第4話 成長した君はキレイだね

 【絵師】というのは––僕にとっては全く知らない世界だ。

 同人、商業というだけじゃなく細かく分類される。

 そして、それは企業に属しているのかフリーなのかと多岐にわたるから余計に詮索すると……僕の頭がパンクする。

 ただ、理解できることはある。

 桜井春香は天才だ。


 「今日で3日目……か。大丈夫か?」

 僕は誰もいない部屋で呟く。『哀』もパソコンを閉じているため聞こえていないはずだ。

 それに、毎日定期的にチャットで「大丈夫か?」とか「何か欲しいのはあるか?」とか送ってはいるが既読スルーされる。なんでだ。

 …まあ、それでも自宅の玄関のドアには3食分を時間ごとに置けば––全てが空になって僕の部屋のドアにかかっているから……まあ、元気で過ごしているんだろう。

 「とりあえず、終わったらお疲れ様会でもするか。好きな物用意するから」

 そうチャットを送ると「寿司」とだけ来たから……多分、まだ余裕はあるんだろう。なら、最初から返信しろよ。

 僕は「はいはい」と色々と心配した気持ちを押し殺すように––事務的な返事で要望を受け入れた。


 そこから……多分だけど2時間も経ってない。

 「できたー!!!!!」

 鍵をかけ忘れていた僕のドアを––髪が濡れて、ジャージも半分くらい着ていない状態でニタニタした顔の春香が勢いよく飛び出してきた。

 僕は一瞬「強盗か?」と疑ったくらい……いや、強盗というより全身真っ黒コーデで小さく「ハアハア」と息が荒いから怖かった。発情期か?

 「……お、おまっ!ちょっと待て!」

 「え~?早く来いって言ったのは青さんじゃないですか!」

 「いってねえよ!」

 僕は抱き着こうとしている春香の顔を優しくつかんで距離をとり––春香がよく使っているタオルを風呂場の方に畳んであるタオル置き場から取り出し––

 「……はい、こっちにおいで」

 そう言って、リビングのソファーに腰かけ、ドライヤーとクシをテーブルに置いて手招いた。

 春香は「わーい!」と某プロレスラーのこけしロケットかのような体制で……僕の胸をめがけて飛んできた。

 「ぐふっ」

 「あ、青さん大丈夫ですか?」

 「そ、そう思うならもうするな」

 「はーい」

 ……この無邪気な顔のせいで毎度僕は怒れないでいる。絶対知ってるだろコイツ。

 ってか、マジで下ネタとかできないくせに変に積極的だよな。まあ、僕もだけど。

 


