第2話 汚くなったね
吐いてから数時間は経った。
僕は未だにトイレとお友達状態だ。
吐けるものもないけど––僕が今『哀』の前に座ればフラッシュバックするんだろう。
だから、避けるように便器を抱きしめている。
「……なんでだよ」
僕は呟き––今度は目から雫が流れ始めた。
「……」
数時間後になって僕は意を決してリビングに戻ってきた。
この1人暮らしには広すぎる場所で––哀と一緒にいるのが凄く気まずいが、現実を受け入れるために。
「……さ、コーラでも飲んで……」
口の中が気持ち悪いけど、今は何か口に含んでいないとやってられない。
僕はパソコンの隣に設置している小さめの冷蔵庫から缶のコーラを出して––哀が見ている中でコーラを1口飲んだ。
「……これが僕ができる最低限なんだろうな」
実際、僕が作った『哀』は汚い。それは、色々な意味でだ。
無知で何も知らないまま––衝動的に作り上げた作品に『丁寧さ』は皆無なんだ。
そして、プラスして機材も安く済ませたからなのか全てが雑だった。
「ま、これは追々かな」
1つの目標『哀を生き返らせる』という事だけに集中した結果が今なんだ。僕が悪い。
それに、最大の––最低かもしれないけども僕のこだわりがあった。
「機械音声はつかわないってダメなのかな」
『哀』は人間なんだ。機械じゃない。
……リアルではないけど、バーチャルに生きる「人」であるはずなんだ。
僕の気持ちは飲んでいるコーラと共に––何かに飲みこまれていく感覚があった。
ブー、ブー。
そんな僕の気持ちに感情を注いでくるかのように––スマホが振動した。
「……」
そのスマホを『哀』に隠すようにパソコンに背を向け、スマホの通知画面に目を通した。
「春香?」
そこには後輩の桜井春香からの不在着信が通知されていた。
僕はその画面を1度スワイプし––「どうした?」とチャットで返した。
すると、春香は既読をつけ「早く!出てください!」と再度電話をかけてきた。
「はい?」
「もう!女性を待たせる魔性の男様ですね」
「ああ~ん?」
「どこぞのテニスをしている良い声のキャラしないでください」
「ん~、エクスタ––」「怒られますよ?」
「……で、どうしたんだよ」
「いや、今日みたいな満月の日には誰かと話しながらお月見したいじゃないですか」
「秋じゃないぞ?今は」
「時期なんて関係ないでしょ!ほら、今何か飲み物でも持ってベランダ出てくださいよ!」
「……え?一緒にお月見してる気分を味わえと?」
「もちろん!」
あ、春香のやつ何か変なスイッチはいってるな。
多分だけど……有名な絵師かサークルからフォローか何かされたんだろうな。
僕は半分くらいしか飲んでいないコーラとは別に––台所の方に置いている大き目の冷蔵庫からペットボトルのサイダーを取り出し、ベランダへと出た。
「はい、出たぞ」
「うぃうぃ~」
春香は生返事のような言葉を残し––何故か電話を切った。
まあ、何でかはわかるんだけど。
「青さ~ん?いますぅ?」
ベランダの左側の仕切り壁から手がにゅっと出てきた。
「……怖いからやめろよ?近所迷惑にもなるし」
「え?なんですって?絶世の美女伝説がなんて?」
「……はいはい」
「あ、青さんの家に行ってもいいですか?ってか、行きます」
「鍵は開いてるよ」
「はーい」
そういって、ベランダでのお月見大会は即座に終了した。
まあ、春香が毎回やる手法だから慣れたんだけど。
数分もしないうちに春香が自宅仕様のジャージに身を包み、我が家へと来た。
……何度見ても思うけど、春香って大学だと『大人っぽくみせよう』と恰好や僕以外の人にはそういった立ち振る舞いするけど、僕の前では完全にオフモードな眼鏡女子だよな。普通に可愛いと思う。
「……むっ?変な事考えてません?」
僕の胸くらいしかない身長の女の子の下から上まで見ていたからか––少しだけ恥ずかしそうにしながら眼鏡をクイッと動かしながら言って来た。
「いや、エロいなって」
「え、えろ!?」
「ふっ、大人って下ネタも上手にかわさなきゃダメなんだぞ?」
「いやいや、青さんも下ネタ嫌いでしょ!?……ってか、青さんに言われる筋合いなんてないですけど」
「お、言うな?」「言いますよ」
「だって、青さん成人向け同人誌見た事ないじゃないですか。見えちゃうんですよ?あんなとこもこんなとこも」
……おいおい、女が言う言葉か?
