな場所を発見してしまった。むやみに調べるのは良くないと判断して、一旦引いた。今日、俺に相談してから、これからどうするのかを決めようと思っているということか?」
「そうです」
セレスは不都合な点は伏せて、事務室へ忍び込んだ話をフレドにした。
「――――そうか。真夜中に帳簿を探そうと事務室へ一人で・・・」
フレドは彼女に何から注意すべきかと悩む。夜中に無断で事務室へ忍び込むというのは立派な犯罪だ。また帳簿を探している途中で雇い主に見つかれば、酷い折檻を受ける可能性だってある。それくらい危険なことしているのに、当の本人は全く分かってなさそうで・・・。
「やっぱり、壁の中を調べた方が良いと思う?」
「いや、これ以上、一人で突き進むのは危険だと思うが・・・」
「そこはあまり気にしなくても大丈夫よ。警備は手薄だから」
セレスは彼が心配そうな顔をしているので、フォローを入れる。
「――――いや、ちょっと待て、かべ・・・、壁の中と言った!?怪しいのは壁の中なのか?どうして壁の中に何かがあると分かったんだ?」
セレスの背中に嫌な汗が伝っていく。
(――――神聖力を放ったなんて、絶対言えない)
「顔色が悪い。大丈夫か?」
急に黙り込み、真っ青な顔になったセレスをフレドは心配する。
「――――勘なの。壁に違和感があって・・・」
必死にひねり出した言い訳をセレスは口にした。フレドは何も疑わずそれを信じる。
「そうか。違和感・・・」
フレドはまだ顔色が悪いセレスの背を大きな手で何度もやさしく撫でた。やはり、一人で夜中に忍び込んだのは怖かったのだろうと勘違いして。
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