 そこからはゆっくりと髪を乾かす。

 春香の髪は僕よりも少し長いくらいで手入れは思ったよりも早く完了した。

 女性の皆からすれば“ヘアオイルは?”とか色々とツッコまれそうだけど、僕がそこまで面倒を見る事はない。

 ただ……確かここに引っ越す時に春香が僕の部屋に色々と置いていきやがったからそこにヘアオイルはあるんだろう。

 「ところで、春香さんよ」

 「ほいほい、何ですかね。あにき」

 「あにきじゃない。今日で終わったのか?」

 「あ、生理ですか?」

 「は?」

 「……いやー、そんなの知りたいって本当に変態さんですよ?周期とか知りたいって」

 「お前の中で僕はどんな存在なんだよ」

 「え?変態さん」

 「……よし、寿司は僕だけで食うわ」

 「うわーん!ごめんなさいいいいい」

 「……で、実際どうなんだ?」

 「さっき終わりました。相手方も凄く喜んでて『定期的な契約を結びたい』と言ってくださいました」

 「おお~おめでとう!……って、定期的な契約って?」

 「さぁ……?」

 まあ、何かしらあるんだろう。絵師の世界には。

 僕はそんな春香との会話をネタに……深夜帯になってもウーバーできるお店を検索し、1番安い寿司を5人前注文した。

 そして、明らかに距離がいつもよりも近い春香から距離をとるように––台所の冷蔵庫からサイダーとメロンソーダをとってくるようにソファーから腰を浮かした。

 「で?今回の注文は大変だったの?珍しいよね?缶詰め状態になるなんて」

 「いや~、流石に相手の注文が細かかったもん」

 「そんなにか?」

 僕は2つのグラスに100円ショップで買った『丸い氷を作るやつ』で作った丸い氷をグラスの中にいれ、冷えたメロンソーダと共に春香に渡した。

 「あ、サンキューでーす!……いやー、久しぶりに私の芸術魂を削りましたよ。おっとっと」

 春香は勢いよくグラスに注いだため、グラス内で炭酸が泡立ち––テーブルにメロンソーダを飲ませている。

 僕はそんな状態を「はいはい」と……毎度のことなので、一緒に持ってきていた布巾でテーブルを拭いた。

 「で、ですね!?」

 「んあ?」

 「さっき、依頼者さんから『相方さんはいます?』と連絡が来ていたので『はい!』とバカデカボイスで返しときましたんで!」

 「その報告いるか?」

 「重要じゃないですか!我が【にじライブ】として!お互いの黒子の数まで知った仲じゃないですか!」

 「いや、僕知らないし」

 「……あ、想像しました?エッチですね」

 「ない胸を張るな」「おい」

 こんな会話をしながら、僕もサイダーをグラスに注ぎ––

 「「かんぱーい!」」

 こうして、お疲れ様会という名の日常に戻っていった。


 

 「あ、そうそう。依頼者さんから『相方さんには今回の依頼内容は公表していい』と言ってたんですけど……みます?あ、このサーモンは私が食べるので食べないでください」

 「なんで僕?……いや、このサーモンは僕の皿にあるだろ?ってか、そっちが3人前食うんだからいいじゃん」

 「どうも【にじライブ】としての依頼らしいので知っておいて欲しい情報らしいですよ。私としては完成してからでも遅くないと思うんですけど。……じゃあ、そこのマグロは私ので」

 「は?この前は『言えない』って言ってたじゃん。どうして急に。……はい、まあ沢山食べて大きくなりなさい」

 「青さんの事はサークルの活動日記で知ってたらしいですからね。方針転換したらしいです。……あ、胸みてます?エッチですね」

 「……この会話はどっちにツッコめばいいかわかんないんだけど」

 僕は自分の目の前にある海老を食べ––春香のタブレットに目を向けた。それを察知したのか春香も食べるのを一時中断し、タブレットの中にある情報を見せて来た。

 そこには多くの情報やプロットがあり、細かいキャラクター設定が書かれていた。

 そして、ラフが3名分描かれていた。


 ただ、特に3枚目は他の2枚に比べ––異常の数の情報と……面影のある顔が生まれていた。


 「……哀?」

 僕は小さな声でタブレットの中に存在する––僕が生み出した『哀』よりも鮮明で、リアルで、生き生きとした姿に……食べていた物が逆流してきた。

 「ちょ!」

 春香は僕の顔が異常におかしくなり、青くなっていく様を見てかタブレットを取り上げ––僕に肩を貸すようにトイレへと連れて行った。


 ……なんでだろう、『哀』の姿を見れるのは嬉しい。

だって、春香の描いた『哀』は僕らと一緒に成長したような……大人と少女の狭間に生きる可愛い姿だったからだ。

 それに、命を吹き込んでいく絵師のタッチが『哀』の人生に華を添えているように見えて……美しく見える。

 ……でも、それは同時に「あの時の自分」を思い出す。

 「……大丈夫ですか?」

 僕が何度も嗚咽しているのを……壁越しで聞いているのであろう春香が問いかける。

 僕は何度も咳き込みながら、弱弱しく「大丈夫」と言うと「水を持ってくるんで」と言って小走りで台所へと走っていった。

 


