第4話 私の「蜜柑」

純真無垢な青年ハムレットは、「裁判の遅れ・警察官の横暴・肉親の愛憎」といった、この世の不条理に落ち込み、それに対する解消策・個人の悩みを昇華・転化させてくれるものが見つからず、不幸な結末を迎えてしまいました。

芥川龍之介(1892~1927)の場合、下手な外交、政治家や官僚の涜職(賄賂・収賄)といった新聞記事に辟易し、落ち込んでいた時、汽車の座席に隣り合わせた「薄汚い小娘」の、ほんの数分間の溌剌とした(天使のような)美しい姿に、目を洗われるような爽快感を与えられたことで、「下等で退屈な」世の中をしばし忘れることができた。(小説「蜜柑」 1919年 大正8年)

私の場合、「こんな貧乏な田舎町にも外来種がこっそり入り込み、それをマスコミが正当化する映画を作り、生活保護とかの援助をしているのか。この土地の住民の負担は大変だな。」

なんて、他人事とはいえ、日本人としてがっかりしっぱなしのこの日曜日、図書館の建物を出て駐輪場へ向かうと、この町名物の天気雨が降り出してきました。

  この図書館が山に近いからなのか、このあたり一帯半径1キロくらいだけが、空は晴れているのに雨が降るのです(しかも、2時間くらい続くこともある)。


そんなこともあろうかと、晴れてはいても傘を持参していた私が、数十メートル離れた場所にある自転車に近づくと、私の隣に駐輪してあった自転車を引き出す一人のカラフルなお召し物の女性がいるではありませんか。

振り向いたその姿は、目にも鮮やかな(兆が3つ付くくらいの)妙齢の純日本美人。

  彼女もまた、傘を差しながら出口の方へ自転車を押して行かれたのですが、すれ違いざま「やっぱり、降ってきちゃいましたね」「ごきげんよう」なんて、にっこり微笑まれた私は、まるで地獄に仏、泥沼に咲いた蓮の花のような美しさに思わずうっとり。

古今東西、容姿に自信のある女性ほど気さくに挨拶してくれる(○スほど警戒心が強い?)というのは、万国共通ですね。

それまでの、雨に打ちひしがれたように落ち込み・閉塞した私の傷心は、一気に回復し・日本晴れのお天気になりました。ガックリ落ち込んだ後のスッキリした爽快感、これこそまさに私の「素晴らしき日曜日」であったのです。

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