もしかして、目の前にいるのは春香のコスプレをしたおっさんなんじゃ……。
「あ、私だって恥じらいはあるんですよ?『いやーん』とか言っておきましょうか?」
「……その返しがおっさんじゃん」
「うっさいですね!」
春香は僕の部屋にあるソファーへとダイビングし––おもむろにタブレットで何か操作を始めた。
僕はそんな春香の姿をみつつ––春香の好物でもあるハンバーグを先に形成まで済ませておいた冷蔵庫から取り出し、焼く事にした。
「そういえば––」
僕がハンバーグを焼き終え、フライパンに残った肉汁を使って特製ソースを作ってる中––春香が僕に問いかける。
「もしかしてさっき何かしてました?何か変な感じするんですけど」
「な、なんで?」
「んー、なんとなくだけど……いつもと感じが違うなぁ~って」
「あー……そりゃ、エロい春香見てムラッと来ない男子はいないしな」
「え?」
「ごめん」
ちょっと圧があった声に正直怖くなった。
僕はそれ以上は何も答えず––2人分のハンバーグプレートを台所からリビングへと運んだ。
「うわ!ハンバーグ!」
「どうせ食ってないんだろ?」
「さっすが!青さんは何でも知ってる!」
「エロいことも?」
「は?」「ごめんなさい」
「……さて、ご飯食べてから報告会しましょ!」
「報告会?」
「はい!でも……今は目の前にある魔物を食しちゃいましょ!?我慢できない!」
「あ、ちゃんと手を洗ってきな」
「は~い、お母ちゃん」
「母ちゃう」
春香は小走りで洗面所の方へと走っていった。間取りは一緒だもんな。
春香の手洗いが終わるまで、僕はスリープ状態になっているパソコンを再度立ち上げ––『哀』を閉じた。
「……ごめんね」
僕の言葉は無表情の『哀』には届いているのかわからなかった。
「「いただきまーす」」
僕らはちゃんと手を合わせ––目の前にあるハンバーグに手を付ける。
僕はまだ気持ち悪い状態だったけど……隣の春香に心配されないように、ゆっくりだけど着実に箸を進める。
一方、春香の方は本当に子供の用にハンバーグを口に頬張っていく。
「ほら、口の周りソースついてるぞ?」
「……んっ」
もう何度も経験しているからか––春香は僕に顔を向け、僕はその春香の口をティッシュでふき取る。
「いや、なんでやねん」
「お、上手っすね。青さん」
熟年夫婦のような『聞いてるのか聞いていないのかわかんない曖昧な返事』で違和感に対してツッコんだ僕を華麗にスルーした。
……まあ、美味しいって事なんだろう。
僕は1口食べる毎に幸せそうな顔をする春香の顔を見て、僕もご飯を1口食べた。
「ふぅ~、青さんってどこで買えるんですか?」
「いや、ドラえもんじゃねえから」
「じゃあ、どこの家政婦派遣サービスで––」「ない」
「え~?」
「……まあ、強いて言うんであれば君だけの家政婦ってことで、あ、執事がいいか」
「……うー……何でこんな卑怯なんですか」
「そっちが言う?」
お互いの会話1つ1つがバカバカしいけど……この会話が今の自分には凄く救われる気がする。
そして、この春香の顔が僕の中に光をくれる。
僕は少し赤くなっている春香の顔を見ながら––サイダーで口の中に残った物を体内へと流し込んだ。
「そう言えば、青さんってVtuberになりたい願望って何パーセントです?」
「え?なに?藪から棒に」
春香は僕にそう告げるとタブレットでSNSの画面を見せてきた……よく見るとDMのようだ。
「ほら、この人なんですけど……私達の作品を見たみたいで“買収したい”って来たんですよ」
「へぇ……こんなこともあるのか。あ、でも詐欺じゃない?」
「ですよね?そう思って返信したんです『詐欺には引っ掛からないぞ!』って」
「すると?」
「『ないない』って」
……今更だけど紙芝居みたいにスクショを撮ってるのか。見づらいんだけど。
それに、アイコンはどこかで見た事あるような。
「こう帰ってきたら返信しにくいなぁ~って思ってたら『じゃあ、今度改めて挨拶しますね』だって」
「なんじゃそりゃ」
「わけわかめですよね」
「で?ほかにもあるんだろ?」
「はい!この直後にこの方から依頼もきたんです!しかも、3件も!」
「凄いじゃん!お金持ちだ!」
「へっへっへ!ついに来ましたよ~!!!」
「個人?企業?どっちだったの?」
「あ、それは秘密にしておいてほしいらしいです。それに、できれば即納してほしいらしくって」
「……おま、次のイベント大丈夫なんか?」
「あ、そこは大丈夫です。もう描き終わってるし、青さんパワーで乗り切れると思うので」
「あっそ」
僕は再度サイダーを飲む。それにつられたのか、春香も自分が持ってきたドクペをグッと飲んだ。
「ってことで、報告会終了!今日から忙しくなるんでたまにウーバーしてください!」
「はいはい」
「あ、お風呂もいれてやってくださいね?」
「そこは自分でやれ」
「……へーい」
春香は少しだけ残念そうな顔をしながら––僕のソファーにもたれかかってデザイン編集作業に戻っていった。
僕はそんな春香の邪魔にならないようにプレートを台所へと持っていき––『哀』のデータをデスクトップの端っこへと移動させた。
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