8 ギザギザ

「ロ、ロボくん? どこ行くの?」


 ピクニックシートの屋根から出て、ロボくんが雨の中を歩きはじめる。

 私たちの前に高くそびえ立つ、御神木に向かって。

 となりから、スカイが私にアコーディオンを差し出してきた。


 コンサーティーナ。

 めっちゃ高いやつ。


「春世の仕事は、これだ。弾いてやってくれよ」


「弾くって、それよりロボくんが……」


「ロボなら大丈夫だ。春世は、早く音楽を」


 御神木にたどり着く前に、ロボくんはすでにずぶ濡れだった。

 ロボくん、どうしてわざわざそっちに行くの?

 こんな激しい雨の中を、カサもないのに。


 私は不思議に思う。

 だけどロボくんに頼まれた通り、私はスカイからアコーディオンを受け取った。


 さっき渡された楽譜を見る。

 ショパンの『別れの曲』。

 でもなんで、『別れの曲』?


「舞台は整った。あとは春世が音楽を奏でるだけだ」


「スカイ。あなたたち、一体何をしようとしてるの?」


「ロボに聞いてるだろ? あのぬいぐるみたちには、ここ最近亡くなったこのまほろば町の人々の魂が入ってる」


「……」


「オレの仕事は、その魂を無事に空に送り出すことだ。ロボは、それを手伝ってくれてるんだよ」


「それはわかったけど、なんで音楽?」


「魂を空に送るには、めちゃくちゃパワーが必要だ。これまでは御神木が雷を受け止め、そのパワーを生み出してきた」


「……」


「雷様の太鼓を思い出せ。雷を操るには、音楽が不可欠なんだ。あのぬいぐるみたちにも、御神木にも、そしてロボにも、今は春世の音楽が必要なんだよ」


 アコーディオンを構え、私は楽譜を見つめる。

 何とか……弾けそうだ。


 ♪~


 私がそれを弾きはじめると、ロボくんが御神木に到着した。

 こちらに向かって、軽く手を上げてくる。


 ロボくん、もしかして笑ってる?

 少し遠いし、雨がすごいし、サングラスをかけてるから、彼の表情はよくわからない。


「これから春世は、今までに見たことがないものを見る。でもそれは、これから春世が生きていくうえで、とても大切なものになると思う」


「そ、そうなの?」


「あぁ。春世はもうオレたちの仲間だからな。一度、見せておいた方がいいと思ったんだ」


 スカイと話しながらも、私はアコーディオンを弾き続ける。

 なんか、色々と思い出してきた。

 ひさしぶりの演奏だけど、指はまだ音楽を覚えている。


 御神木の下、ロボくんはぬいぐるみたちをきちんと並べ直した。

 まるであのぬいぐるみたちが、実際に生きているかのように、丁寧に……。


「ちょ、ちょっと待って――」


 アコーディオンの手を止め、私は動きはじめたロボくんを見つめる。


 し、信じられない……。

 な、何やってんの、ロボくん?

 同じようにロボくんを見守りながら、スカイが鋭く言う。


「音楽を止めるな! 春世は、みんなのために音楽を奏で続けるんだ!」


 ロボくんは……このどしゃぶりの中、目の前の御神木に登ろうとしていた。

 幹の凸凹につま先をかけ、器用に足場を確保している。


 私は演奏を再開したが、やっぱりすぐに止める。

 ロボくんは、御神木の上へと登りはじめていた。


「ス、スカイ! ダメだよ! 危ないよ! ロボくんを止めてきて! あんなの、もし足を滑らせたら――」


「大丈夫。そりゃあフツーの人間が、このどしゃぶりの中であんなことをしたら、かなりヤバい。でもロボは、そもそもフツーじゃない」


「いいから! とにかくロボくんを止めてきて!」


「お前のそのやさしさが、今のロボには邪魔になる! お前は、音楽を奏で続けてくれ!」


 私のやさしさが、今のロボくんには邪魔になる――。

 そう言われて、私はちょっと泣きそうになった。

 アコーディオンを再開し、しかしそれでもロボくんから目を離せない。


 鳴り続ける雷。

 どしゃぶりの雨。

 私が弾く、アコーディオンのショパン。

 『別れの曲』。


「シャ、シャレになんないよ……いくらロボくんでも、こんな雨の中で……」


 ロボくんは、すでに御神木のかなり高い地点まで登っていた。

 引き返す方が、かえって危ないくらい。


 ロボくん、それ、一体どこまで登るの?

