第3話 素晴らしき日曜日  嗚呼、ここにも外来種

ある地方都市を舞台にして作られた自主製作映画(2本。それぞれ20分程度の話)の上映会が、図書館のあるビル階上で行われていたので(無料・観覧自由ということ故)観てみた。

この映画フェスティバルを開催する県か市が金を出し、民間の映画製作会社にいわゆる「丸投げ」という、いつものお役所仕事スタイルで作らせたのか。上映された映画のキャプション(スタッフリスト)に市や県の職員の名前はない(映画の内容について、市や県が責任を取らないということ。)。「製作協力」として県や市の名前が書かれてあっただけ。

① これまた、「お話し会」と同じで、私には全く意味がわからない。

なんでこんな話が映画になるのか。「話」にもなっていない。単なる思いつきを、既存のテレビドラマや映画から引っ張り出した場面に(無理やり)嵌めこむ。

ここ2・30年の間にどこかで観たテレビドラマや映画の、この一場面・あの一場面をそのまま使用しているだけ。なんの脈絡もない幾つかのの場面が、統一性のない脚本の流れの中に配置されている。そういう継ぎ接ぎだらけといえるような映画。

②そんなモザイク(石・ガラス・木・貝などの断片を並べて、図案・絵画などを表したもの)映画(約20分間)とは、だから、一つ一つのモザイクに意味が見いだせないし、全体としての統一性も感じられない。すべてがバラバラ・分裂している。

③ 黒澤明は「脚本の弱い映画」と言いましたが、私の感覚からすると、40年前の大学生の頃、どこかの高校の文化祭で観た、高校生の作った15分くらいの自主製作映画よりもわかりにくい。制作者にしっかりとした精神的な根が張っていないから、うわべの花だけきれいで、中身が薄いというか脆弱。

いったい、この映画の趣旨・意図は何なのか ?

④ 2本の映画はともに、出演者も物語自体の登場人物も海外から帰国した「日本人」ということになっているのですが、その日本語がなんだか怪しい。海外に長く住んでいたからそうなったのか、それとも、もともと在来種純粋日本人ではなかったからか。

私の高校時代の同級生は、父親の転勤で英国・エジプト・インドと渡り歩いてから日本の高校(全寮制)に来たのですが、早稲田大学の商学部に(普通入試で)入るくらい、英語も日本語もしっかりしていましたが。

最近、韓国人や在日韓国人がアメリカへ渡り、グリーンカード(永住許可証)を取得したにもかかわらず、結局、アメリカでの生活に言葉でも経済的にもついていけず、韓国や日本へ「里帰り」する人や家族が増えているということを聞きましたが、そういう方たちの日本での(苦労)話ということなのか。

わざとなのか、そのあたりの事情に全く触れられていないので、勝手に想像してくれということなのか。

  そうであるならば、私の推測をさせてもらえば、一つ目の「アメリカからの帰国家族」の約20分の物語。母親がこう言います。「ここ(日本の山間の村)へ来たとき、目の前に山があって・・・。」 → きちっと最後まで日本語で言えないのは、アメリカ生活が長かったせいなのか、元々日本語がネイティブではないのか。

ここですね。

在来種純粋日本人はこんなことを言いません。

本当の日本人であれば、正直に「アメリカに憧れて行ってみたけど、やっていけず仕方なしに日本に出戻りした。日本人だけが私たち「夢の国に憧れて出て行った放蕩息子」を非難したりバカにせず、暖かく迎え入れてくれた。ありがとうございます。」と謙虚にいいます。

彼女のように、自分の落ち度や失敗を率直に認めず、逆に偉そうに・居丈高な態度をするのは、きまって外来種や(一部の雑種)アメリカ人です。

そういう在日外国人の話をもっともらしく取り上げるのが、最近の韓国脳日本の政府やマスコミの流行になっているらしい。

まあこの上映会、わざわざこれら映画の舞台とされる市の市長さんまで来て演説していった(私は映画だけ観て退出)くらいですので、何か意味があるのでしょう。

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