 「本当に大丈夫?」

 「大丈夫だよ、ありがとう」

 「私の絵……変でした?」

 「いや、やっぱり僕の相方だなって思ったよ」

 「……それは褒めてるんですか?」

 ……まあ、こんな状態の僕が言っても逆効果か。

 僕はフラフラとリビングに帰ってきて––春香の膝枕をうけつつ、こんな会話をしている。もちろん、うがいも消臭も完璧に済ませているので安心してくれ。

 春香はあいてしまっている右手をどこに置くかで迷っているようで……僕に振動でわかってしまった。

 「あー、誰か背中さすってくれないかな」

 「っ!」

 そうして、春香の右手の就職先を決めさせた。


 「……ところで、春香は『哀』は知ってたの?」

 「哀…?」

 僕の気持ちが少しだけ楽になってきた時––僕の中にあった疑問をぶつけた。

 その疑問は春香には『?』だったようで質問を質問で返されてしまった。

 なので、僕は再度質問をより分かりやすくすることにした。

 「あー……高校時代のクラスメートに『緑哀』という子がいて」

 「……あー……」

 「僕が在学中に死んだんだ。自殺って聞いた」

 「……」

 「ビックリしたんだよ。そんな『哀』を春香が描いてるなんて」

 「なるほど」

 「……」

 「どうしましたか?また気持ち悪い?」

 「……僕にとって、あの子の存在はわからない。ただのクラスメートだったのか、仲間だったのか、好きだったのか……それとも、蔑む対象だったのか」

 僕の頭には––何度も何度も『またね』と言ってくる哀の姿がフラッシュバックしていく。

 その姿を––僕は何度も手を握ろうと何もない空間に手を伸ばし続けた。

 きっと滑稽かもしれない……でも、今より鮮明になった哀の姿に自分を殺したくなった。



 そんな悪夢のような、当たり前な夢に足掻く僕の手を––小さな手がギュッと握って、頭にも同じような暖かな感触がゆっくりと撫でていく。

 「大丈夫。大丈夫」

 「……うっ」

 「青さんにとってのトリガーだったんですね。それは知らなくてごめんなさい。でも、きっとそれは青さんが考えすぎている事ですよ。大丈夫です。世間は誰もアナタを悪いと思ってないです。もちろん……“その人”だって」

 「……」

 「私はその人じゃないから詳しい気持ちは知りません。でも、今こうやって生きている青さんを責める事はできないと思います。だって、私がいるんですもん」

 「……」

 「知ってましたよ。青さんに何か隠しているものがあるなんて。『危ない人かな?』なんて一瞬思いましたけど……今、やっぱり思いますもん。“あなたといれてよかった”って」 

 僕の涙が––春香の太ももへと流れていく。

 その涙を感じているのか、少しだけもぞもぞと春香は動いたが––手はまだ同じポジションで僕を僕でいさせている。

 「もし、その人が青さんを責めるんであれば私が言ってあげますよ!『私のもんだからしゃしゃり出てくるな~!』って」

 「……」

 「ごめんなさい。上手く話せないや。いやぁ~私って口下手ですからね。私に国語力を求めても『戦闘力たったの5か……ゴミめ』って言われちゃいますよ。やっぱ、ここは『戦闘力53万』の青さんがやってくれなきゃ」

 「……フリーザじゃないんだけど」

 「あ、確かに頭禿げてませんもんね。にしても、やっぱ青さんの髪の毛って猫みたいに細いですねぇ」

 「……おい、美容室の人に『この髪の毛の人は禿げやすいんですよね』って言われてるからやめろ」

 「はは!じゃあ、将来はフリーザのコスプレもする可能性あるんですね!」

 「ねえわ!」

 僕がツッコミをいれるため春香の方に顔を向けると––春香は大人のような微笑みで「やっぱ、青さんはこうでなきゃ」と言って、僕のおでこにデコピンした。

 僕は驚きと痛みで、春香の膝枕から立ち上がる。

 すると、春香も何故か立ち上がった。

 

 「もう太ももまで濡れちゃいましたよ。濡れ濡れにして~エッチですね」

 「……欲求不満か?」

 「ちゃ、ちゃいましゅ!……コホン、一緒にお、お風呂はいってあげてもいいですよ?」

 カモーンって手招きしている春香は少し……いや、何かぎこちなく気持ち悪かった。できないならするなよ。

 「さ、とりあえずお風呂は借りますよ~?」

 「お前ん家で入ればいいじゃん」

 「いやいや、他人の家で入るお風呂って興奮するじゃないですか」

 「……確か入浴剤買ってあるからいれていいぞ」

 「わーい!」

 そう言って、春香はお風呂場へと走っていった。


 きっと、春香なりの優しさなのだろう。

 こんな僕を遠回しに「好き」と言っているようなものなんだから。


 数日後、依頼者からの提供で2D化された3体のモデルが納品された。

 「さ、お仕事開始だね」

 そのうちの1つのモデルが話した事は––今の自分には知る由もなかった。

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