 何のために?

 そんなとこまで登られたら、私、もう近くに行くことすらできないよ。


 やがてロボくんは、ついに御神木のてっぺんまで到着してしまう。

 もうこれ以上、足をかける枝がないほどの高さ。


 ロボくんが、めちゃくちゃ小さく見えた。

 風が強いのか、時折ロボくんのカラダがわずかに揺れる。


「スカイ、マジでヤバいって! 止めなきゃ! 力を貸して! あなた、この裏山の守り神なんでしょ!」


「安心しろ! 大丈夫だ! せっかくロボが手伝ってくれてるんだ! 春世は、音楽を続けろ!」


「音楽を続けてる場合じゃないよ!」


 ロボくんがこちらを見下ろし、小さく手を振る。

 ロボくん、もしかして――そこまで行って、怖くなってきたんじゃない?

 どうしたらいいのかわかんなくなって、足がすくんでるんじゃない?

 何度目かのショパンを弾き終えると、私はアコーディオンを地面に置いた。


「大人の人を呼んでこよう! きっとロボくんは、怖くて動けなくなってるんだ!」


「お前も聞き分けのないヤツだな! いいから音楽を奏でろ!」


「私は、スカイみたいに薄情になれないよ! 行ってくる!」


「春世!」


 どしゃぶりの中、私はその場から走り出す。

 すごい雨。

 顔に当たってくる雨粒が、めちゃくちゃ痛い!

 だけど、あの木のてっぺんにいるロボくんは、きっともっと痛いはず!


 ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ!

 ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ!

 バリバリバリバリバリ!


 その時――雷が、これまでで一番大きな音で鳴りひびいた!

 空が、割れる!

 耳を押さえ、私は思わずその場にしゃがみ込む。


 怖い!

 で、でも、行かなきゃ!

 ロボくんを、助けなきゃ!

 なんとかその場を立ち上がり、私がもう一度駆け出そうとした――その時だった。


 御神木のてっぺんに立ったロボくんが……まるで風向きでも確かめるみたいに右の人差し指を突き立てる。

 そのまま、まっすぐに腕を伸ばし、暗い空を指さした。

 そのポーズを見て、私は思わず息を飲む。


 な、何やってんの、ロボくん?

 それ、危ない!

 めちゃくちゃ危ない!


「ダメ! ロボくん! そんなことしたら、雷が落ちてきちゃう! 死んじゃうよ!」


 バリバリバリバリバリ!

 バリバリバリバリバリ!

 ドカーーーーーーーン!


 直後――ありえないほどの白い光が、この草原全体を包み込んだ。

 最後に私が見たのは、漫画とか映画みたいな、クッキリとした稲妻のギザギザ。


 雷が、落ちた。

 それはロボくんが伸ばした指先に、確実に直撃していた。

 つまりロボくんが、避雷針になったのだ……。


 その衝撃に吹き飛ばされ、私はその場に尻モチをつく。

 どしゃぶりが、ボーゼンと御神木を見上げる私を、相変わらず打ち続けていた。


 コ、コゲ臭い……。

 これはたぶん、御神木が少し燃えたような匂い。


 白い煙が、草原を漂いはじめる。

 ロボくんの姿が、見えない……。


 ロ、ロボくん、もしかして御神木から落ちちゃったの?

 あんなすごい雷、きっとタダじゃ済まない。


 私、ロボくんに死んで欲しくないよ……。

 ロボくんとスカイといっしょに、これからも楽しく過ごしたいよ……。


 そして私は――気を失った。

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